前回の記事で、模型屋のおかみさんがパーツをてきぱき出してくれたくだりを読み返して、重要なものが抜けていることに気がつきました。モーターとインサイドギヤです。モーターはカツミDV18C、インサイドギヤは小高純正のWB26mmのものでした。モーターの箱は今もパーツボックスとして現役で、鉛筆書きで¥530と書かれています。時代を感じますね。
さて157系は何とか完成し“私のレールの上を快く走り回って”いました。(小高の組立説明書風(笑))
しかしその当時も、そして現在に至るまでにも、実はペーパーキットから作った車両は意外に少ないのです。なぜなら、すぐにペーパースクラッチに転向してしまったからです。
当時の小学生の愛読書といえば「科学」と「学習」(学研)がポピュラーで、とりわけ、実験キットがついてくる「科学」は私のお気に入りでしたが、高学年になる頃から読むようになったのが「模型とラジオ」(科学教材社)でした。
タイトルの通り、ラジオを始めとする電子工作と模型工作の記事が満載の雑誌でしたが、お目当ては、ほぼ毎号載っていたペーパー車両の製作記事でした。残念ながら現存車はなく、写真もないないので証拠を示すことができないのですが(笑)、覚えているだけでもマシ35、スユ42、スロネ30、マニ60など、動力なしで簡単に作れる客車はだいたい作ったように記憶しています。屋根板を使わずにペーパールーフで作る方法もそこで覚えました。
車体の材料となる白ボール紙は近所の文房具店で購入し、補強用ヒノキ材や台車などのパーツ一式もくだんの模型店でたいがい揃いました。すべてが家の近所で調達可能だったよき時代です。
ブラスモデルより安いとはいえ、ペーパーキットでさえ小学生にとっては高価であり、こうして自作車両が増えていきました。
少し慣れてくると今度は自分で設計図を描き起こしてみたくなり、「私鉄ガイドブックシリーズ 小田急・京王帝都・西武」を見ながら京王5100系の1/80を描いて、初めてフルスクラッチに挑戦しました。不出来ながら何とか2両編成を完成させ、快調に走らせていた記憶があります。
当時、私鉄風台車と呼ばれるTS、FS系の弓型フレームの台車はなく、DT32か、日光の伊豆急用TS316を流用するのが一般的でした。この京王もTS316を使ったとみえて、ブレーキシューを折ってそれらしく成形した台車の残骸がパーツボックスに転がっています。
(伊豆急用TS316を改造した「私鉄風台車」。下の2つは営団地下鉄300形に使ったFS345)
仕掛り車体箱には、少しあとになって3連化用に作ったと思われる中間車が残っていました。窓桟は太く窓抜きも雑ですが、薄紙の貼り合わせでユニットサッシを表現するなど、それなりに手が込んでいます(自分で言うのもなんですが)。
当時のウデでは細い窓桟を切り出すのが難しく、うっかり切断してしまうこともしばしばでした。そのため、どこで聞きつけたのか、窓枠は中桟を無視して四角く切ってしまい、貼り込む段階で上下に割って中桟を挿入する、という工法をとっていた時期がありました。これをみると、まさにそのようになっています。もっとも中桟の幅は1mmくらいあって、ぜんぜん細くできていないんですけどね・・・
同じ箱の中には、もう1両、先頭車が残されていました。こちらは木製屋根と車体用方眼紙を使っていて、ユニット窓表現こそありませんが造りは幾分丁寧になっていて、だいぶあとになってから作ったもののようです。
この車は乗務員室の仕切壁に若干のディティール工作が施してありました。覗き込むと往年の5000系特急の雰囲気が漂ってきてニヤリ。そういえばこんなのむかし作ったなぁ・・・
この京王はじめ、中学生になる頃までに作ったと記憶している私鉄車両には次のようなものがあります。
○営団地下鉄300形
=>モニター屋根をバルサで作ったら次第に爪跡がいっぱいついて廃車。台車は上で書いたように日光のFS345の枕バネを削り、集電シューを付けていた
○小田急2200形2連
=>台車(なぜかDT32)と車体との間に“プチプチ”を挟んで空気ばねのフィーリングを楽しんでいた。実車はコイルばねなんだけど・・・。廃車済み。
○富士急3100形2連
=>初めて富士急ハイランドへ連れて行ってもらった時に乗って以来、気になっていたので作ってみた。架線集電試験をした記憶がある。廃車済み。
○自由形電車モハ101+クハニ102
=>私の第二の空想鉄道「東海電鉄」の車両(第一は「中部日本鉄道」)。延命工事中に放り出され、車体だけ残存。
その他、ケガいただけのもの、窓抜きしかけて放り出したもの数知れず。。
そうです。それらがやがてあの“ひらき”シリーズに発展していくわけです。
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さて157系は何とか完成し“私のレールの上を快く走り回って”いました。(小高の組立説明書風(笑))
しかしその当時も、そして現在に至るまでにも、実はペーパーキットから作った車両は意外に少ないのです。なぜなら、すぐにペーパースクラッチに転向してしまったからです。
当時の小学生の愛読書といえば「科学」と「学習」(学研)がポピュラーで、とりわけ、実験キットがついてくる「科学」は私のお気に入りでしたが、高学年になる頃から読むようになったのが「模型とラジオ」(科学教材社)でした。
タイトルの通り、ラジオを始めとする電子工作と模型工作の記事が満載の雑誌でしたが、お目当ては、ほぼ毎号載っていたペーパー車両の製作記事でした。残念ながら現存車はなく、写真もないないので証拠を示すことができないのですが(笑)、覚えているだけでもマシ35、スユ42、スロネ30、マニ60など、動力なしで簡単に作れる客車はだいたい作ったように記憶しています。屋根板を使わずにペーパールーフで作る方法もそこで覚えました。
車体の材料となる白ボール紙は近所の文房具店で購入し、補強用ヒノキ材や台車などのパーツ一式もくだんの模型店でたいがい揃いました。すべてが家の近所で調達可能だったよき時代です。
ブラスモデルより安いとはいえ、ペーパーキットでさえ小学生にとっては高価であり、こうして自作車両が増えていきました。
少し慣れてくると今度は自分で設計図を描き起こしてみたくなり、「私鉄ガイドブックシリーズ 小田急・京王帝都・西武」を見ながら京王5100系の1/80を描いて、初めてフルスクラッチに挑戦しました。不出来ながら何とか2両編成を完成させ、快調に走らせていた記憶があります。
当時、私鉄風台車と呼ばれるTS、FS系の弓型フレームの台車はなく、DT32か、日光の伊豆急用TS316を流用するのが一般的でした。この京王もTS316を使ったとみえて、ブレーキシューを折ってそれらしく成形した台車の残骸がパーツボックスに転がっています。
(伊豆急用TS316を改造した「私鉄風台車」。下の2つは営団地下鉄300形に使ったFS345)
仕掛り車体箱には、少しあとになって3連化用に作ったと思われる中間車が残っていました。窓桟は太く窓抜きも雑ですが、薄紙の貼り合わせでユニットサッシを表現するなど、それなりに手が込んでいます(自分で言うのもなんですが)。
当時のウデでは細い窓桟を切り出すのが難しく、うっかり切断してしまうこともしばしばでした。そのため、どこで聞きつけたのか、窓枠は中桟を無視して四角く切ってしまい、貼り込む段階で上下に割って中桟を挿入する、という工法をとっていた時期がありました。これをみると、まさにそのようになっています。もっとも中桟の幅は1mmくらいあって、ぜんぜん細くできていないんですけどね・・・
同じ箱の中には、もう1両、先頭車が残されていました。こちらは木製屋根と車体用方眼紙を使っていて、ユニット窓表現こそありませんが造りは幾分丁寧になっていて、だいぶあとになってから作ったもののようです。
この車は乗務員室の仕切壁に若干のディティール工作が施してありました。覗き込むと往年の5000系特急の雰囲気が漂ってきてニヤリ。そういえばこんなのむかし作ったなぁ・・・
この京王はじめ、中学生になる頃までに作ったと記憶している私鉄車両には次のようなものがあります。
○営団地下鉄300形
=>モニター屋根をバルサで作ったら次第に爪跡がいっぱいついて廃車。台車は上で書いたように日光のFS345の枕バネを削り、集電シューを付けていた
○小田急2200形2連
=>台車(なぜかDT32)と車体との間に“プチプチ”を挟んで空気ばねのフィーリングを楽しんでいた。実車はコイルばねなんだけど・・・。廃車済み。
○富士急3100形2連
=>初めて富士急ハイランドへ連れて行ってもらった時に乗って以来、気になっていたので作ってみた。架線集電試験をした記憶がある。廃車済み。
○自由形電車モハ101+クハニ102
=>私の第二の空想鉄道「東海電鉄」の車両(第一は「中部日本鉄道」)。延命工事中に放り出され、車体だけ残存。
その他、ケガいただけのもの、窓抜きしかけて放り出したもの数知れず。。
そうです。それらがやがてあの“ひらき”シリーズに発展していくわけです。
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