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何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

高知城の歴史に思いを馳せて登城し、少し興ざめして下城する

2022年11月06日 | 歴史・芸術・文化


決して城マニアではないのだが、先月高知に出張で訪れた際に、またまた時間があったので高知城を見学する機会を得た。いつもモデルで登場するミーの誘いであるが、いつも娘世代の彼女に様々な機会を与えてもらっていること、このブログの書き込みで改めて知ることになる。
高知には何回か訪れている。「魚梁瀬森林鉄道」や室戸の「むろと廃校水族館」を紹介してきたし、「四万十川」を訪れた時、また前職の関係で「子ども農山漁村交流プロジェクト」の講演に行った時などもこのブログで紹介している。
今回も仕事だが、確かにここ数年で何回と訪れていて「お気に入りの地」とも記している。今回は午後からの会議だったが、前日入りしていたので、目の前の高知城を見過ごすわけにはいかないと、ミーとの朝の散歩となった。



高知城は、当時からの天守閣が残る全国古天守12城の一つだが、火災や震災、明治に入って発布された廃城令、太平洋戦争の戦災などの数多くの危機を乗り越えて、本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られている。天守、御殿、追手門など15棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。
といっても、高知市に城を築いたのは戦国時代・長宗我部元親とされているが(大高坂山城)、実際現在の高知城を築いたのは、関ケ原の戦いで土佐の国を与えられた山内一豊。そう、大河ドラマの「功名が辻」の主人公である。(上川隆也ではない。)
ただ、初代のものは江戸初期の火災で焼失(1727年)。現存のものは二代目で、実に26年の歳月をかけて1753年に再建されたもの。これが現存する日本の城の最古参と呼んでいいもの。現在、城の全域は高知公園として一般開放されており、公園内には県庁もある。(周辺には市役所や裁判所などがあり、高知の行政・司法の中心となっている。)



城郭の構造としては「平山城」という、平野の中にある丘などの丘陵を活用した形式だが、やはり天守まで行くとなるとかなりの階段や坂を上っていかなければならない。娘世代について行こうとするとなると、爺の足腰では午後の仕事に差し障りありあり。
少し雨も降りだしたので、天守までたどり着いた後すぐに帰路に就く。歴史の風を浴び、高知の街並みを見ながら山内一豊や山内容堂(15代藩主=豊信(とよしげ))に思いを馳せながら、下城の途に就くことに。
そんな時、三の丸に立ち寄ると「水と光のカーニバルナイト」という移動遊園地(?)なる催し物が開催されているとか(夜のみの開催)。まあ、日本の重要な史跡に浸った後、ちょっと興ざめするかのイベントではあるが、それだけ市民に親しまれている場所ということでヨシとしますかー。

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