日本での“ブログ”の始まりは2002年頃からであったと思うが、2004年になると多くのサービスが出現するようになりより魅力的になったようである。何となく興味を覚えた私は、2006年5月、それほど深く考えもせずそのブログを始めた。従って、どのようなペースで更新するかの計画もなく、無難に『気が向いたとき感じたままに』との題目にした。
だが、いざ始めてみると休むことに抵抗を感じ、当初は毎日更新し続けた。だがそれも、2008年末の舌癌手術のための入院で途絶えてしまった。退院以降は1日置きの更新へとペースが落ち、今年に入って肺癌が見付かってからは、情けないかな体力・気力の衰えに負けたようで、年初に決意した“今年いっぱいは間違いなく続ける”との見通しも怪しくなってきた。1年前には自分でも予想できなかったことである。
所詮、人間の一生なんて計算通りには行かないものであろう。だが肺癌という病のお陰で、残り長いとも思えぬ私の一生は、一番恐れていた痴呆症にはならずに済むようである。かねがね願っていた大きな望みが叶うというものである。
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内容はチグハグな文章で写真もイマイチの未熟ブログだ。
続けていけるのは健康だからだ。73歳になるが
まだ一度も入院したことがない。肥満で高血圧で糖尿病
の予備軍などなど悪い条件は揃ってはいるが 入院
するほどになっていない・・両親のDNAに感謝しなければ
ならない・・でも心配なのは「認知症」だが パソコンや
囲碁など頭を使う努力を続けて行きたい・・・
気楽なこと言うなと言うお叱り覚悟でコメントします。
10年以上も前ですが「藁って死ぬために」と言う著書のある朝日さんと言う医師の話を聞きました。
歳を取ると脳溢血なのを含めた不慮の事故・痴呆症・癌のどれかで殆んどの人が死ぬ。
不慮の事故は心残りがある。痴呆症は人間性の無視。
癌が多少の苦しみはあるが様々な準備が出来るので、一番ましな死に方。癌を恐れるなと言われました。
ippu さんが<一番恐れていた痴呆症にはならずに済む>と言われることに感得します。
私は重篤な病気・手術をしたことが無いので気楽に言えるのかも知れません。
会話のチャンネルが少なく、会話が全く合いません。
こちらの脳が混乱して精神的に疲労が大きいです。
何かが原因で死ぬのでしょうが、もう十文生きたと思って目を瞑りたい~~
こうしてじっくり見ますとなぜか素晴らしい文字に見えます。
私のブログ2004.11からボケ防止で始まりました。
≪私のブログは2005年からほぼ毎日投稿している。・・・まだ一度も入院したことがない両親のDNAに感謝しなければならない≫
ご無沙汰しています。コメント有難うございます。73歳まで入院の経験なしとは羨ましい限りです。これからまお元気で。
dojyou38さんへ
≪・・・・・・・・・・≫
仰る通りですね。私は手術や抗がん剤の副作用から逃げた結果、女房と一緒に家にいられます。痴呆症にもならずに。
hiroさんへ
≪そうですね義母介護の経験から言うと、認知症はなりたくないもののナンバーワンですね・・・≫
そうでしょうね。私の場合、後が長くないようで、恐らく痴呆症になる時間はないでしょう(笑)
hibochanさんより1年半以上も後から始めたのに、残念ながら先にダウンしそうです。人それぞれですから仕方ありませんね。
会津に『ころり観音』があり、そうならないようにお願いするかと言っています。
ボケを直す薬が発見されたらノーベル賞でしょうね。
全国各地に“ポックリ寺”と呼ばれるお寺が多数あり、お参りに行く人は多いようです。そうならぬことを願うのみですね。