Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

ラース・フォン・トリアー「奇跡の海」

2006-06-24 17:30:23 | cinema
奇跡の海 プレミアム・エディション

ジェネオン エンタテインメント

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1996デンマーク
監督・脚本:ラース・フォン・トリアー
撮影:ロビー・ミュラー
出演:エミリー・ワトソン、ステラン・スカルスガルド、カトリン・カートリッジ

トリアーにしては後味は悪くなかった。

愛情というのはとってもデリケートなものなのだ。
ちょっとしたバランスや、タイミングや、さじ加減で、
安定したり揺らいだりする。

雨も降れば風も吹くし
晴れの日もあれば嵐の日もある。

なんてせつないんでしょう。

**

人よりちょっとだけ愛情が過剰なベス。
義理の姉にいわせると、「全て与える」ベス。
ベスは油田労働者のヤンと結婚する。
愛情ではちきれんばかりの結婚。
しかしヤンは油田で働きにしばらくは家を留守にしなければならない。
ベスは苦しむ。その喪失に耐えようとする。
彼女は神に祈る。早くヤンを返してください。
願いは聞き届けられるが、しかし、それは事故でヤンが負傷して戻ると言う形で実現する。
自分を責めるベス。なぜあんな願い事をしたのか・・・

全身麻痺となったヤンは、ベスに、他の男と性行為を持てという。
そしてその様子を話してくれ、それが自分の生きる力になるという。
ヤンの命を救うために、ベスはヤンの妄想を実現しようとする。
そしてしだいに意識と行動が乖離して精神の安定を失ってしまう。

ベスはいかにも悪そうな船乗りを相手にしようとしたが、逃げ帰る。
そこにベスを精神病院に入院させようとする医師の手が。
病院に運ばれる途中で逃げ出すベス。
しかし近所の子供たちに「売春婦」とののしられ、
家に帰ってもドアを開けてもらえない。
教会に行くが、ベスの所行が冒涜とされ、長老たちから追放を言い渡される。

ヤンの病状がよくないことをきき、なおも再び船乗りのところへ行くベス。
それがヤンを救う方法だと思うベス。
しかしベスは無惨な姿で船から救出される。
「すべてまちがっていたんだ」とつぶやいて、ベスは死ぬ。

しかし、ヤンはベスの死を契機に回復へ向かう。
ベスの死を看取った医師は、ベスは「善意」によって死んだと証言する。
教会に埋葬の許可は得たが、長老たちは、ベスは地獄に行くといいながら埋葬する。
けれどベスの遺体はひそかに海に運ばれ、ヤンと最後の別れをする。

再び油田にむかうヤン。
仲間に起こされて寝床から外に出たヤンが聴いたのは・・・・

***

かわいそうなベス。

愛情と善意に満ち満ちているのに、バランスをちょっと欠いた愛。
そしていちばんこわれやすいやさしい者がほころびくずれてしまう。
そしてその真実は外側から観るとなかなか理解されない。
愛にはそんな一面があって、とても胸が痛む一面なのだ。

トリアーは得意のハンドカメラによる感情の流れを追うような編集で、
そんな儚さを見事にとらえていると思う。
ラストの仕掛けは、ベスの死の真実が奇跡に繋がっていたことを訴えて胸にせまる。
これはいい作品だと思った。

エミリー・ワトソンは、冒頭の数カットで、表情だけでベスの優しさともろさをしっかり表現している。
魅力ある俳優さんだ。


あまり触れなかったけれど、義理の姉ドド(カトリン・カートリッジ)もとても重要な役だ。
ベスを暖かい愛情で包み込む。

撮影はヴィム・ヴェンダース組のロビー・ミュラー。
こういう撮影もできるのか~と感心してたら、
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も彼だった。

そうそう、いくつかの章だてになっているのは、後のドッグヴィルにも通じるところ。
でも章のタイトルに流されるエルトン・ジョンとかデヴィッド・ボウイとかディープ・パープルとかは
ちょっと意味不明だったなあ。
コメント (2)
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ジャン=ピエール・ジュネ「エイリアン4」

2006-06-24 01:38:53 | cinema
エイリアン4

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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1997アメリカ
監督:ジャン=ピエール・ジュネ
出演:シガーニー・ウィーヴァー、ウィノナ・ライダー

エイリアン4作目。
観る方もすっかりエイリアンに慣れたせいか、あまりこわくなかった。

全体に、かなり理屈っぽいつくりだった。
密輸であったり、裏取り引きであったり、
軍の秘密事業であるクローン実験室を焼いてみたり、
ロボットが自己改良版の第二世代だったり、
エイリアンの学習能力とか知性とかを描いてみせたり、
「母性」を得て人間的愛情のあるエイリアンを登場させてみたり
ハッキングで軍の陰謀を知ったロボットがそれを阻止しようとしてみたり・・・・

先入観のせいかもしれないが、そうした雑多ぶりは、あまりアメリカ映画のそれではなく、
やはりヨーロッパの感性なような気がするのだ。
ストレートに怖さを追求するでなく、エンターテインメントに走るでもなく。
細部にこだわり、雑多な現実を描こうとする。

(1から見てきた観客の余裕のもとでの)見どころは、
エイリアンが知的なそぶりをみせ、チームワークさえ見せるところだろう。
繁殖された檻からの脱出は、仲間を犠牲にして種の衝動を追求する、
なんだか蟻とか蜂の生態を思わせて、なんというか野生のたくましさ。

もう一つは、前作からひきつがれる、リプリーの母性とエイリアンの関係である。
一度体内にエイリアンを宿し、クローンとして再びの生を得たときにエイリアンの遺伝子を受け継ぎもした彼女は、
ここではエイリアンの母として、行動を読んだり、愛情を受け入れたり、死を悲しんだりする。
ここまでの深い関わりは「1」では想像もできない。
こんな方向に進むなんて驚きだ。

全体としてはテンポ緩め、前作たちのもつ根源的恐怖という密室感も希薄、
SFXもちょっとチャチ目。
シリーズ内ではちょっと別モノという感は否めない。

ウィノナ・ライダーがういういしくていい。まだまだ脇役といった風情。
監督はこの後、5年の沈黙の後に「アメリ」を撮る。
コメント (6)
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