イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

「翻訳者A」としてのトライアル

2009年10月27日 21時44分39秒 | 翻訳について
実務翻訳の世界で「トライアル」と言えば、フリーランスの翻訳者が翻訳会社に登録してもらうための登竜門のことを想起するが、実は登録をした後にもトライアルは存在する。依頼元の企業が翻訳会社に仕事を発注するときに、まず少しだけお試しで翻訳をしてもらって、その結果をみてその案件を発注するかどうかを決める場合があるのだ。

初めてその翻訳会社を利用する企業にとっては、大きな案件をいきなり依頼するのはリスクもあるから、これは妥当な判断だと言える。依頼元の企業が大手である場合、いきおい翻訳会社にとっても、ちょっと大げさにいえば社運を賭けた勝負になることもある。当然、エース級の翻訳者にその翻訳を依頼することになるし、翻訳会社内でのチェックもいつもより入念に行う。普段着のヨレヨレのスーツではなく、勝負服の一張羅を着て出かける気分だ。精一杯みつくろって納品する。

翻訳会社は、日常的に取引のある企業からもトライアルを依頼されることがある。その案件がとても重要だったり、前回の仕事の品質に不満があって疑心暗鬼になられていたり、他社と合い見積りを取っていたり、担当者がそれまでのファジーな性格の人から堅実な性格の人に変わったりした場合などだ。そういうとき、翻訳者のところにもごくわずかな分量の依頼がくる。メールにはたとえば「これはトライアル案件です。発注になった場合は2万ワードの案件です」と書いてある。

こうなると翻訳者もいきおい気合いが入る。トライアルに受かれば大きな案件の受注につながるし、翻訳会社からも感謝される。逆にアウトになってしまえば、実力に大きな疑問符をつけられてしまいそうな気がして怖い。当然、その案件の発注も来ない。下手をしたら翻訳会社から合否の結果も来ず、また普通に別の案件が始まったりして、なんとなく気まずく、ただ心に冷たい風が吹く、という場合もある。

依頼されるのは仕上がりで原稿用紙1枚か2枚くらいの、かなりの少量である。だが、だからといって簡単になのかというと、当然ながらそうは問屋がおろさいのであって、少なくとも僕の場合はトンでもなく時間がかかる。たった200ワードが、このうえなく難しく感じる。普段は一日にこの何倍の量も訳しているはずなのに、その普段の力がうまく出せない。ペナントレースと日本シリーズの違いみたいなものかもしれない。たった数試合で勝負が決まるかと思うと、いつもは感じないプレッシャーを感じてしまい、コントロールがなかなか定まらないのだ。

だが、テストとはすべてそういうものだ。重要な決定が、ごくわずかなサンプリングの結果によって下されてしまう。テストですべてを正確に判断することはできないけど、だいたいの力はわかるものなのだ。それに翻訳に関していえば、下手をしたら最初の一行を読んだ時点でその人の実力の程がわかってしまうように感じることもあるから、かなり本質的なところで実力を判断されているケースも多いのかもしれない。

ここのところ、結構立て続けにこのようなトライアル案件を依頼された。僕としては、トライアル案件に指名してくれたことは、翻訳会社が実力を評価してくださっているのかな、と思って嬉しくもあるし、前述したようにもしダメだったら自分の評価が下がるだけではなく翻訳会社にも迷惑をかけてしまうことになるから、普段以上に緊張感が増すし、仕事欲もメラメラと燃えるのである。それに、依頼元にとってもトライアルによって、本案件の質をある程度確保できることにつながるわけだから、自分が翻訳者であることを抜きに考えても、これはいいシステムではないかと思う。手間暇がかかるから、納期に余裕がある場合にしかできないことではあるのだけど。何より、一翻訳者として、自分の力をあらためて客観的に見る機会を与えられるということは、貴重なことである。遅々として進まない作業のなかで「これが自分の本当の実力か」と思う。結果を知り、OKならすごく嬉しいし、NGならめちゃくちゃ悔しく気分が萎える。どちらにしても、明日の糧になる。

現状の一般的な業界のシステムでは、依頼元の企業からは、翻訳会社の担当者の顔は見えても翻訳者の顔は見えない。トライアルをやっても翻訳者の名前まで出す場合はほとんどないけど、少なくとも「例のトライアルをやってくれた翻訳者Aさん」として、依頼元の人にも認識してもらえているのだとしたら嬉しいし、なおさら頑張ろうという気にもなるのである。







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4 コメント

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真剣勝負!ですね (満腹のうさぎマリオ)
2009-10-27 22:27:57
以前の「LIFEの真ん中は…」のエントリを思い出しました。そもそも、文化や考え方の違う他国の文章を日本語にするわけですから、時には「エイヤッ!」と決断を下すことも多々ありますよね。そのように、言葉とつねに真剣勝負をしてらっしゃるかたに対しては、もう「尊敬」しかないですね。それに比べたら「校●」なんて、「へっぽこ審判」でしかない。ああ、恥ずかしい。
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いえいえ (いわし)
2009-10-28 12:50:11
とんでもないです。校○の仕事こそ、細心の注意力と全方位的な知識が求められる高度な仕事だと思いますよ! 様々な文章を読んで朱を入れるというその仕事内容にとても興味を引かれます。マリオさんの目からみたら、このブログは真っ赤になっているのでしょうね(笑)
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反省 (笑菫来福)
2009-11-02 16:05:31
初めまして。アメリアのリンク集から伺いました。
「翻訳についての断章」、私もこんなに日本語を愛さなくちゃ、翻訳に魂をこめなくちゃ、と楽しく拝見しています。
ところで、登竜門後のトライアル、先日初めて受けました。
何万文字とあるであろう原文(ゲーム翻訳)の、たったの400文字。
「語尾は?人称は?あなた?君?・・・」さんざん悩み、
さんざん時間をかけた挙げ句の回答が、「残念ながら、今回は受注できませんでした」。
たった400文字で全体像を把握できるかい!、と開きなおったりせず、雄叫びするダルビッシュのごとく、気合いを入れて400文字に向き合うべきだったと、イワシさんのブログを読んで改めて反省した次第です。
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気合い (iwashi)
2009-11-02 22:44:34
笑菫来福さん

初めまして!
ブログ読んでいただいてありがとうございます! 自分で読み返してみても文章はメタメタだし論理は破綻しているしひどいものですが(笑)ツッコミながら読んでいただければ嬉しいです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

400文字の登竜門後のトライアルの件、わかるような気がします! トライアルが難しいのは、緊張するというのもありますが、ボリュームが少ないから背景情報がわからないという面もあるのかもしれないですね。ゲームならなおさらだと思います。

しかし、昨夜のダルビッシュの一世一代のピッチングのように、緊張感をもってマウンドに上がれる機会であると考えれば、トライアルも刺激があっていいものですよね。翻訳者を続けていくかぎりトライアルも避けられない。僕も気合いを入れ直します!
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