イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

文学部唯野学部卒② 演劇って......

2008年01月10日 23時37分49秒 | 連載企画
小旅行当たったつもりで乗り過ごし

(解説)運命はいつも気まぐれだ。こちらが油断しているときを見計らっているかのように、不意打ちを食らわせてくる。帰りの電車の中で、ずっとニューズウィークの英文の記事とにらめっこしていた。通訳学校の課題だ。日本語のようにすらっと意味が入ってこないからなのだろう、いつもよりやたらと車内にいる時間が長く感じる。三鷹から武蔵境までの距離がやけに長い。おかしい、武蔵境ってこんなに遠かったけ? いや、そう感じるのはきっと英文が頭に入ってこないからだ。それとも、僕がリーディングに集中しているから? そうだ、きっと今、僕はすごい集中の世界にいるのだ。α波の宇宙を漂っているのだ。人間、意識の持ちようによって、時間が過ぎる感覚というのは変わってくるもんだ。うん。そうそう。……でも、……やっぱりちょっと長すぎないか? おかしいんではないか?

と、うすぼんやりとした英語の世界から、目が醒めるようにゆっくりと現実の電車内の世界に戻ってくると、待ってましたとばかりにアナウンスが聞こえてくる「次は~、国分寺、国分寺~」。

そう、また、間違えて特快に乗ってしまったのだ。武蔵境はすでにはるか後方に過ぎ去ってしまっている。

気分がちょっと萎える。でも、まあいい。こんなことでもなければ、国分寺に来ることもない。いいところじゃないか、国分寺って。そうだ、僕が武蔵境で降りた後で、いつもみんなこんなところに来ていたんだね。そうだったんだね。え~い、こうなったら、いっそ、立川までいっちゃったって、かまわない。ああ、かまわないともさ。そういえば、生まれてこの方、懸賞で旅行に当たったことがない。だからこういうときには、神様からボーナスをもらったのだと思えばいいじゃないか。「国分寺日帰りの旅」をプレゼントされたのだ。そう考えてみれば、この非日常の時間を楽しめるじゃないか。この機会に、肩の力を抜いて、違った角度で世界を眺めてみようじゃないか。ただし、戻りの電車にのるときは、決してまた特快に乗らないように気をつけて……。

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文学は、世間から食えないものの代名詞のように見られている。でも、それよりももっと「食えない」ものの代名詞というか、ルビを振って「名詞」として扱われてしまいかねないのが、演劇だろう。演劇の枕言葉は貧乏ではないかというくらい、演劇をしている人たちは生活が大変だ、という話をよく聞く。だけど、演劇の魔力につかまってしまった人たちは、生活のなかでも舞台を何よりも優先させ、稼ぐことは舞台を続けるための手段として考えて、アルバイトなどで糊をしのぐ。ちなみに、京都の映画館で働いていたとき、スタッフの人たちに劇団関係の人たちがたくさんいた。彼女たち(と少しの彼たち)は、関西ではかなり有名な劇団のいくつかで活躍している人たちだった。彼女たちは、さすがに表現力が豊かだった。冗談も面白いし、顔の表情も豊かだし、しゃべりも楽しい。普段から夢に向かって好きなことに打ち込んでいるからだろう、普通のカタギの集団にはない魅力を放っていた。彼女らの芝居を、何度も観にいったし、毎日一緒に仕事をして、毎晩のように酒を飲んだ。そして、やっぱり、彼女たちは世間一般からみると裕福とはいえなくて――というか芝居をしている人以外もみんな僕を含めお金はなかったのだけど――、その点は、世間が描くあまり裕福ではない劇団員を地で行くような生き方をしていた。そんな彼女たちは、年齢が僕よりも少し上だということもあって、とても格好よく映ったものだった。

そんなわけで、僕も演劇のことを、お金が儲かるとか、就職に役立つ資格を得ることができるとか、そういういわゆる「食うための何か」とは対極にあるものだと思っていた。でも、ある人との出会いを境にして、その考えは、かなりの部分、間違っていたということに気づいた。演劇は、すごい。演劇は、使えるのだ。以前いた職場に、学生時代演劇に打ち込んでいた人がいた。その人は、とても仕事ができる人だった。とにかく、他者に対してプレゼンする能力がすごいのだ。人に何かを説明するとき、うまく「演技がかって」話を盛り上げたり、冗談を織り交ぜたり、突然相手に質問をしたりして、ドラマチックに話を進めていく。話に説得力があるし、人を乗せるのが上手い。とにかく、プロジェクトを推進する力がすごかった。それは、その人にエンジニアリング的なバックグラウンドも、十分にあったからこそできたことなのだけど。で、その表現力というのは、他ならぬ演劇によって培われた。すべてではなくても、学生時代に演劇に打ち込んだそのときの経験から、身についたものだと、その当人の口から耳にした。そうだろう。舞台の上に立って、観客の前で他人を演じること。ほかの役者と協力して、一つの物語を構築すること。それには、並々ならぬエネルギー、他者に伝える力が必要になる。役者たちは、寝食を忘れて舞台に没頭することで、あるいは、なかば人生をなげうってまで、芝居にかけ、その対価として、こうした表現力を獲得するのだ。その力が、現実社会で役に立たないはずがない。営業マンになっても、先生になっても、サービス業に携わっても、うまくその力を活かせば、すごい仕事ができる。直接顧客とかかわらないとしても、仕事というのはどんなものであれ人と人との関わり合いのなかで行われるものだ。優れた演技力を持つ役者の力が生かされる場面は、ありとあらゆるところに及ぶだろう。むしろ、いまのサラリーマンなんかに一番かけているのが、演劇が一番得意とする、他者へのプレゼン能力や同僚とのコミュニケーション能力だったりするのではないだろうか。そして、役者の人たちは、こうした能力を、ただ食いっぱぐれたくないから、という理由で身につけたのではない。将来つぶしがきくから、という保身で学んだのでもない。表現することが好きだから、舞台を愛しているから、得ることができたのだ。

というわけで、演劇については件の人との出会いを境にとてもポジティブなものに考えを変えることになったのであるが、同時に、同じようなことが、読み書きの得意な人、にも言えるのではないかという風に考えてみたい、と思うようになったのである。読んだり書いたりすることが好きで、でもほかに何のとりえがないと思っている人にも、きっと世の中の役に立てる場面があるはずだ。と、希望的観測を含めて考えるようになったのである(明日に続きます)。

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