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Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「狂気の巡礼」ステファン・グラビンスキ 後半読みました

2016-12-29 02:33:17 | book
狂気の巡礼
クリエーター情報なし
国書刊行会


ちょっと前ですが、やっとこさ後半を読み終えました。

本書『狂気の巡礼』は、グラビンスキ生前に発表された二つの短編集(『薔薇の丘にて』『狂気の巡礼』)からの訳出ということですが、後半は『狂気の巡礼』からの8編。

一つ目の『灰色の部屋』は、本書に通底している、場所が孕む魔という主題を根幹にもつ代表作。
前に住んでいたところがどうにもいたたまれなくなった主人公が転居したのだが、どうも新居もなんともやばい感じがしてきた。。と思ったらなんとその新居は・・・・!?
というお話(要約しすぎ)なんですが、話の展開もさることながら、
テーマに関する著者の見解がさりげなく書かれているのではないかしらというような箇所があって、
本文と注釈がごっちゃになっているような印象があるのが面白いです。

長期に住んだ家などに、人間の精神の残滓のようなものが残るということは
比喩としてのみ受け取るべきではない、とか急に書いてある。

場所、というのはつまり家や家具などの無生物なわけで、
無生物に精神エネルギーが浸透して、家主が去った後も残り、
周囲に影響を及ぼす、というのがこの短編集の基調となる薄気味悪さですね。

日本だと地縛霊というニュアンスになりそうですが、
ここではあくまで物に染みこんだ精神なので、
物を撤去してしまうと、精神エネルギーにも居場所がなくなるようです。


2つ目「夜の宿り」もまた、精神の残滓が人の夢に影響を与えるという主題ですが、
この短編の面白さは、全編ほぼ暗闇の描写であることですね。
闇の描写とはすなわち主観のみの世界というか、自分の感覚が生起するイメージだけの世界で、
その描写から夢の描写へのつながりが地続きなところが上手いと思う。

3つ目「兆し」は趣の違う作品。
どうやら恐ろしい事件が起きたのだが、誰もその現場を見ておらず、
読者にもその内容が伝えられないという面白いホラー。
傍観者というか(観ていないから違うか・・)第三者の抱く恐怖心もまた
主題になりうるという、手法的なかっこよさ。

4つ目「チェラヴァの問題」はジキルとハイド風の対照的な人格の話だけど
二重人格ものではない。いや、そうとも言えるけどちょっと違う。
面白いのは、この人格の対照性をネタにしてチェラヴァ氏が稼いでいること。
記憶や思考が両者で共有されていること。
劇的な終焉ののちもそれをネタにするチェラヴァ氏はちょっとしたたか。
精神分析医という存在が神秘と最先端の感覚を人々に与えた時代のもの。

5つ目「サトゥルニン・セクトル」
主に時間をめぐる哲学的な考察、それに精神の交流もしくは分身というテーマが絡んでいる。
繰り返し読みたい小編。やはりどこか埴谷雄高風。ウェルズへのちょっとしたアンサー。

6つ目「大鴉」これも人間の強い思い(というか妄執というか怨念というか)が
事物にとりついているお話。
グラビンスキの好きな、植物が繁茂する負の力場のような裏庭的空間の描写が冴えている。
そういう場所に心惹かれる主人公も定番。

7つ目「煙の集落」は、毛色の違う辺境探検モノ。舞台も北米。
着想がとても奇妙。異文化との出会いがお互い不幸なパターン。
謎の集落の描写が細部にこだわった病的な感じがする。
ドイツの冒険作家カール・マイの影響下にあるという話ですが、
カール・マイといえばあれですよ、シーバーベルクの1976年の映画「カール・マイ」。

そして8つ目「領域」。タイトルは「領域」なのか。う~む???
ワタシはこれが一番怖かった。映画にしたい。トラウマ映画になるだろう。
夜になると敵意を持ってこちらを見つめる人影が・・しかもだんだん増えてくるって。。
そんでもってラストに生まれ出るあれはいったいなに??


後半戦はわりと理知的な怖さを書いているという印象ですが、
最後の「領域」でまた理屈を超えた異様を表現しています。

また、ストーリーの奇想もさることながら、人物の性格設定であるとか、
ちょっとしたシーンの描写が細かく具体的に織り込まれており、
一話ごとの世界を立体的に立ち上らせる感じです。
「チェラヴァ氏の問題」はテレビドラマ化されてるということですが、
確かに映画のカットを想起させる描写にあふれています。


というわけで、グラビンスキ邦訳2冊目でした。
他のものも読みたいので、興味がわいた方はぜひこの「奇跡の巡礼」を購入して、
次の作品への機運を盛り上げてくださるとよいかと思います。

装丁と装画もすばらしいです。


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「狂気の巡礼」ステファン・グラビンスキ

2016-11-12 18:47:58 | book
狂気の巡礼
クリエーター情報なし
国書刊行会


すみませんまだ前半読んだだけですが。。。

実はポーとかラヴクラフトとかあまり読んだことがないので、比較文化的にどういう水準にいるのかはっきりとはわからないのですが、ポーランドのポーと称されるグラビンスキの、日本での本格的なリリース第二弾は、まさにタイトル通り、これは相当狂ってます。
ポーやラヴクラフトもこの水準なんですよということであれば、やはりそちらもちゃんと読んでおくべきでしょう

狂気とはこういうもののことだと深く納得させる短編が次から次へと。
いやーすごい。

特にビビったのは3つ目の「接線に沿って」。
自分の行動や思考の動きと、外部からの影響について、楕円と接線で説明するところが、とにかく狂っている。
主人公の奇矯な行動や死の暗いイメージよりも、その背景にある認知の仕方が、もうイかれているのが恐ろしい。

こういう発想を記述できるグラビンスキ自身も相当恐ろしい。考えて捻って出てくるものなのだろうか。だとしたら作家というのは底知れぬ能力を持っている。

ということで、一編は割と短めなのに読むのにすごく時間をかけてます。頭クラクラするので。


全体を貫くテーマの一つが、場所の持つ狂気の力。催狂気性(と勝手に名付ける)。
「狂気の農園」はそのテーマど真ん中の作品。
心霊スポット的なヤバい場所は、確かにここにいたらマズイという第六感を刺激する。こういう感情は世界共通に持っているんだな我々は。

こういうテーマで世界のアンソロジー作ったら面白いと思う。すでにありそうだけど。

あとワタシの読書体験的に連想するのは、埴谷雄高の「死霊」でしたね。手触りは違うけど、狂い方に通じるものがあると思う。


後半も楽しみです。

芝田さん色々な作品を世に届けてくれてありがとう。


あーあと、装丁が良いですね。
こういう雰囲気の装丁は80年代にも流行った感じです。


こちらも!
動きの悪魔
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国書刊行会
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「23000」ウラジーミル・ソローキン

2016-10-27 01:40:00 | book
23000: 氷三部作3 (氷三部作 3)
クリエーター情報なし
河出書房新社



「氷三部作」の最後「23000」を読みました。

氷による目覚め、選民思想、世界を巻き込む救済を求めた集団の88年に及ぶ活動の終焉が、意外な顛末で描かれる驚きの最終巻でありました。

ある意味無垢な原理と救済が、外面的にも内面的にもカルト的で全体主義的な集団を形成するという、人類史的な洞察を軸に、その外部、誤った世界としての現実の20世紀(と21世紀)の歴史が俯瞰され総括される。そういう総合小説をソローキンは書いたのだと思いました。

当初は現代の即物主義、主知主義への幻滅とそれに対しての魂の回復が色濃く描かれていた三部作ですが、終盤に至り、それまで「光」の兄弟姉妹たちが肉機械と称して唾棄していた「人間」の側のストーリーがやおら立ち上がり、最終的には「光」と「肉機械」の間にいる「死に損ない」が残るという、ある種の和解が示されます。

魂の側にありしかし全体主義的な「光」の兄弟団を勝利させなかったことは、歴史の必然としてそうしなければならなかったとみることが出来ましょう。

一方で、退廃と滅びの「肉機械」の勝利としても描きえない。生き延びるのは、肉でありながら心臓(こころ)の声を感じ取り神と話したいと願う存在であるというところは、調和、和解、第3項にこそ希望は託されるというメッセージを読み取らざるをえません。

「肉機械」の世界で、彼らの世界の中での「和解」を論じる集会が終盤に描かれています。それは希望に彩られてはいるものの前途多難な様相を呈しているわけですが(レーニンの遺体(禿げた肉機械の皮)の処遇ですらまず合意できません)、とにかく20世紀の歴史の後で全肉機械の和解を話すに至った彼らへの、細い細い希望をここに植えつけているのだと思います。

第3項である二人オリガとビョルンは、最後に、神と語る方法を人間界に戻って訊こう、と言います。人間界にまだ残るであろう知恵を、和解の人である彼らが汲み取り、この先を牽引する、そんな希望を感じました。

あろうことかソローキンに、そんなメッセージを読んでいいのかと思わなくもないですが、ワタシはまあこう思いました。

******

三部作を通して多くの人物がそれぞれ一人称で長く物語る場面が多いのだけれど、
そこでの文体の変わり具合がよく訳しわけられていたと思います。
というかロシア語でもそういう文体の違いというのがあるわけで、
その違いを理解できるというところは翻訳者というのはすごいなあと思っちゃうわけです。

特に本作では強烈な文体(モグラ人間とか飛び少女とか)が出てきてすごいです。

あとちょろっとデヴィッド・リンチが登場するところがうれしいのと、
結構日本の風俗をよく知ってるな~と感心する個所もあり。



氷三部作1「ブロの道」の記事はこちら
氷三部作2「氷」の記事はこちら
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「マリー・アントワネット」惣領冬実

2016-10-25 03:11:26 | book
マリー・アントワネット (KCデラックス モーニング)
クリエーター情報なし
講談社


マリー・アントワネットの物語というとやはり
反射的に革命に至る激動の物語を期待するわけだが、
こちらの、ヴェルサイユ宮殿監修による『マリー・アントワネット』は
マリーのお輿入れから宮殿での生活を、
最新の研究成果などを織り込んで描いたもの。

ルイ16世が長身のイケメンで、不器用ながら聡明なところを見せるところや、
マリーが、豪奢に明け暮れ民衆の困窮に無頓着な貴婦人ではなく、
自身の立場に戸惑いながらも状況について考える少女であるところなど、
従来のイメージを覆す要素が満載である。

人物像だけでなく、服飾や宮殿の意匠、宮殿での作法やふるまい、
あるいは輿入れのときの街道の風景などにいたるまで、
徹底した考証が反映されている。

物語としてのインパクトは弱いかもしれないが、
そういう細部に至るまでの史実がぎっしり詰め込まれており、
従来の定説をひっくり返すという点では、
帯に書かれた惹起である「歴史に革命を起こす」という売り文句も
そんなに大げさではないということがじわじわと分かってくる。

ということで、ベルばら世代とか歴女の方とか真実を知りたい人(?)にはおすすめ。

****

日本側の企画かなと思ったんだが、どうも
フランス側からのオファーで出来た作品のようです。
フランスでの「マンガ」受容は、受容第1世代が大人になって、
ざっくりいうと一層の深みを持ち得る段階にあるので、
フランスの出版社などではそこに文化的なチャンスを見出しているということですね。

そういう点では、総領冬実さんの資質はばっちり適任て感じです。
ここまでフランスの文化を具体的に絵として表してくるのは
日本のマンガ文化ならではという感じがします。

巻末の30ページくらいが解説に費やされていて、これも本編理解のためには必読。
あと、関連本で『マリー・アントワネットの嘘』も必読。
こちらには『マリー・アントワネット』制作の経緯や、
最新研究における新事実や、
総領冬実さんと萩尾望都さんの対談などもあり。

マリー・アントワネットの嘘
クリエーター情報なし
講談社



あと、個人的には、冒頭のプチ・トリアノンの建物や風景の描写にムネアツ。
昨年行った時の空気感がよみがえった。

そんでもって、とても大変そうだけど、この路線で続編続々編があるといいなあ。。。
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「氷」ウラジーミル・ソローキン

2016-10-04 02:06:11 | book
氷: 氷三部作2 (氷三部作 2)
ウラジーミル ソローキン
河出書房新社


ソローキン「氷」読了
先に「ブロの道」を読んでいたので、困惑することはなかったが、
第1部はミステリアスな構成

背景を知ることがなかったら、一体何が起きているのか
全くわからないだろうと思う。
その点では、執筆順に「氷」から先に読むのも面白いと思う。
説明なく常識はずれのことが次々起こるのは
タッチとしてはストルガツキーを思い出す感じ。
ストルガツキーよりは整然としているけど。

第2部で一応の種明かしがある。
第2部をさらに詳細に語ったのが「ブロの道」ということになるのかもしれない。
第3部と第4部はちょっとコンセプチュアルな側面。

しかしこの選民思想的なユーフォリア物語はどう収束していくのだろう。
確かに「氷」だけでは不足なのかもしれない。
人間の営みを徹底して異化して蔑んで見せるこの物語、
それは絶望なのか、
人間にはもはやどこにも希望をつなぐ地点などないのだということなのか

金髪碧眼、過剰なまでの同胞愛、他者への徹底した冷淡さ、神話的起源への絶対的信頼
などなどは、むしろ人間の歴史の暗い側面を強く思わせる。
そこにはおいそれと未来の希望を託すことなどできない。
その意味でこれは深い絶望か、恐ろしい全体主義かのどちらかに転んでいく
救いのない小説なのだ。

次の「23000」ではどうなっちゃうのか、恐ろしい・・・

しかし、これを間に受けて小説と現実の区別がつかなくなるヤツがきっと何人かはいると思うと
背筋が凍るよ。
今頃実際に氷のハンマーを作っている金髪碧眼のロシア人が絶対一人か二人いるよなあ・・・


ああ、これは出版は2002年だからもう古いのかもしれないが。

あと金髪碧眼ってところが、少しほっとした
これが東洋人的な特徴を持った奴らだったら、
日本でも妄想に囚われて氷のハンマー作るやつが出るところだ。
今の日本はそういう選民思想的なことはすぐに蔓延するからな。


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「ブロの道」ウラジーミル・ソローキン

2016-09-13 01:44:09 | book
ブロの道: 氷三部作1 (氷三部作 1)
クリエーター情報なし
河出書房新社


ソローキン「氷三部作」の一つ目を読みました。
執筆順では2番目、作品の時系列では1番目ということなので、
悩んだけど『ブロの道』から読み始めることにしました。

一貫して主人公であるアレクサンドル(=ブロ)の視点で語られていて、
語り口も起伏はあるものの重く沈着した感じ。

内容は奇想を孕むものの、小説らしい小説となっていて、
ロシア文壇で批判、論争が起きたというのもよくわかる、
ソローキンらしからぬ作風。

『氷三部作』が「心」への回帰を匂わせる点に対して、ポストモダン的批判が寄せられたのだが、
ソローキンは批判に対して「いつもと異なる方面から自分たちを見るという直感的な試みの一つに過ぎない」と反論し、
また汎テキスト的な視点にある批評家や学者を批判している。

この批判は2つのベクトルを持っているように思う。
ひとつは「作者の死」を前提とするポストモダン的、コンセプチュアル的な方法や観点の閉塞感への挑戦。
もうひとつは、「作者の心」、形而上学的なスタイルへの「回帰」を、あたかも魂を売り渡したかのように捉え
批判を向ける考え方の不自由さの指摘。

ソローキンは実践者として、19世紀的な主観的な方法もまた、
それを否定するコンセプチュアル的な方法と配置できるものとして、
可能性を広げるツールとして用いることで、ポストモダンが新たに提示してきた
「枠」をさらに乗り越えようとしているのだろう。
そのある意味相対主義的な態度が、作品が提示している「心」の文学の「真剣さ」を
疑わしいものにしている、というさらなる批判を生んだとのことだが、
その批判こそがまさに近代的な発想に止まっているということになるだろう。

****

「ブロの道」の中身だが、つい最近たまたま某所で某氏とツングース隕石について
与太話を交わしたところだったので、その偶然に驚いたりしているわけです。
読むべき時に本書を開いちゃった感あり。

某氏とは、ツングースカ川に行ってみたいもんであるとか話したんだが、
ロシア通の彼も現地に行くのは熾烈を極めるだろうと言っていた。
本書前半でもその熾烈な探検の様子が描かれている。
観光地化してくれないかなロシア政府。

中盤からは、宇宙の起源に源を持つ光の一族が同族を探す物語になっていくのだが、
現実的な熾烈さは引っこみ、世界から23000人を探し出すという途方もない企ての割に、
ご都合主義的にとんとん拍子に事が進む感じ。

それも、一族の超越的な視点から、ツングース事件以降のヨーロッパ史を冷徹に俯瞰するという
意図からもたらされたものだろう。
特に途中主人公たちが「心の眼」で世界を見るようになってからは、文体から若干の変化をして、
徹底的に世界を突き放して見るようになる。

普通の人間たちはもはや「肉機械」呼ばわりだし、ドイツ語を話す肉機械の国で、
強烈な思考を持ち人前で大きな声で話すのが好きでたまらない1つの肉機械が権力を握り、
先祖がその国に住んでなかったというだけで他と変わらない肉機械を迫害し始めたみたいな書き方になってくる。
徹底的な俯瞰。

一族にしても、仲間に対する愛は宇宙規模で深いのに、人間たちに対する愛情は欠片もない。
無常で無情の人間の歴史の上に、無情な一族のネットワークレイヤーがかぶさっている。
この先一族は、人間は、どうなっていくのか。次は『氷』を読むよ〜。


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「ゼンデギ」グレッグ・イーガン

2016-07-26 02:36:42 | book
ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)
クリエーター情報なし
早川書房



イーガンの多くの小説の中で既に前提となっているテクノロジーは、演算に人間の意識を移し替えること、
人間は演算で作り出される世界で「生きる」ことができる、というもの。

コンピュータ内に移住するみたいな感じだ。
もしくは自分をアップロードする。

これによって人間はいくらでも長い時間を生きるし、しかるべきデバイスにインストールすることでどこへでも、
どんな遠くでも行くことが出来る。

ということを前提に、イーガンはとてつもなく壮大(でついでに難解w)な物語を提示してきたのだが、
本書「ゼンデギ」は、その前提テクノロジーの黎明期、もしくは誕生のお話。
あるいは誕生前夜。


前提テクノロジーを所与のものとして、壮大で多様な物語を繰り出しているイーガンは、その前提を定番ネタとして活用しつつ、なぜどうやってそれが可能かということについては、触れずにそっとしておいても何の罪もない。
SFというのはむしろ、原理的に「どうやって」が明確でないものを巧妙に感じさせずに前提にすることで、現実の檻を越え、想像の世界に大きく羽ばたくものだと思うのだ。
現にイーガンがそうしたように。

しかし彼はここでその「どうやって」を追求することで小説がひとつ書けることを示した。
それは、アイディアとしてのメタ小説的な試みであるだろうけれど、イーガンを読む上で避けがたく考えることになるモラルの問題(テクノロジーが既存の規範を根底から揺るがす時に我々はなにをどう判断し許容するか)を、小説での振る舞いにも適用したということでもあるだろう。

そのことは、イーガンファンなら何となくさもありなんと好意的にうなづいてしまうような嬉しさを伴うし、ここで展開される「どうやって」は、多くの困難を乗り越えかつ迷い一進一退しつつ進む技術開発の実際のところをよく描いていて、これまた真摯な印象を与える。

テクノロジーの黎明がイランの複雑な政治や生活と絡んで、やはりいつもの技術的なこととモラルの問題にも深く触れるし、その中でのひとりの個人としての思いのようなものもしっかり描くし、要するにいつものイーガン的な感動がしっかり詰まっているので、嬉しいのである。

*****

訳者の山岸さんが巻末に書いているので、読後に再び第一部の第1章を読み返したみたが、いや、まさに、ここには小説の言わんとすることの多くがぎっしり詰まっているではないですか。
読後の読み返しを強くお勧めですね。

ヴァージンプルーンズやザ・レジデンツの扱いに笑っている場合ではない感じですw
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「新カラマーゾフの兄弟」亀山郁夫

2016-06-30 04:04:38 | book
新カラマーゾフの兄弟 上(上・下2巻)
クリエーター情報なし
河出書房新社


新カラマーゾフの兄弟 下(上・下2巻)
クリエーター情報なし
河出書房新社




ロシア文学者亀山郁夫氏の初めての小説ということ。
蓮實重彦氏が例の会見で、「散文の研究者は小説くらい書けるんです」みたいなことを仰っていたと思うが、まさにその言葉を実証するかのよう。

カラマーゾフの深い読みと研究成果が、満遍なく隅々まで練りこまれた面白いミステリー長編です。

まず章立てがカラマーゾフと同じだし。
現代日本に舞台を移した謎解きだけど、人物の名前もいちいちカラマーゾフの登場人物と対照しているし。
話の筋やディテールもかなりカラマーゾフを思わせる造りになっている。

そういう枠組みを使って、現代日本のバブルからオウム以降あたりまでを描いてみせるのだが、そこではカラマーゾフの問題軸、罪と聖性、神秘と理性、罰の受容のようなことが、現代でも立派に成り立つことを示している。

バブル-阪神淡路大震災-オウムと、日本人が狂っていく中で、我々は何を重んじて生きていくべきかという問いと試みが、主人公黒木リョウ=アレクセイ・カラマーゾフの行動や思い、そして終盤の演説で示されるが、それは帝政末期のドストエフスキーの時代における困難さに劣らず、困難で身を削るような試みである。

読者はカラマーゾフと同様にそうした問いを受け止め、真摯に生活の中で答えを求め実践していくのか、あるいは易く悪魔に心を預け生きていくのか、考えて行かねばならないだろう。そういう恐るべき選択を迫る小説になっているだろう。

**

しかし、盛り込んでますw
よくここまで世の森羅万象を盛り込んだと思わざるをえない。
ひとつひとつの細部に、これはなんなのか、なぜここに出てくるのかを考えたくなる魅力というか、ある面では脈絡のないまでに不思議な挿入が面白い。
列挙したいところだが、それだけで本ができてしまうと思う。


黒木リョウが最後にあのような地位で演説をするのはどうなのか。それは現代日本においては有効なのか?と疑問であったが、リョウは短い期間の後その地位を捨てることにもなり、そこ以外では語る場所がないという閉塞感なのかなとも思う。

倉里=クラソートキンが何をしでかすのかドキドキだったがなぜかフェードアウトしてしまうのもなんだか?であるが、これはカラマーゾフの枠組みを反映しているのであれば、ここまでということなのかもしれない。続編があるのかも??

あと、小説中で本家「カラマーゾフの兄弟」をざっくり要約した物語も披露されるのが可笑しい。
カラマーゾフを下敷きにした小説に、さらに小説内小説でまたカラマーゾフがでてくるのがなんとも刺激的です。


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「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー亀山訳

2016-04-20 21:58:23 | book
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
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光文社

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
クリエーター情報なし
光文社

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)
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光文社

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)
クリエーター情報なし
光文社

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
クリエーター情報なし
光文社


農奴制が廃止になり地主が徐々に凋落していく
社会主義者が台頭し始める
ロシア国教はヨーロッパのカトリックやプロテスタントの影響を受けながらも傍流の怪しげな宗派を擁しつつロシア的な情緒を孕み続ける
民衆はやはり貧しく貴族階級や役人といえど先細る
科学の成果が人々の生活や信念にじわじわと影響を及ぼし始める
合理主義と神秘主義が混交しせめぎ合う

そんな時代の小説であるが、そんな時代のすべてが人物の言動に溢れかえり渦巻いている。
世の中のすべて、人生のすべてを描いしてしまう「全体小説」が時折出現するが
これは19世紀末に現れた全体小説である。

カラマーゾフ家の父と3人の息子たちの愛憎を軸に、当時の民衆や支配層、あるいは先進的な、もしくは過激な層の思想が、様々な人物の口を借り語られるのは圧巻である。

冒頭近くゾシマ長老が語る素朴で伝統的な宗教思想、次兄イワンによる叙事詩「大審問官」に表れる超越的な人間像、長兄ミーチャが折に触れ語る感情と理性が相反し渦巻く特異な倫理観、少年コーリャによる社会主義・科学主義的な宗教否定、そしてゾシマ長老に深く影響を受けながらもそれらの生々流転を受け止めた末の個の原点に回帰するような(我らが)アリョーシャの呼びかけ。
どれもが激動の20世紀を揺るがし、現代もなお我々の存在の有り様に向かって問いかける力を持った問題軸であることに感動せずにはいられない。

ことに、ゾシマ長老が語り、終盤アリョーシャが追認することになる思想は、個人の体験に根ざした愛や善の発露と、それを源泉とする宗教の成り立ちを考えさせる。宗教とは非科学的なことを蒙昧に信じることではない。誰もが宗教の源泉と無関係に愛と善に生きることはない。そのことを最後にアリョーシャは神という言葉をまったく用いずに語りかけるところは圧巻である。

亀山郁夫訳による本書は、全体の章立てに合わせて4巻+エピローグ別巻という構成になっており、エピローグ別巻は、短いエピローグで幕を閉じた後、たっぷり1冊分ドストエフスキーの生涯とカラマーゾフの兄弟解題が仕込まれている。
また、各巻の終わりにも短めの解説があり、全巻により、小説とそれを理解する手がかりをふんだんに読むことができて、大変なお得感である。

****

誤訳問題とかで刊行後色々と苦しい思いをされたそうだが、そのことで本書の魅力はいささかも損なわれていないとワタシは思う。

本当は子供たちに読ませようと思って買ってきたのだが、ヤツらは根気がないので早々に投げ出してしまった。
仕方ないのでワタシの遺産にして、機が熟したら読んでくれることを願おう。
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ジョン・ヴァーリィ「汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1)」

2015-12-06 02:06:03 | book
汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1) (創元SF文庫)
ジョン・ヴァーリイ
東京創元社


ジョン・ヴァーリィ、読みたいかもと思っていたところに
短編集が刊行されたので早速購入。

で、すっごい面白かった^^
70年代を中心に活動した作家なのでネタ的に古めかしいかもと思ってたんですが
全然そんなことはなかったです。
(強いて言えば最後のはちょっとヒッピームーヴメント的なにおいがするかも??)

地球が宇宙からの侵略をうけて人間が月や火星などに散り散りになった世界を舞台にした短編連作なんだけど、面白いのはそれらのあいだに直接のつながりはなくて、場所も時間もばらばらでテーマもばらばら。SF的設定よりもそこで生きる人間たちのふるまいや考えのほうにフォーカスされてる感じなのよね。

それに様々に発展している技術やらガジェットやらが頻出するんだけど、ほとんどそれらについての説明はなくて、当然あるものとして話が進んでいくのよね。

こういう「不親切」な小説は大好きである。

山岸さんのあとがきによれば、「登場人物が電話を使うときにいちいち電話の説明なんかしないだろ?」とジョンは言ったとか言わないとか。(言ったらしい)

***

冒頭の「ピクニック・オン・ニアサイド」は、ヴァーリィのデビュー作だそうだが、
ここでもいきなり「変身」という技術があるらしいということがなんとなくわかる。
彼らは性の転換をかなり気軽に(しかし彼らなりの葛藤は持って)行っているらしい。

性からの解放というか選択の自由というのは、なんとなく60年代70年代的な感じもする。
フェミニズムなどの影響もあるのかもしれない。
アーシュラ・K・ル・グィンにもそういう設定のものがあるし、萩尾望都にも(SFに限らず)ある。
そういう転換~解放は、これから来るいろいろな奇想を受け入れるための準備運動としては最適かもしれない。
既成の概念にとらわれてはいけないのだということで。

それと、そもそも「ニアサイド」てなに?ということだけど、対する言葉として「ファーサイド」ってのが出てきて、
これは「うら側」ということ。
で、どうやら「ニアサイド」は表側で、地球に近いほう。
つまりこれは月が舞台なのね?とわかってくるのよね。

あと、ほかの作品にも頻出するのがセックスのこと。
彼らは性転換などを絡めつつややこしくしかし気軽にセックスをする。それもとても幸せそうだ。おそらくはセックスが生殖とは切り離されたものになっているのだろう。このへんも70年代の香りがする。

****

あとは、水星では太陽はどう見えてるのかとか、金星の地表はどんな環境かとか、
ブラックホールが近所を通過するとどうなるかとか、SF的な仕掛けが盛りだくさん(で説明はなし)。

ある意味ハードSFなんだろう・

ハードSFといえば、表題作「汝、コンピューターの夢」などで、
脳をコンピューターとつないで「バックアップ」をとり、
本体が死亡した場合はクローンにバックアップをインストールして復活するとか、
意識を動物に落とし込んでしばらく動物として暮らすとか、そういう意識のデジタル化技術が出てくる。
これは後にグレッグ・イーガンなどが所与の技術として採用し、
そこから遠大かつハードなSF世界を構築するところのもので、
現在の豊かなSFの成果の源流となっているだろう。

「汝、コンピューターの夢」はそういうハードSF的な要素に加えて、
今度はディック的な仮想現実、目の前に現れている世界は実は自分の持っている記憶や思考を
コンピューターがくみ取って現前させているものであり、
その気になれば気に入らないやつを消してしまったり、時間を元に戻したりできちゃうという、
なにやらおかしな世界を描いてもいる。

「ユービック」的な、奇妙でコミカルな短編だ。

******

ほかには、金星の辺境を訪ねるふたり(火星の人と金星の人)が困難を乗り越えながらこころを通わせる「鉢の底」や、
クローン+意識のバックアップで再生可能となった人間世界における「殺人」の奇妙な怖さと、
芸術家の苦悩を絡めた「カンザスの幽霊」なんかが面白かった。

まあどれもおもしろいんだけど特にね。


第2巻は2月に刊行予定だそうです。
たのしみじゃ。

あとハヤカワからもヴァーリィ短編集が同時期に出てる。
創元SF文庫のほうは「全短編」ということなんでこちらを読んでますが。

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「動きの悪魔」ステファン・グラビンスキ

2015-12-05 02:35:39 | book
動きの悪魔
クリエーター情報なし
国書刊行会


「ポーランドのポー」「ポーランドのラヴクラフト」の異名をとる
グラビンスキの初邦訳短編集を読みました。

訳者の芝田文乃さんが電子書籍で少しずつ翻訳を公開していたところを
国書刊行会さんが出版にもっていったということです。
絶妙のコンビネーションですね。


ワタシのなかではポーランドというとシュルツ、ゴンブロヴィッチ、カントル
ということになりまして、なんというか、こめかみが痛くなるような先鋭性と
グロテスクな郷愁みたいな、形容に困り果てる世界なんですけど、
グラビンスキはそういう要素を含みつつも表現は平易で
また違ったポーランドという感じです。

一方ではもう一つの極であるレムを生んだことを考えると
ポーランドの懐の深さを感じさせます。

*****

内容は、鉄道にまつわる怪奇幻想譚。
それも主に蒸気機関車の時代の、鋼鉄と石炭の荒々しい鉄道を舞台に
それに魅せられ翻弄される人間たちの不可思議な運命を描きます。

鉄道に魅せられたというより、鉄道が喚起する「動き」や
移動そのもの、スピードそのもののもつ魔力的な魅惑にとりつかれた人々というべきでしょう。
作中ではしばしば、目的地への移動の手段として鉄道を利用する人を軽蔑し、
移動すること、力強い動きだけを目的に鉄道に乗ることをよしとする人物が登場します。
そこには鉄道という新しい技術が切り開いた、新しい魔の世界の入口の存在を感じます。
鉄道にひそむ魔の気配をすくいとって様々に変奏した短編集といえるでしょう。


短編集の構成としては、読み進めるにしたがってどんどん深みに向かうような感じです。
入口である冒頭の「音無しの空間(鉄道のバラッド)」は、鉄道に生きた男の物悲しい末路を描いた切ない短編ですが、
「汚れ男」「永遠の乗客(ユーモレスク)」「動きの悪魔」「機関士グロット」あたりで
かなり魔の影が濃厚になってきます。いい感じです。

ときおり「偽りの警報」で数理的な謎解きを加えたり
「奇妙な駅(未来の幻想)」ではSF風の未来を幻視したり。

そして終わり2編の「シャテラの記憶痕跡」「トンネルのもぐらの寓話」は
しめくくりにふさわしい幻想譚。

「シャテラ~」はグロテスクな事故現場の記憶に魅せられた人物の甘く悲惨な最期を
赤い服の女やころがる首といったイメージをうまく喚起させながら描いた力作。

「トンネル~」はワタシはこれはウルトラQだなと思ったんですが、
代々トンネルの管理をやっていた一族の末裔がとうとう異世界に自ら踏み込んで姿を消すという
彼岸への越境を果たすもので、終わりにふさわしい名作です。
これが一番好きです。

*****

一日一篇という感じで読み進めたんですが、
毎日読むのが楽しみでした。
長編ものが好きでしたが、こうやって短編を読んでいくのも面白いなあ。

巻末の訳者解説の作品解題が大変面白いが、
ラヴクラフトとの親近性についても触れている。
作品的な親近性とともに両者が同時代の作家であることや、
容姿すら似通っていること、
しかし両者は互いにそれぞれの作品に触れる機会はなかっただろうということが書かれている。
同時代性とはそういうものだが、ちょっと背筋が寒くなりました。


装丁もすばらしいです。



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レムやディックの新刊でちょっとした祭り

2015-05-26 03:03:24 | book
短篇ベスト10 (スタニスワフ・レム・コレクション)
スタニスワフ・レム
国書刊行会


長らく動きがなかった国書刊行会のレム・コレクションですが、
突如として?「短編ベスト10」が!
ポーランドの読者人気投票で選ばれたものから、未邦訳のものを集めたということで、
期待大。

レム・コレクションからは「天の声・枯草熱」が重版という話も聞こえてきているので、
こちらも大変おすすめです。

過去記事:天の声 枯草熱


泰平ヨンの未来学会議〔改訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)
スタニスワフ・レム
早川書房


こちらは、映画アリ・フォルマン『コングレス未来学会議』の公開にあわせて、
「改訳」で登場した原作。
映画とはだいぶ違う内容になっているという話は聞いてますが
さて。
本書あとがきでは、確かに違うが立派に本作の映画化となっているとい主旨のことが書かれていますが、
これはレム作品の映画化ではまれにみる印象ではないでしょうか(笑)

がちがちのハード作風の一方でレムはブラックなユーモアを湛えた作品も多く残していて
この「泰平ヨン」シリーズや「ピルクス」ものなどがあり、
晩年までシリーズの作品を残しています。
未訳も多いので今後に期待です。
映画を気にシリーズ一挙邦訳にならないかしら?



ヴァルカンの鉄鎚 (創元SF文庫)
P・K・ディック
東京創元社


さて最後はP・K・ディックの初訳長編!
まだ未訳のものがあったのかとお思いと思いますがw

1960年刊行のディストピア長編ということで、
長らく未訳の長編の代名詞的な存在でありました。

ここまで残った長編てやっぱりアレかしら?と思う向きもありましょうが、
いわゆる駄作というか、破綻長編(笑)にもしっかりディックの持つ悲哀のようなものは
しっかりと刻まれているので、
プロットにとらわれず人物の気持ちに寄り添えばおそらくは十分に楽しめるのではないかとw
思います。。





ということで、
個人的な祭りです。
特にレムはさきごろ「ソラリス」文庫化ということもありましたし
映画もあるわで
ちょっとしたレムイヤーですね^^

よいことです。
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「ソラリス」スタニスワフ・レム ハヤカワ文庫SF版出ましたねー

2015-04-12 04:35:48 | book
ソラリス (ハヤカワ文庫SF)
スタニスワフ・レム
早川書房


とうとう出てしまいました。
レム「ソラリス」文庫版。

何度も書いてますがこれはポーランド語原書からの翻訳で、
ロシア語版を底本とした従来版「ソラリスの陽のもとに」とは若干内容が異なります。
もちろん翻訳者も違うので文体も違うんですが。

そしてこの「ソラリス」は2004年に国書刊行会レム・コレクションの中の1冊として出ていたものの文庫化なのですが、
国書刊行会版にさらに若干手を加えたものということです。

買いですね!

さらに文庫化にあたって沼野氏による解説が付されているんですが
これが面白いです。
小説についてはもちろん、
タルコフスキーやソダーバーグによる映画がテーマとしたことについても絡め、
またレム自身の本作について、あるいは映画の出来具合についての不満wについてのエッセイの抄訳もあり、
と、なかなかの充実具合です。


ということで、思った以上に買い要素のある文庫化でした。
おそらくレムの小説で一番人気があり認知度も高いものだと思うので、
興味ありというかたはぜひここから手に取ってみてください。

ワタシももう一度読んでみます。


10年前の過去記事
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「氷」2題

2015-03-25 05:06:56 | book
両方ともまだ読んでないのだけれど
いま本屋さんでは2つの「氷」を手に入れることができる。
まあ手に入れられない本屋さんもいっぱいあるけれど。。。
(現に今のところアンナ・カヴァンのほうは未入手・・・)

氷 (ちくま文庫)
アンナ カヴァン
筑摩書房


ということでアンナ・カヴァン「氷」
かつてサンリオSF文庫から出ていたもので、
聞くところによると異常気象で滅び行く世界で一人の少女を追い求めていく男の話だとかそうでないとか?
読んでないのでわかりませんが、復刊ということでぜひ読んでみたいです。
2008年ころに一度バジリコから復刊されているそうですが、
今回はちくま文庫から。



氷: 氷三部作2 (氷三部作 2)
ウラジーミル ソローキン
河出書房新社


そしてロシアの鬼才ソローキンの氷三部作から「氷」

21世紀初頭のモスクワで世界の再生を目指すカルト集団が暗躍する。
氷のハンマーで覚醒する金髪碧眼の男女たち。
20世紀を生き抜いたそのカリスマ的指導者。

て河出書房新社のページにはあるのですがよくわからん感があり面白そうですよ。


ということで文学的にはいまは氷の季節ですね。
本は本屋さんで買うのが好きなので
明日あたり大きめの本屋さんにいってみよう。

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ディックとかレムとかの文庫版が。。

2015-03-17 02:17:22 | book
SF作家フィリップ・K・ディック
大好きだという割に小説の内容がしっかり頭に入っていないので
読み返すとその都度新鮮なワタシなんでございますが、
やっぱり好きだなあディック

で最近ハヤカワから文庫で新訳などで刊行されているので
再びみたびディックブームがくるかも?

ヴァリス3部作のうち、『ヴァリス』と『聖なる侵入』が新訳で刊行されています。
今のうちに入手しておかないとまたすぐ入手困難になってしまうのでしょうか。。

ヴァリス〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)
クリエーター情報なし
早川書房


聖なる侵入〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)
フィリップ・K. ディック
早川書房


次の『ティモシー・アーチャーの転生』も待ち遠しい。。

と思ってたら前触れなくいきなりなぜか『ザップ・ガン』が発売されたので驚いたり。
こちらは新訳ではないようです。
『ヴァリス』とはまたかわってこてこてのB級感あふれる珍作です。

ザップ・ガン (ハヤカワ文庫SF)
フィリップ・K・ディック
早川書房



ということで久方ぶりにディック祭りをしているわけですが、
そうやって油断している間に、
やはりハヤカワ文庫SFから、あろうことかスタニスワフ・レムの超名作『ソラリス』が出るという話です!

ハヤカワからはすでに同小説『ソラリスの陽のもとに』が出てるじゃんかよということですが、
新しく出る『ソラリス』は、ポーランド語の原書からの翻訳でして、
『~陽のもとに』は実はロシア語版からの重訳で相当箇所省略がある版だったのです。

そしてこの新訳版は、すでに国書刊行会から単行本として出ているのですが
それがまさかの文庫化というわけですね。
いやーおどろいた。

発売は4月ということです。
まだアマゾンにはでてませんね(3月16日現在)


個人的には国書刊行会の単行本の存在感とデザインが好きなので
こちらもおススメしちゃいます↓

ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)
スタニスワフ レム
国書刊行会


ついでに旧来版はこちら↓

ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)
スタニスワフ・レム
早川書房



ということで、本に関しては次から次に散財のネタが降ってくるのです。
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