三陸地方の公共交通は、震災後、新しい交通体系により復旧整備が図られてきた。
鉄道は、東北本線から三陸へ向かう支線は、比較的被害が少なかったこともあり、JR大船渡線(一ノ関~気仙沼間)や釜石線をそのままJR東日本が運営している。
ただし、津波により壊滅的な被害を被った海岸線は、気仙沼線の柳津から気仙沼間、大船渡線の気仙沼から盛間)は、JRにより「BRT(バス・ラピッド・トランジット)」というシステムで運行されている。
また、おなじみの三セクの「三陸鉄道」だが、昨年3月、JR山田線の釜石・宮古間が移管され、盛から久慈までの163キロという三セク鉄道の中では最も最長路線を持つことになった。




まず、JR線と三陸鉄道。BRTを含め、各沿線主要の都市でJRと三陸鉄道は連絡し、ホームなどを共有している。背骨である東北本線の各駅から、肋骨のように伸びている線をJRが、リアス式の海岸線を縫って走る三陸沿岸を三陸鉄道が運営する形となっている。どちらも、険しい地形の中を縫って走る路線である。
地方鉄道の役目である沿線の地元民の通勤通学の貴重な足として利用されていることはもちろん、東北新幹線の各駅から観光客を誘導するのがJRで、三陸鉄道は鉄道そのものを観光に取り入れた形で人気を得ている。
ただ、乗客は少なく、運営にも厳しさを持つローカル線には違いない。
三陸鉄道は、1994年の赤字転落を機に、徹底的な合理化と観光客の誘致を図ろうと経営改善計画を策定したが、その計画を実行する最中に震災に襲われた。それでも岩手県や国の補正予算により復旧にこぎつけ、キャラクターを用いたり会員制度や各企業からの支援を得るなどして、さらに震災学習列車などを走らせるなどアイディアを続々と出し続けている。
赤字や震災などの逆境を逆手に取ったチャレンジ精神は、多くの人に感動を与えていることも確かである。
(写真上:JRは釜石線のキハ110系気動車使用の「快速はまなす」2枚、三陸鉄道・新潟トランシス製の「36-700形」は震災後クウェートの支線で導入された車両。)
(写真下:BRTの車両(陸前階上駅付近)と車内、専用車線(大船渡付近)、駅(盛駅)。)




一方、一部の鉄路をBRTにしたJR東日本。こちらは会社全体が黒字企業ということで、国からの支援が得られず、海岸線の鉄路について独自再開の道を断念した形となっている。もちろん、鉄路再開を望む声は大きかったが、代行輸送のバスが、そのままBRTに移行してしまった感が強い。
BRTは、鉄道のあった敷地をバス専用船として使用することにより、鉄道ほどではないが、一般的な路線バスよりもスピードと定時運行を高めるシステムである。ただ、気仙沼線・大船渡線のBRTは、一部一般道を使用するところがあり、スピード確保と定時運行というメリットを少し減少させている。
BRT専用路線内にも信号や踏切という設備は必要である。信号機や標識、駅という名の停留所の整備、ロケーションシステム(運行状況確認システム)などのも導入されている。しかし、それでも鉄道の復旧と運営からすると安いというところの思いがあったことは間違いない。
実の運行は、ミヤコーバス(宮城交通の子会社)と岩手県交通に委託されている。「JRは赤字路線を見限った!」ともいえるかもしれないが、何と運行本数は震災前の鉄道の時より3倍に増えている。
設備に対する投資も、旅客輸送そのもののランニングコストも安く、鉄道車両を動かすというより、バス(クルマ)を運転(運行)するというそのものが手軽(?)なんでしょうしね。「投資を抑え、運行頻度を高める!」BRTのメリットもそれなりにある訳であります。
鉄道は、東北本線から三陸へ向かう支線は、比較的被害が少なかったこともあり、JR大船渡線(一ノ関~気仙沼間)や釜石線をそのままJR東日本が運営している。
ただし、津波により壊滅的な被害を被った海岸線は、気仙沼線の柳津から気仙沼間、大船渡線の気仙沼から盛間)は、JRにより「BRT(バス・ラピッド・トランジット)」というシステムで運行されている。
また、おなじみの三セクの「三陸鉄道」だが、昨年3月、JR山田線の釜石・宮古間が移管され、盛から久慈までの163キロという三セク鉄道の中では最も最長路線を持つことになった。




まず、JR線と三陸鉄道。BRTを含め、各沿線主要の都市でJRと三陸鉄道は連絡し、ホームなどを共有している。背骨である東北本線の各駅から、肋骨のように伸びている線をJRが、リアス式の海岸線を縫って走る三陸沿岸を三陸鉄道が運営する形となっている。どちらも、険しい地形の中を縫って走る路線である。
地方鉄道の役目である沿線の地元民の通勤通学の貴重な足として利用されていることはもちろん、東北新幹線の各駅から観光客を誘導するのがJRで、三陸鉄道は鉄道そのものを観光に取り入れた形で人気を得ている。
ただ、乗客は少なく、運営にも厳しさを持つローカル線には違いない。
三陸鉄道は、1994年の赤字転落を機に、徹底的な合理化と観光客の誘致を図ろうと経営改善計画を策定したが、その計画を実行する最中に震災に襲われた。それでも岩手県や国の補正予算により復旧にこぎつけ、キャラクターを用いたり会員制度や各企業からの支援を得るなどして、さらに震災学習列車などを走らせるなどアイディアを続々と出し続けている。
赤字や震災などの逆境を逆手に取ったチャレンジ精神は、多くの人に感動を与えていることも確かである。
(写真上:JRは釜石線のキハ110系気動車使用の「快速はまなす」2枚、三陸鉄道・新潟トランシス製の「36-700形」は震災後クウェートの支線で導入された車両。)
(写真下:BRTの車両(陸前階上駅付近)と車内、専用車線(大船渡付近)、駅(盛駅)。)




一方、一部の鉄路をBRTにしたJR東日本。こちらは会社全体が黒字企業ということで、国からの支援が得られず、海岸線の鉄路について独自再開の道を断念した形となっている。もちろん、鉄路再開を望む声は大きかったが、代行輸送のバスが、そのままBRTに移行してしまった感が強い。
BRTは、鉄道のあった敷地をバス専用船として使用することにより、鉄道ほどではないが、一般的な路線バスよりもスピードと定時運行を高めるシステムである。ただ、気仙沼線・大船渡線のBRTは、一部一般道を使用するところがあり、スピード確保と定時運行というメリットを少し減少させている。
BRT専用路線内にも信号や踏切という設備は必要である。信号機や標識、駅という名の停留所の整備、ロケーションシステム(運行状況確認システム)などのも導入されている。しかし、それでも鉄道の復旧と運営からすると安いというところの思いがあったことは間違いない。
実の運行は、ミヤコーバス(宮城交通の子会社)と岩手県交通に委託されている。「JRは赤字路線を見限った!」ともいえるかもしれないが、何と運行本数は震災前の鉄道の時より3倍に増えている。
設備に対する投資も、旅客輸送そのもののランニングコストも安く、鉄道車両を動かすというより、バス(クルマ)を運転(運行)するというそのものが手軽(?)なんでしょうしね。「投資を抑え、運行頻度を高める!」BRTのメリットもそれなりにある訳であります。