小泉首相が初めて断行した「英国流の小選挙区・マニフェスト総選挙」をじっくり学ぼう

2005年08月26日 23時50分04秒 | 政治
 「英国の候補者選びの実態」
 と題する読売新聞26日付朝刊の解説記事は、時宜を得て秀逸であり、大変参考になった。解説者は、ロンドン支局の飯塚恵子特派員である。
 この現地報告を含む解説記事は、とくに小選挙区制度の下で、2大政党が激突する選挙がどういうものかを教えてくれており、これからの日本の政治を展望するうえでの貴重な手がかりとなる。
 見出しにもなっているように候補者は「党本部方針で踏み絵」を迫られ、「造反議員は公認せず」という。冒頭部分を引用しておこう。
 「2大政党制の基盤である単純小選挙区制の下、英国の各政党は、強い規律で造反に臨む。結論から言えば、小泉首相が今回採用した『政策に基づく政党主体の選挙』は、英国の伝統になっている」 慶応大学経済学部を卒業してロンドンに遊学していた小泉首相とが、今回のような「政策に基づく政党主体の選挙」に踏み切った政治思想のルーツが推測できる。「比例代表制度」が付け加わっているとはいえ、日本が目指してきたのは、英国のような国であり、選挙制度で言えば、「純粋小選挙区制度」であったはずである。
 だから、小泉首相の頭のなかでは、従来の「しがらみ」にとらわれた選挙のやり方から訣別して、「政策に基づく政党主体の選挙」に切り換えるのに、何のためらいもなかった。まさに「恐れず、ひるまず、とらわれず」、選挙改革を断行したのである。
 この解説記事で、面白かったところが、3か所ある。
 1つは、今春の選挙での出来事である。
 「今回の波乱は、公示直前の3月、野党・保守党のハワード・フライト副委員長が公認を取り消されたことだった。保守党は『医療、教育を向上させる』との方針を打ち出したが、フライト氏は党内右派の集まりで、『政権奪取後は公約以上に歳出を削減する』とうっかり発言、これが暴露されてしまった。ハワード党首はフライト氏解任を決め、同氏は引退に追い込まれた」
 2つ目は、マニフェストについての記述である。
 「本家の英国では実際には、有権者らほとんど読まれていない。5月の総選挙でも、労働、保守両党のマニフェストが各2.5ポンド(約500円)で書店などに並んだが、両党ともどの程度売れたか明らかにしていない」
 3つ目は、サセックス大のティム・ベール博士の見解についての記述である。
 「ただし、ベール博士は『たった一つの争点だけで総選挙を行うのは、極めて異例で危険だ』とも指摘する。博士によると、英国の総選挙で争点が1つに絞られたのは、ストが頻発した1974年の時だけ。保守党のヒース首相(当時)は『この選挙は、誰が英国を統治するかを選ぶものだ。政府なのか、労働組合なのか』と突きつけた。この選挙で、保守党は過半数を獲得できなかった」
 この部分は、小泉首相が、「郵政民営化の賛否を問う」形で争点を1つに絞って選挙戦に臨んでいる今回の総選挙の結果とも関係して、注目できるところである。
 英国では、与党・労働党が国論を2分するような「イラク戦争問題」をあえて争点化せず、ブレア首相が、「ふだんは厳しく適用する党規律を、イラク問題では和らげた」という。飯塚特派員が「全112ページのマニフェストの中で、労働党がマニフェストでイラク戦争に触れたのは、巻末近くの9行だけだった。その代わり、ブレア首相は『経済の実績』『改革前進』など〃総合点〃で勝負し、労働党初の3回連続勝利を果したのである」と指摘しているのも、興味深い。英国労働党は、案外と柔軟性のある政党のようである。 この記事は、日本政治の進路を考えるのに、数々の示唆を与えてくれている。英国流の小選挙区制度、マニフェスト選挙を繰り返していくに従い、政権交代にもスンナリと順応していくのかも知れない。
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