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何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

気仙沼の「東日本大震災遺構・伝承館」で中学生に泣かされた

2020年10月04日 | 旅行記・まち歩き


東北の太平洋沿岸で震災の伝承施設の数が一番多い宮城県。その中で、気仙沼市にある「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」にお邪魔することにした。
震災遺構として、旧向洋高校の校舎を震災直後の姿をそのまま残しながら、伝承館を併設し、市民や観光客のために周辺を含めた整備が進められている地域にある。

気仙沼から南下、本来なら風光明媚な場所で、私のお気に入りだった気仙沼線だが、今はBRT(bus rapid transit=バス・ラピッド・トランジット)という、旧線路を利用したバスシステムで陸前階上駅へ。
前回紹介した東日本大震災・原子力災害伝習館と同様、徒歩だと駅から20分はかかりそうな場所で、調べてみると地元にタクシー会社があるので、BRTの到着時間合わせお迎えをお願いした。目的地が同じ初老のご夫婦がいたので、声をかけて一緒に乗り合わせることにした。(歩けない距離ではなさそうだが、来訪の際は事前にチェックした方がよさそうです。)

やはり復興が進んだとはいえ海に近い目的地周辺は、広々とした土地に倉庫らしい建物のほかに建物がポツポツとしかなく、新しく整備されたグランドゴルフ場に高齢者の生き生きとした声が弾んでいるという印象。
その脇に、震災遺構として保存された校舎が痛々しい姿を見に飛び込んでくる。グランドゴルフ場は、旧向洋高校のグランドを活用して作られていた。



エントランス施設である伝習館自体は新しく建設されたもののようで(写真上:伝習館入口とエントランスホール)、まずシアターで13分ほどの映像を見る。震災時やその直後の様子などを映像で見る。その後、いよいよ校舎へ。
津波は4階の教室まで及び、窓だけでなく校舎そのものに大きな傷跡を付け、部屋の中まで漂流物を押し流してきた状況を当時のままの姿で残してある。学校で使われていた道具が散乱し、流木やクルマなども流れてきた。クルマガあったのは3階ですよ!
如何に津波の威力が凄いものであるかを目の当たりにできるし、自然の中での人間の無力さを感じざるを得ない。当時、学校にいた生徒170人は屋上に避難し全員無事だった聞いてホッとしましたがー。
(写真下:旧校舎外観、車が突っ込んだ3階教室、中庭で折り重なるクルマや瓦礫、そして旧体育館は外側の壁だけが残る)



その悲惨な旧校舎を巡って戻ろうとした出口付近で、当時の報道報道番組のビデオが流されているコーナーがある。
ここで私は、10日遅れで挙行された階上中学校の卒業式での映像が目に留まる。「苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからのわたくしたちの使命です。」卒業生代表の梶原裕太さんの言葉。私は人目もはばからず泣いた。はじめは嗚咽だったが、しまいに号泣。
地元の階上中学校は、当然ながら避難所となっており、避難民が一緒になって卒業式を見守り一緒に涙し、大きな拍手。きっと15歳の少年の立派な言葉から、大いに勇気を得たに違いない。

このシーンはもちろん10年近く前の震災直後、NHKの番組で取り上げられたもので、当時から大きな反響をがあったらしく、あちこちの震災関連施設やメディア、ネットサイトでも取り上げられいます。(私は初めてで、とにかく衝撃でした。)
YouTubeなどでもアップされているのですが、全文を読み上げるという映像はなかなか見つからない(文字だけというのはあります。)ただ、ぜひ、これは現地に行ってみてほしい。私はここを訪れ、彼に会えただけでも来た甲斐があったと思いました。
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