イタリアはヨーロッパで最初にETCを本格導入したそうだ。ETCは日本の名称だが、イタリアではTELEPASSと呼ばれている(左側に黄色のゲート)。
日本がETCを導入する際に、このTELEPASSを手本にしたそうだ。
上から、赤黄緑の信号灯は普通だが、「これって、わざわざ矢印にする必要あるの?」と思う。
2列にならべた信号灯は、左側が左折と直進の灯火、右が右折の灯火。各色とも同じ矢印信号だった。
こちらは、悪魔の標識か?これは悪戯のようだ。左右の矢印の上に悪魔の体を張り付けてあった。
イタリア旅行で添乗員さんから教わったバスルームの注意事項が2つ。
まずはトイレだが、どのホテルでも便器(左)の隣に似たような陶器の器具があります。ここで用を足さないことはもちろんだが、もっと気を付けた方が良いことがあります。
この器具は、いわばウオシュレットの原型とも言えるビデ。ここでお尻を洗うそうです。そして上にかかっているタオルが曲者です。
日本人ならば、丁度いいところにタオルがあるのでフェイスタオルとして顔を拭いてしまうと思います。でも、お尻拭き用のタオルです。一応洗ってありますが、新品でないことは明白です。
もう一つ。バスタブには引っ張りたくなる衝動を抑えきれないところに、紐がぶら下がっています。
これはエマジェンシーコールの紐なのです。引っ張ると、風呂で倒れたと思われて、ホテルの人がマスターキーで部屋を開けて駆け込んできます。
自分の裸を積極的に見せたい人向けのスイッチです。
10月27日の土曜日、翌日の帰国準備を済ませて寝ている間に大変なことが起きました。28日午前3時に、なんと時刻が1時間逆戻りしたのです。
この日は、サマータイムが終了して、通常の時刻に戻る日です。予め時計を1時間遅らせて就寝したので、1時間余分に寝られたわけです。朝テレビを付けると、時刻変更を何度も放送していました。時間にルーズなイタリア人は、余り気にしないそうです。そもそも知らない人が多いそうです。
ローマからはフランクフルトまでルフトハンザのLH-231便(エアバスA321)を利用する。待ち時間に空港のフェラーリショップで最後の買い物。
使い残したユーロほぼ全額をはたいて買いましたー。マグカップ2個セット(25ユーロ)。
フランクフルトでパスポートコントロールを受け、セントレアまではルフトハンザLH-736便。最新型のA340-600でした。何故か機体中央にトイレだけダブルデッキ化されています。
夕食は、日本人サービスでしょうか?きゅうり巻き寿司(かっぱ巻きと違うのかな?)と蕎麦が添えられています。メインはカツ煮丼も選べたが、鶏胸肉・ボルチーニマッシュルームソースをいただきました。
ひたすら夜に向かっての飛行です。28日23時58分(日本時間)の空です。
ひと眠りした後の朝食はこれ!美味しくなかった(残念)。
出発が30分以上遅れたせいか、ぶっ飛ばしてました。対地速度1063km/hは、飛行機の設計巡航速度(907km/h)を上回ってますねー。
飛行ルートも往きに比べて南寄りです。朝鮮半島を横断してセントレアに向かいます。
無事、29日9時頃に到着しました。8日間の旅の終了。若干時差ぼけ。(完)
イタリア観光の最終日は、ナポリからカプリ島に船で渡り「青の洞窟1日観光」の予定だった。5時モーニングコール、6時出発の強行軍。出発した時は、まだ薄暗かった。天気予報は雨模様だが、道すがら時々雲間から太陽が覗いていた。
ナポリの町に入ると、やや風が出ている様子。程なく乗る予定だった9時の船が欠航との連絡が入る。次の便でカプリ島に行けたとしても、帰りの船が出る保証がないとのことだった。
仕方なく、バスでナポリ市内を車窓観光。ヌォーボ城の前面では、何やら大工事が行われている。何かの建設工事を始めたら遺跡が出てきたため、開発が中止され発掘調査に切り替わったとか。イタリアでは掘ったら、いきなり遺跡が出現することは珍しくないそうだ。
カプリ島へ行けなくなったので、ポンペイの古代遺跡を観光することになった。私としては、こちらに行きたかったので願ったり叶ったり。
紀元前8世紀に建設された商業都市ポンペイは、紀元前4世紀に古代ローマの支配下になり、79年8月24日火山爆発により灰の中に埋もれてしまった街だ。
石畳の道には荷車の轍が残り、当時の繁栄ぶりを偲ばせる。
劇場跡も残っている。この街は、既に古代ローマに存在したものが全てそろっているそうだ。
テルマエ・ロマエでお馴染みの浴場跡。この時代に既にセントラルヒーティング方式が採用されていた。
さすがに富士山の壁絵ではないが、何やら絵の後も残っている。
蛇の絵の看板です。何屋でしょうか?薬屋さんだそうです。
そして独特の雰囲気がある街並みは…。ここは売春宿街です。
店内の壁には、メニューの絵があります。様々な土地から商人が訪れ、言葉が通じないので絵で注文できるようになっています。この絵を指して「この体位でお願いします」という具合だそうです。
添乗員さんが、「未成年者がいるツアーだと説明に苦慮するが、今日は話し易いです。」と独り言。
石のベッドです。部屋には窓がありません。
因みに、当時のお値段は、グラス1杯分のワインと同じくらいだったそうです。
少し離れた所には、道しるべがあります。左下の石には、男性のシンボルのレリーフがあり、売春宿街の方向を案内しています。
パンやの跡。手前が小麦を引く石臼、奥が窯です。ピザの窯と同じですね。
中央の広場には、市場や両替所など様々な商業都市の機能があったようです。
そして、火山の灰に埋まったポンペイ人の姿です。高温の灰の中で体は燃えて、その時のガスで人の体の形をした空洞ができたそうです。そこに石膏を流し込んで型をとったものがこれ。部分的に残っていた骨や歯がくっついています。この人は腰にベルトがあるので、奴隷だったそうです。
遺跡の外観はこんな感じ。よく街全体を発掘できたものです。
昼食は、ポンペイ遺跡の前の店でいただきました。前菜はボンゴレビアンコ。
メインは白身魚の料理でした。魚の種類は不明。
ローマへの帰路で立ち寄った、お土産物屋さんにも置いてあったイタリア南部産のワイン。「キリストの涙」という美しい名前が付けられています。私は昼食時にいただきました。お土産にも良いワインですね。
時間に余裕ができたので、添乗員さんが気を利かせてくれて、ローマ唯一のアメリカンスタイルのショッピングセンターEUROMA2に案内してくれた。3階まで吹き抜けのショッピングセンター。正方形の通路に店が立ち並び四隅がドームアーケードになっている。
ここで、愚息のお土産にサッカーチームのユニフォームを購入。
イタリア最後の夜は、本場のカンツォーネ・ディナーを楽しみました。(続)
フィレンツェからローマへ行く途中でトスカーナの丘陵地帯にある世界遺産の街・シエナに立ち寄った。
街のナン中にあるカンポ広場では、毎年、町内対抗の裸馬競馬が開催される。何と勝つためには、優秀な騎手を雇い、相手に賄賂を与えて八百長もOKとかで、金持ちの町内に有利な競馬になっているそうだ。
今年は、そんな逆境の中、貧乏チームが優勝したとかで「良く勝てたね」と称賛されたとか。
この街でもバイクは活躍のようだ。停めてあるのはT-Maxかな。
町の中は、坂道の細い道が縦横にはしる。
ローマへ移動して、昼食は初のファストフード。ピザです。四角いピザが紙にのせられて出てきた。種類によってチーズが使い分けられており、3種類を楽しんだ。
最初は、バチカン市国の観光。意外だったのは国境を跨ぐだけで簡単に入国できたこと。パスポートも不要です。
でも、サン・ピエトロ大聖堂に入るためには、金属探知機とX線のセキュリティーチェックを通る必要があります。9.11以降、こういったチェックが重要施設に設けられています。
この中はこんな感じです。さすがにカトリックの総本山ですね。
サン・ピエトロ広場に続く道には観光馬車も走っていた。何故か観光バスとの2ショットになってしまいました.
バチカン参拝を終えた後はひと跨ぎでローマにもどり、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会といってもピンとこない人が多いかな?あの、真実の口があるところです。時間が押していたので、「見るだけ」と言われていたのですが、順番待ち行列が比較的短かったので、並んで手を突っ込むことができました。勿論、食いちぎられませんでしたよ。(内心ハラハラ)
因みに、この真実の口ですが、どうやら昔のマンホールの蓋だったようです。
口の横の扉を入ると…ほら、教会です。
コロッセオの直前で土砂降りの雨。天気予報では午後から雨だったので良く夕方までもったものです。ここは、中には入らず外からの見学のみです。
トレビの泉に付いた頃には、すっかり夕暮れです。街灯の明かりがいい感じになってました。奥様と10円玉を投げて再訪を誓いました。
スペイン広場の一角には映画「ローマの休日」でアン王女が髪を切ったヘアサロンのロケ地があります。何屋さんなんでしょうね。
階段の中腹から見たスペイン広場。
宿泊は、ローマのアラン・マンテーニャホテル。一応Sクラスのいいホテルなんですが、意味不明のエッチ感漂う天井照明。赤い色が疲れを増長させ神経を逆なでます。部屋により色が違うとか。
どうやら、1階(日本で言う2階です)の部屋の人は赤のようです。3階は青だったと言ってました。さあ、翌日は早朝出発です。(続)
4日目も1日で2都市を敢行する弾丸スケジュールだ。まずはピサ観光から。ピサと言えば斜塔ですね。でもイタリアでは”斜塔”とは呼ばないそうです。”ピサの塔”と呼ぶそうです。なんでって?国中の人が傾いていることを知っているから、敢えて斜塔と言う必要が無いそうです。
添乗員の人が「全体が見えるまでは、遠くから見ないようにして下さい。感激が薄れるから。でも、見た瞬間、皆さん同じことを思いますよ。」と意味深なガイド。
そして、斜塔を見た瞬間「あっ、傾いてる!」 当たり前なんですが、みんなそう口に出してしまします。添乗員さんの言葉に納得です。
頂部は傾き出してから造られたので、傾きを補正する形で造られたため、傾き度合いが少なくなっています。近年、傾きを戻す工事が行われ、1.5度ほど戻したとか。力ずくで、塔に綱をまいて地上から引っ張ったそうです。
洗礼堂のエコー効果を聞いた後に、ドゥオモ内部も見学。
ここには、ガリレオが振り子の原理を発見したランプが吊り下げられています。残念ながらこれはレプリカ。本物は隣の墓地にあり、見ることは叶いません。
そして、フィレンツェへ移動です。
小高い丘にあるミケランジェロ広場からは市内が一望できる。やはりドゥオモは象徴的存在ですね。
昼食は、前菜に「季節のパスタ」、メインに「フィレンツェ風カツレツ」。お腹が膨れたところで観光再開です。
サン・ジョバンニ洗礼堂にある金ぴかの「天国の扉」。文字が読めない人が多かった時代に、旧約聖書の物語を伝え継ぐための絵が描かれています。
ドゥオモ内部の天井画。素晴らしいです。
そして、本日のメイン、ウフィッツィ美術館の見学です。当然、写真撮影禁止。
「ヴィーナスの誕生」「受胎告知」「聖家族」「プリマヴェーラ」等々の数々の名画等を観賞。勿論、美術史に詳しい現地日本人ガイドの解説がなければ、何が何だかわかりませんよ。よかった、ガイドさんに感謝を伝えました。
美術館前では、警官が雑談中。イタリアは警察が何種類があるので、どういう役目の人かわかりません。
街角には「幸運の子豚(イノシシ)」の像があります。口にコインを入れて鼻先を撫でると幸運がもたらされるようです。鼻先だけピカピカ。
皮の街だけあって、露店でも皮製品がたくさん売られてます。
私は、ガイドさん紹介のお店”ADRIMAR”(実はトイレを2度ほど借りました)で財布を購入。
夕食は、オプションで頼んだスペシャル・ディナーです。ミケランジェロ広場にある「ラ・ロッジャ」で眼下にフィレンツェの夜景を見ながらの食事。(実際は部屋が明るくて、窓への明かりの反射で外が良く見えません)
メインは、私が「鴨のロースト」、奥様が「黒鯛のフィレ」です。
勿論、ワインも楽しみました。(続)
メストレのホテルを出て、ベネッツィア島を繋ぐ橋を渡って港に着いた。ここから小船でジュデッカ運河を進み、島内観光に向かう。ここは117の島からなり、400以上の橋でつながり150の運河がある水上都市だ。
ドゥッカーレ宮殿を繋ぐ「ため息の橋」は、裁判で有罪になった囚人たちが隣の牢獄(右側)に渡る時に、窓から外の街並みを見てため息をついたことに由来する。
こんな風に見えたのだろうか?
一方、宮殿内部は豪華絢爛です。階段を上ると黄金の天井。この階段から先は撮影禁止なので残念。
そして、隣のサン・マルコ大聖堂を見学。ミサが優先なので終了を待って入場できた。この町は、軟弱な地盤の上に松杭を打って基礎をつくり、その上に建物が建てられている。この大聖堂も地盤沈下の影響で床は不規則に傾いていた。入口付近は潮が満ちて水たまり状態。ここも内部は撮影禁止。黄金の天井図など大迫力でしたよ。
お決まりのコースですが、ベネチアングラスのたたき売りです。本当に叩いて音を出してました。手作りなので同じ品物でも一つ一つ違った音が出るのです。一寸値が張りましたがお土産に購入。
この後も定番のゴンドラ遊覧です。6人乗りです。小運河がら大運河に出て、島内最大の橋「リアルト橋」の手前で戻ってきます。所要時間、約30分。
リアルト橋から大運河を見るとこんな感じ。船の往来も多いですね。水上バスの停船所がいたるところにあり、運河が交通手段になっていることが一目瞭然です。
小運河の交差点には凹面鏡が…、これで船の衝突事故を防止しているようです。やはり運河は道路と同じだ。
昼食の前菜はイカ墨パスタ。まあ普通の味です。
メインはシーフードフリッター。イカや海老など海の幸の唐揚げです。料理としては平凡かな。
例によってお腹が膨れれば良いレベルです。
映画「旅情」の舞台になったヨーロッパで最も古い喫茶店「フローリアン」。コーヒーの値段も都内一流ホテルと同じくらいとか。10ユーロ以上するようです。バンド演奏付ですが、これも10ユーロほどオンされると聞きました。
8ユーロ払い鐘楼の展望台に登りました。島全体のパノラマが展開します。これならば安い!素晴らしい眺望。少し躊躇ったが、登ってよかった!
こんな風景も、ここだけです。
ベネッツィアは世界一周や地中海クルーズの船でいっぱいです。なんと、クイーン・エリザベスが入港してました。海に浮かぶホテルそのものでした。
この日は、フィレンツェまで移動して宿泊です(続)
いよいよミラノ市内観光です。成田からの24名とセントレアからの4名が合流し総勢26名+添乗員1名の団体ができました。のっけから、今回の旅行の山場です。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にある、レオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐の入場予約が取れたので、観賞できることになりました。予約時間を待つ間に、教会内部を見学です。
最後の晩餐は、教会の隣にある建物にあります。
入口には、世界遺産の認定プレートが掲げられていました。15分間の観賞時間が与えられます。
勿論、撮影禁止(画像はネットからDLしたイメージです)。その迫力と立体感に圧倒されます。部屋の片隅に絵を立体化した石膏模型がありましたが、絵の方が奥行きを案じられるから不思議です。
ガッレリーア・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世は十字形の商店街にかけられたアーケード。統一イタリア初代国王の名がつけられており、スカラ座とドゥオモを結んでいます。
アーケードを出るといきなりドゥオモが出現。なんと入場料タダですが、団体旅行者は入場禁止です。ここで、解散して個人として入場です。
入口を入ると、ずーっと奥にキリスト像とステンドグラスが見えます。
ステンドグラスは説明してもらわないと絵の意味がわかりませんが、美しさはわかりますね。
昼食のメインはミラノ風カツレツ、前菜はミラノ風リゾット(しんめしリゾットといった感じで固め)でした。これもお腹が膨れればいいレベルの味です。
午後は、ベローナへ観光バスで移動です。ボルボの旅行社特注バスです。全部と中央に乗降ドアがあります。椅子の間隔を広くしてあるのが特注といってました。
歩道にトライアンフのバイク。自然に町並みに溶け込んでます。
ベローナは、中世の町並みがよく残っており、2000年には「ヴェローナ市街」が世界遺産(文化遺産)に登録された。古代ローマ時代の劇場「アレーナ」は、円形劇場としてはコロッセオに次ぐ規模。
エルベ広場にお土産物等の露店が並ぶ。
ヴェローナはシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台であり、おなじみのバルコニーがある家は「ジュリエッタの家」と呼ばれている。前庭にはジュリエッタの像があり、右胸に触ると幸運が訪れると言い伝えられています。ピカピカの右胸でした。因みに、奥様は人をかき分けかき分け触ってきました。
街角に停めてあったポルシェクーペが目に留まりました。これも街並みに溶け込んでますねー。この後、ヴェネツィア近くのメストレまで移動して宿泊です。(続)
4年ぶりに奥様と海外旅行です。日本からは添乗員が付いてくれないので、セントレア(中部国際空港)では自力でチェックインと出国です。
油断していたらチェックインカウンターに長蛇の列ができていた。
利用航空会社はルフトハンザドイツ航空。ANAとの共同運航便になっているようだ。同じスターアライアンスグループなのでANAのマイレージを付けてもらえた。
搭乗するのはLH737便、エアバスA340-300は珍しい4発機。B777の登場以降影が薄くなった感がある。でも、私には初体験です。
経由地のフランクフルトまでは、約12時間の長旅になります。
離陸後暫くして、南アルプスの後ろに富士山が望めました。うーん、ラッキーだね。幸先よさそうです。
ドイツの飛行機に乗ったので、迷わずドイツビール(ルフトハンザは無料です)をいただきました。あっさりしていて飲みやすい。満足満足!
昼食は、牛肉のソテー等をチョイス。何故かうどんも付いています。メニューの組み合わせ、味については多くを期待してはいけませんね。お腹が膨れることが大切です。
ロシア北部の北極圏近くを飛ぶので、地上は真っ白な雪景色。地上が近く見えますが高度約11,000メートルの成層圏を飛行中です。
日本時間では夕食になりますが、オクトーバーフェスト名物料理とうたってある機内食です。ソーセージ主体のものをチョイス。ソーセージは美味しかった。他は…文字にするほどのものではありませんね。
北側に大回りしているように見えますが、丸い地球を考えれば最短距離なんでしょうね。エコノミークラス症候群になりそうです。でも、メン・イン・ブラック3とアメージング・スパイダーマンを観賞できたので、まあ良しとするかな。
フランクフルトへ到着し、パスポートコントロールを終えて、乗り換えのためにターミナルを繋ぐ長~いトンネル通路を移動です。エレベーターに2回乗り上下の移動も含めてたっぷりと30分以上かかりました。さすがにヨーロッパで3本の指に入るハブ空港ですね。セントレアがど田舎の地方空港に思えてきます。ここで時計を7時間遅らせます。(まだサマータイムです)
最新の総2階建4発機のA380が並んで停まってました。このエリアは全てルフトハンザが独占しているようです。
ここから、国内線のようなA321で南へ約1時間のフライトです。名古屋から同じツアーの新婚さんがいるはずですが、良くわかりませんでした。まあ、最終到着地で合流できるでしょう。
イタリア北部の山々の上空を飛び、ミラノ・リナーテ空港へ到着。
ミラノ市内のホテルに入って本日終了。移動・移動の初日でした。明日からはいよいよ観光の始まりです。(続)