総選挙 力攻め小泉戦術 「落下傘候補」対立軸鮮明に (産経新聞) - goo ニュース
小泉首相が命名した「郵政民営化解散」は、「猫だまし解散」で始まり、「小泉マジック」の連発で、国民・有権者の「総選挙」への関心を高めている。
しかし、国民・有権者は、戦国時代さながらの選挙戦を単純に面白がってはいられない。言うまでもなく、国民・有権者は「主権者」である。小泉首相は、この主権者に対して、これまでの陋習を打ち破ろうとしているからである。
小泉首相がモデルとして描いているのは、「英国流」の政治ではないか。慶応大学を卒業してロンドンに遊学中、父・小泉純也元防衛庁長官が急死したため、急遽帰国して、地盤を受け継ぎ、立候補した。わずかな期間とはいえ、英国留学の経験は、小泉首相に大きな影響を与えていると見なくてはならない。
選挙と言えば、候補者は、「地盤・看板・鞄」のいわゆるしっかりした「3バン」を持たなければ、当選するのは難しいと言われてきた。地盤とは、地縁・血縁・後援会などである。看板は、高学歴や輝かしい経歴などの名声である。鞄は、ズバリ選挙資金である。地盤を強化するには、選挙区に「利益を誘導」することが不可欠とされてきた。「中央と直結している」と叫び、「高速道路を造る。橋を架ける。ダムを建設する。学校・福祉施設・文化センターを建てる」などと公約し、現実に国から公共事業と予算を引っ張ってくる。金権政治の権化と言われた田中角栄元首相に代表されるような「選挙手法」であり「政治手法」である。
いまでこそ、公職選挙法により禁止され、厳しく取り締まられているので難しくなったが、選挙のプロやブローカーなどと言われている「政治ゴロ」の多くは、候補者の選挙事務所を梯子して、昼食や夜食なありついたり、買収工作に携わったり、あるいは、違法な文書をばら蒔いたりした。かつての群馬3区では、「福田料亭」「中曽根レストラン」と言われていた。千葉県は、「金権千葉」の汚名まで残している。警察の取り締まりが厳しくなっても、相変わらず、「腐敗選挙」は後を絶たない。
国民・有権者のなかにはいまでも、選挙運動に協力するフリをして、候補者に高額な物品を押し売りしたり、見返りを要求したり、酒食の持てなしを強要したり、仕事の斡旋や仲介、裏口入学、就職口の世話、催物のチケットや乗り物の切符取りなどを依頼している者が少なくない。
三木武夫元首相は、「政治倫理の確立」「金権政治の打破」「派閥政治の解消」を馬鹿の一つ覚えの如く、繰り返し訴えていた。自ら派閥を解消してみせたものの、「河本派」から「高村派」へと派閥の流れは続いている。「政治倫理の確立」と「金権政治の打破」は、未だに実現を見ていないのである。
衆議院の選挙政治が改革されるとき、「中選挙区堅持派」は、「腐敗防止法の制定」を求めた。だが、実際には、「小選挙区制度」の導入により、「政権交代」の可能性を高くして、腐敗した政党から清潔な政党への権力移動により、「腐敗を防止」する道が選ばれた。英国は、100年も前に腐敗防止法を制定し、小選挙区制度により、政権交代をしやすくしていたのに対し、日本は、腐敗防止法を制定することもなく、小選挙区制度に「少数政党の保護」の名目で、「比例代表」という奇妙奇天烈な制度をつけて、中途半端な制度をつくってきた。このため、せっかくの政治改革が中途半端に終わっているのである。
この結果、小選挙区比例代表制度の下でも、過去の異物がそのまま残って、「政治改革」を後退さえさせている。
小泉首相は、「自民党ぶっ壊そう」としているばかりではない。国民・有権者の意識そのものを「一気加勢」に「ぶっ壊そう」としている。このことに気づかねばならない。
英国では、1つの選挙区での「世襲」を禁じている。父祖伝来の地盤を子々孫々に継承していくことを認めていないのである。政治家が、地縁・血縁・後援会という強い「岩盤」の上に乗り、これを「既得権益」とすることを許さないのである。そのうえ、「政・官・業・学」の「癒着のテトラ構造」のなかで醸成される「利権政治」や中央と地方の結託の構造すら忌避する。
完全小選挙区制度の下で、政党同士が、政策を競う。候補者のキャラクターよりも、政策が優先する。そうした政治風土のなかで、ブレア首相率いる労働党が詳細にして克明な「マニフェスト」(政策綱領)を国民・有権者に提示して支持を得たのであった。
小泉首相は、今回の総選挙において、「郵政民営化反対」の「謀叛者37人」の政治生命を絶つべく、対抗馬をぶっつける作戦を進めている。そのなかで、いくつかは、選挙区とは何の縁も縁もない候補者を送り込もうとしている。そして、国民・有権者に「郵政民営化」に賛成か反対かの二者択一を迫る。「3バン」のうち、「地盤」を度外視する選挙を実現しようとしているかに見える。
もちろん、小泉首相自身が、祖父・小泉又次郎、父・純也の地盤を受け継いだ「3代目」であるから、一面、自己矛盾しているのではある。神奈川11区から、亀井静香元建設相の広島6区に戦場を移して戦えば、「率先垂範」になる。けれども、今回は、「英国流の選挙」への過渡期と見てとりあえずは、許容しよう。しかし、もし、小泉首相が身内から政治家を輩出するような場合には、神奈川11区ではなく、別の選挙区から立候補させねば理屈があわなくなる。小泉首相が、そこまで考えているとすれば、素晴らしい。
自民党の地方組織のなかには、党本部の方針に反して、県連独自で「公認」しようとする動きを示しているところがある。広島県連が亀井元建設相を、そして岐阜県連が岐阜1区の野田聖子元建設相を独自で「公認」する決定をしている。
だが、こうした地方組織が、党本部の方針に反するような決定をすることは、「古い自民党」を墨守することにはなっても、「新しい自民党」に生まれ変わることを阻害することにしかならない。小選挙区制度を導入し、「政党政治」に踏み切ったときから、本来は、「古い自民党」は、否定されていたはずである。
これまでの「古い自民党」は、政治家の個人後援会を基盤にした党員・党友とそれらの支えられた複数の国会議員や都道府県議会議員や市町村議会議員によって積み上げられた政策や予算要求、候補者の公認推薦などの要求を党本部に上げていく方式を取ってきた。その限りで極めて「民主的」ではあった。だが、こうした仕組みが「利権誘導」や「既得権益」を生み、日本の社会の活力を損なう悪弊を生み出してきた。
その反省の上に、「政党政治」への転換が図られようとしてきたのである。それでも、自民党政治家や支持者らの多くが、「過去のしがらみ」から自己を解放して、「新しい自民党」に生まれ変わるのを抵抗してきたのである。
小泉首相は、党本部の方針に反する行動をあえて取ろうとする県連に対しては、厳しく対処する必要がある。言うことを聞かなければ、解散処分命令を下し、「新しい県連」を急いで設立しなければならないだろう。
繰り返して言うが、小泉首相の今回の解散・総選挙は、日本が本気で生まれ変わるための「最後のチャンス」でもある。本来なら、民主党の小沢一郎副代表が、成し遂げたかったことかも知れない。慶応大学の同窓である小泉首相に先を越された。福沢諭吉が掲げた「独立自尊」を建学の精神とする慶応ボーイが、遅れ馳せながらも、この国をまさしく先駆けとして変えようとしている。
福沢諭吉の名著「学問のススメ」の一節「独立の気概なき者は、国を思うことに深切ならず」が思い出される。
「官から民へ」「民のできることは民へ」という小泉首相の口癖は、「官尊民卑」から、まさに「自由民主の国民精神」への意識改革を促している。それが「大きな政府」から「小さな政府」への転換につながる。「小さく安上がりな政府」の実現である。
もはや亀井元建設相や野田元郵政相のような「お涙頂戴」の「甘ったれ精神」は許されない。