新カラマーゾフの兄弟 上(上・下2巻) | |
クリエーター情報なし | |
河出書房新社 |
新カラマーゾフの兄弟 下(上・下2巻) | |
クリエーター情報なし | |
河出書房新社 |
ロシア文学者亀山郁夫氏の初めての小説ということ。
蓮實重彦氏が例の会見で、「散文の研究者は小説くらい書けるんです」みたいなことを仰っていたと思うが、まさにその言葉を実証するかのよう。
カラマーゾフの深い読みと研究成果が、満遍なく隅々まで練りこまれた面白いミステリー長編です。
まず章立てがカラマーゾフと同じだし。
現代日本に舞台を移した謎解きだけど、人物の名前もいちいちカラマーゾフの登場人物と対照しているし。
話の筋やディテールもかなりカラマーゾフを思わせる造りになっている。
そういう枠組みを使って、現代日本のバブルからオウム以降あたりまでを描いてみせるのだが、そこではカラマーゾフの問題軸、罪と聖性、神秘と理性、罰の受容のようなことが、現代でも立派に成り立つことを示している。
バブル-阪神淡路大震災-オウムと、日本人が狂っていく中で、我々は何を重んじて生きていくべきかという問いと試みが、主人公黒木リョウ=アレクセイ・カラマーゾフの行動や思い、そして終盤の演説で示されるが、それは帝政末期のドストエフスキーの時代における困難さに劣らず、困難で身を削るような試みである。
読者はカラマーゾフと同様にそうした問いを受け止め、真摯に生活の中で答えを求め実践していくのか、あるいは易く悪魔に心を預け生きていくのか、考えて行かねばならないだろう。そういう恐るべき選択を迫る小説になっているだろう。
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しかし、盛り込んでますw
よくここまで世の森羅万象を盛り込んだと思わざるをえない。
ひとつひとつの細部に、これはなんなのか、なぜここに出てくるのかを考えたくなる魅力というか、ある面では脈絡のないまでに不思議な挿入が面白い。
列挙したいところだが、それだけで本ができてしまうと思う。
黒木リョウが最後にあのような地位で演説をするのはどうなのか。それは現代日本においては有効なのか?と疑問であったが、リョウは短い期間の後その地位を捨てることにもなり、そこ以外では語る場所がないという閉塞感なのかなとも思う。
倉里=クラソートキンが何をしでかすのかドキドキだったがなぜかフェードアウトしてしまうのもなんだか?であるが、これはカラマーゾフの枠組みを反映しているのであれば、ここまでということなのかもしれない。続編があるのかも??
あと、小説中で本家「カラマーゾフの兄弟」をざっくり要約した物語も披露されるのが可笑しい。
カラマーゾフを下敷きにした小説に、さらに小説内小説でまたカラマーゾフがでてくるのがなんとも刺激的です。
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