Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「23000」ウラジーミル・ソローキン

2016-10-27 01:40:00 | book
23000: 氷三部作3 (氷三部作 3)
クリエーター情報なし
河出書房新社



「氷三部作」の最後「23000」を読みました。

氷による目覚め、選民思想、世界を巻き込む救済を求めた集団の88年に及ぶ活動の終焉が、意外な顛末で描かれる驚きの最終巻でありました。

ある意味無垢な原理と救済が、外面的にも内面的にもカルト的で全体主義的な集団を形成するという、人類史的な洞察を軸に、その外部、誤った世界としての現実の20世紀(と21世紀)の歴史が俯瞰され総括される。そういう総合小説をソローキンは書いたのだと思いました。

当初は現代の即物主義、主知主義への幻滅とそれに対しての魂の回復が色濃く描かれていた三部作ですが、終盤に至り、それまで「光」の兄弟姉妹たちが肉機械と称して唾棄していた「人間」の側のストーリーがやおら立ち上がり、最終的には「光」と「肉機械」の間にいる「死に損ない」が残るという、ある種の和解が示されます。

魂の側にありしかし全体主義的な「光」の兄弟団を勝利させなかったことは、歴史の必然としてそうしなければならなかったとみることが出来ましょう。

一方で、退廃と滅びの「肉機械」の勝利としても描きえない。生き延びるのは、肉でありながら心臓(こころ)の声を感じ取り神と話したいと願う存在であるというところは、調和、和解、第3項にこそ希望は託されるというメッセージを読み取らざるをえません。

「肉機械」の世界で、彼らの世界の中での「和解」を論じる集会が終盤に描かれています。それは希望に彩られてはいるものの前途多難な様相を呈しているわけですが(レーニンの遺体(禿げた肉機械の皮)の処遇ですらまず合意できません)、とにかく20世紀の歴史の後で全肉機械の和解を話すに至った彼らへの、細い細い希望をここに植えつけているのだと思います。

第3項である二人オリガとビョルンは、最後に、神と語る方法を人間界に戻って訊こう、と言います。人間界にまだ残るであろう知恵を、和解の人である彼らが汲み取り、この先を牽引する、そんな希望を感じました。

あろうことかソローキンに、そんなメッセージを読んでいいのかと思わなくもないですが、ワタシはまあこう思いました。

******

三部作を通して多くの人物がそれぞれ一人称で長く物語る場面が多いのだけれど、
そこでの文体の変わり具合がよく訳しわけられていたと思います。
というかロシア語でもそういう文体の違いというのがあるわけで、
その違いを理解できるというところは翻訳者というのはすごいなあと思っちゃうわけです。

特に本作では強烈な文体(モグラ人間とか飛び少女とか)が出てきてすごいです。

あとちょろっとデヴィッド・リンチが登場するところがうれしいのと、
結構日本の風俗をよく知ってるな~と感心する個所もあり。



氷三部作1「ブロの道」の記事はこちら
氷三部作2「氷」の記事はこちら
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