気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

スーパー銭湯

2008-06-30 06:20:23 | Weblog
近頃「スーパー銭湯」なる浴場の人気が盛んであるようだ。
地球上殆どの所で、深く掘りさえすれば温泉は噴出すそうで、その技術が進歩した現在、都会にも温泉が増えてきた。東京といっても広いが、東京にも温泉と名がつく施設が100以上もあるそうである。
わが家から歩いて15分足らずの所に“天然温泉かけ流し”を謳った入浴施設が明日からオープンする。3日前の27日、私は散歩を兼ねてこの前を通った。オープンを前にしていろいろと忙しいだろうと想像していたのだが、大勢の人が出入りしていて既に営業している様子である。交通整理をしていた警備員に聞いてみた。
「オープンは1日からではないのですか?」
「はい。今日明日は地元の方に無料で開放しています。宜しかったらお入りください」
という次第で、野天風呂・ジェットバス・サウナ・マッサージ室・その他を完備した、完成したばかりの施設を満喫してきた。地下1,400mから湧き出す天然温泉は魅力だ。

年上

2008-06-29 05:50:25 | Weblog
幾つかのヒントから共通点を当てるテレビのクイズ番組を見た。
1番早い正解者は、「貴乃花」・「イチロー」・「江川卓」の僅か3人が表示された時点でピンと来たようであった。その答えは、“日本人”だとか“一流スポーツ選手”などという簡単なものではなく、「年上の女房」であった。
振り返ってみると、私も年上との付き合いが多かった。学校へ入るまで、また入学してからも低学年の内は、殆ど年上の女の子と遊んでいた。お医者さんゴッコはしなかったが、ママゴトのお客さん・鬼ごっこ・かくれんぼ・石蹴りに段ゴムまでやった。
高学年から中学にかけては女の子と遊ぶ時間は減ってしまったが、年下の子と遊んだ記憶はあまりない。周りに“年の近い年下”がいなかったという事情からかもしれない。
やがて10代の終わりになると、何故か「24歳の女性がいい!」と思うようになった。「自分は年上好みなのか?」との疑問も湧いたが、そうではなく、本能的に“肌の美しさと、漂い始めた色っぽさ”に魅かれたようだ。その証拠に、今ではもう全く年上に興味はない。

昭和53年

2008-06-28 05:52:39 | Weblog
夜10時には眠りに就くようになると、当然朝も早くなる。
朝は5時から6時ぐらいまでには起きるようになる。稀には3時頃に眼が醒めてしまい、そのときに偶々鼾でも掻いていられたらもう眠れない。そうした時はラジオを聴く。先日は「昭和53年の歌」が放送されていた。
昭和53年といえば、まだ生まれていなかった方もおられると思われる、今から30年前だ。この年は、キャンディーズが55,000人を集め「微笑返し」を歌って引退公演を行い、ピンクレディーが「UFO」でレコード大賞を受賞した新旧交代の年であった。
更に、懐かしい山口百恵の「いい日旅立ち」、アリス:谷村新司・堀内孝雄の「ジョニーの子守唄」、ニューミュージック部門では渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」、演歌では杉良太郎の「すきま風」、SF映画主題歌の、沢田研二の「ヤマトより愛を込めて」もあった。
とにかく、歌の大豊作の年であった。そろそろカラオケも流行りだした頃であったが、まだ「8トラックカラオケ」の時代で、相当自信のある人だけが歌う時代であった。

2008-06-27 06:41:23 | Weblog
鰹が旨い。1日置きぐらいに鰹の刺身を食べている。
4月から6月にかけて、鹿児島・紀伊半島・伊豆諸島・房総半島・東北地方沖へと長旅を続けている“上り鰹”が旨い。
昔、初鰹の季節といわれた「目に青葉」の5月になれば、流通機構の発達した現在では全国各地で自由に鰹を食べることができる。そして、6月末の今は、脂の乗り具合も程よく1番旨い時期だと思う。人によっては“トロ鰹”と呼ばれる脂のタップリ乗った“下り鰹”が旨いというが、私は鮮度と香を誇れる今の鰹の方が好きだ。スーパーでは手に入り難いが、特に腹身の皮を残した「銀づくり」とよばれる刺身が好きである。その皮の食感がたまらない。
鰹の皮といえば、かつて鰹の記念切手が発売されたとき、その絵に縞模様がないと論議を呼んだが、あの鰹独特の縞模様は死んだ後に現れるものである。
尚、「鰹」という文字は中国では「ウナギ」のことを表すと聞いた記憶がある。だがそれが正しいかどうかは確認出来なかったので、一応記しておくので皆様に調べて欲しい。

庭の芝生

2008-06-26 09:27:30 | Weblog
最近になってわが家の庭には「ネジレバナ」が多数咲いている。
昨年から何本かの花が咲き始めた。螺旋状にくるくる巻く茎にピンクの花を多数つけて大変可愛らしい。この花はラン科に属する多年草だそうで、その小さな花を見ると納得がいく。
英名では「ladies-tresses」(貴婦人の巻き髪)と呼ばれるそうで、日本名より遙かに情緒がある。また、その花言葉は「思慕」といわれるだけあって、それに相応しく、大変可憐な風情を見せている。多分そうしたことが原因であったのだろう。昨年この花が咲いたとき女房は、「こんな綺麗なのを抜いちゃ可哀そう!」と抜かなかった。それが今年の大量乱れ咲きに繋がってしまった。
4月には同じく雑草の「ニワゼキショウ」と「カタバミ」が花を咲かせた。
雑草でも花は美しいからそれなりに楽しいのだが、我が家の庭は芝生にした積りである。芝の中に草が生えていてはみっともない。元に戻すのも大変な作業になりそうだ。

年金問題

2008-06-25 06:49:30 | Weblog
政府が『消えた年金』を「最後の1円まで支払う!」と発表した昨年、私は12月21日のブログで「年金の扱い」と題して以下の趣旨の文章を書いた。しかし、残念ながら私のその意見は大方の人に無視されたようであった。
≪現在の混迷状態を簡単に解決できればそれに超したことはない。だが冷静に考えてみると、“莫大な費用”を費やしても、労多くして効果なしとの結果が予想されている。
宙に浮いた大部分は、既に亡くなった人と現在の受給者の分であろう。“将来の高齢者の受給基準引き下げ”を思えば、現在の高齢者が現状に甘んじるのも仕方がないだろう。
今の度は「非常時」だ。無駄な税金を使用して成果の期待できない作業などせず、現時点から出直すのも一法であろう。≫
だが情報に寄れば、私の危惧した通り、解決は不可能なようである。福田首相・幹部はギブアップ宣言のタイミングを図っているという。初めからやらなければよかった。
2重の無駄遣いをしたことは残念であるが、私の提案が正しかったことには満足している。

ブログネタ

2008-06-24 05:39:38 | Weblog
昨日もブログの更新を休んでしまった。今月に入り2度目である。
孫が来ていて忙しかったこともあるが、第1の理由は、特に書きたいということが思い浮かばなかったからである。
このブログは、以前にも述べたが、暇つぶしとボケ防止を考え気軽に始めたものである。だが定期的に読んでくださる方がおられることを知ってからは、できる限り更新しようと考えるようになった。自分としても毎日1回程度ならば、そのテーマ探しにも困りはしないだろうと高を括っていた。
以前、他の方が「ブログネタが見付からない!」とボヤイテいた。実際、最初の内は自分の基本的な考え方等、いくらでも書くことはあった。しかし、同じことを繰り返すわけにもいかず、新しい体験がないとその範囲が狭まってくるのも事実である。
だが、あくまでも趣味で始めたブログである。それが負担になっては意味がない。今後も多くの方に読んで戴いて、当初の目的通り、楽しみながらブログ生活を送りたい。

年齢

2008-06-22 06:50:04 | Weblog
高校時代の同窓会・大学の同窓会が、一昨年から期せずして昼間に行なわれるようになった。しかしそれ以前は夕方に開催され、特に若かった頃は、二次会三次会へと進み、帰宅は深夜になるのが当たり前であった。
だが自分たちの年齢になると、多くの行事が昼間に開催されるようになった。第1の理由は、昼間でも自由に時間が取れるからとのことであるが、多くの人間が夜は億劫になってきたからというのが本当のところであるようだ。
昨日も午後1時から、池袋で大学時代の同窓会が開催された。しかし、食べるものはともかくとして、飲む酒の量は大幅に減ってしまったようである。会が終ってからは、喫茶店へ行った者もいたようであるが、大方は真っ直ぐ家へ向かったようである。
私も昨日は都合で寄り道せずに帰宅したが、昔のように楽しんでみたい気もする。だがそんなことを思う私は邪道かもしれない。70歳も過ぎたら昔とは違った大人にならねばいけないのだろう。何時になっても煩悩が消えず、枯れ切ることの出来ない私である。

明治・大正・昭和・平成

2008-06-21 05:54:39 | Weblog
100歳のハードルをクリアーした最後の伯母が亡くなった。
数年前父が亡くなった折、達筆な手紙を戴いたのもつい先日だったような気がする。病床に就いたのは僅かの期間で、理想的な往生だと思っている。
自分がどの時代に生まれたかったかと望んでも、それは不可能なことであるが、太平洋戦争等の悲惨な時代をも挟んだ明治・大正・昭和・平成と、それぞれ異なる時代を生きてきた人は、それぞれの時代を体験できたという点では幸せかもしれない。
しかし、豊かな時代から様々な点で厳しい戦中戦後の時代を過ごし、その後の経済的に落ち着きを取り戻した時代になると、「昔は舅・姑に仕え、今度は嫁の機嫌を取らなければいけない時代になってしまった!」と多くの婦人がぼやくような時代でもあった。
そう考えると、精神的にはあまり恵まれていなかったかもしれない。とにかくそうした時代を後世に語り伝えることの出来る人が段々少なくなってしまった。

宝塚歌劇団

2008-06-20 05:44:08 | Weblog
原油の価格高騰により、多くの製品が値上がりしている。
そうした影響か、宝塚歌劇団も来年1月から料金の一部を値上げするそうだ。兵庫県宝塚市の「宝塚大劇場」、東京日比谷の「東京宝塚劇場」ともSS席は1万円から1万1000円に、その他S席も500円ほど値上げされるという。
中卸業者に値段を決められ、採算の取れない値段で売らざるうを得ないイカ釣り業者等と比べたら、自由に値上げの出来る宝塚歌劇団は恵まれている。そして、イカの値段も何れは上がるであろう。そんな時代になってしまった。話が大分暗くなったが・・・。
宝塚といえば、知り合いの娘さんが狭き門をくぐり抜けて舞台に立ったことと、もう1つ別な意味で、私の記憶の中には宝塚が存在している。
先日娘たちと一緒に東京宝塚劇場の前の道を歩いていた時のことだ。昔を思い出し「お前が宝塚にいたとき・・・」と言った瞬間、前を歩いていた3人組が一斉に振り向いた。
以前娘は、神戸支店勤務になった夫と共に、一家揃って「宝塚」に住んでいた。

官製談合

2008-06-19 05:54:47 | Weblog
談合。歴史は古く、入札制度の開始と共に始まったともいわれる。
入札に参加する業者が話し合って受注予定者を決めてしまい、価格競争は行なわれず、当然の結果として契約価格が割高になってしまう。独占禁止法は、これを不当な取引として禁止している。
だが、“買う場合は安く、売る場合は高く”と望む人間の気持ちを思うと、しばしばこの法律が犯されてしまうのを、悪いことと知りつつもその心情を理解できないわけではない。
しかし、「官製談合」となると遙かに性質が悪く、これは“税金の横領”である。発注者側の役所がカルテルを主導し、建設業協会・各企業へ天下りした元役人が受注企業を決め、民間同士の取引では考えられぬ高額の税金が支出されている。
数ある過去の「官製談合」事件を受け、『官製談合防止法改正案』が2006年12月に可決しその後に施行された。しかし、その法律がどう作用しているのだろうか? 何も変っていないようだ。やはり元凶である役人の天下りを完全に禁止しなければ駄目である。

天引き

2008-06-18 06:18:01 | Weblog
75歳以上の高齢者等を対象とする後期高齢者医療制度は他の健康保険とは独立した制度となった。私の不勉強のせいか詳細を理解できないでいるが、高齢者に対して優しくないことは確かなようである。
確りとした自分の生活設計を立てず、ルーズな生活を送り蓄えのない人にも非があるのは解っているが、収入のない人間から、生活費に比較して高額な保険料を徴収するのはイジメとも感じられるし、“姥捨ての方針”も見え隠れする。
そのため連日のように、無駄をなくせ! 天下りを完全禁止しろ! 廃案にしろ! などと、この制度に対する批判が繰り広げられている。それは当然のことだと思う。
そうした中に、「天引きは止めろ!」との発言もあるが、これは的を射ていないと思う。制度の良し悪しは別として、払うと決ったものは払わなければならない。その場合は天引きが1番納め易いはずだ。それとも天引きに反対する人は、その保険料も、授業料や給食費と同じように払わずに済まそうと考えているのであろうか?

働き蜂

2008-06-17 05:57:50 | Weblog
朝家を出て一生懸命に働き、夕方くたくたになって家に帰ってくるサラリーマンから“働き蜂”を連想しないだろうか? 実際、他に趣味もなくただ働くだけの男は働き蜂に例えられる場合がある。
だがこの働き蜂は総てが雌:メスであるという。蜂の世界で女王蜂と働き蜂はよく知られているが、これらは何れもが雌である。そして“女王蜂だけが生殖・産卵”をし、他の雌が働き蜂となって育児、巣内の清掃、花粉の採集などの仕事に従事するという。
女王蜂は自ら“女王物質”なる“卵巣発育制御フェロモン”を放出することで、若い働き蜂達を洗脳支配しているようだ。また、雄蜂と交尾をしてその精子を体内に溜めておき、その精子を使って雌を、使わずに雄をという“産み分け”を行なっているという。
4万~5万匹の1群において、雄蜂は僅か2千~3千匹ていどしかいないそうだ。雄は一切働かす、ただ生殖だけが仕事だそうで、羨ましく感じる人もいるかも知れぬ。だが、用無しになればお払い箱という運命にあるとも聞いた。それでも・・・? 男性諸君!

悪人

2008-06-16 06:46:50 | Weblog
この度、吉田修一の「悪人」を読む機会に恵まれた。
読書をするのに、以前ならどんどん先に読み進んで行けたものが、最近は歳のせいであろう、しばしば前に戻って人名や情景模写を確認しなければならぬ場合が多く、1冊の本を読み終えるのにも時間が掛かってしまう。
この小説は、朝日新聞に掲載されたそうで、出会い系サイトをきっかけとして起こる殺人を描いた話である。登場人物も多く、事件の舞台となる場所の位置的関係もそれほど単純ではないのだが、珍しく一気に読み終えることができた。これは作者の構成の上手さによるところが大きいからであろう。
どんな悪党が現れるのかと思っていたが、この作品を読み終えて「悪人」について考えさせられた。人の出会いとは最終的には宿命によるのであろうが、その一寸した違いにより悪人になったり、ならずに済んだりするのであろう。考えると人生は恐ろしい。
もし興味を抱かれたならば、一読をお勧めする。

フジヤマノトビウオ

2008-06-14 06:15:39 | Weblog
スピード社の水着による世界記録多発で話題になっている。
北京オリンピックの水泳では皆がこの水着を着ることになるのであろう。だがこれで皆が平等になると考えるのは早計であろう。
確かに現在の選手間では平等であるが、「世界新記録」は過去の選手と比べるものである。過去の選手で、自分の持っていた「世界記録」を塗り替えられてしまった中にも“歴代世界1”の実力を持つ選手がいるかもしれない。現実には不可能なことであるが、絶頂期の彼らにスピード社の水着を着せたらどんな記録を出すのだろうか?
終戦直後、打ちひしがれていた日本人に大きな希望を与えたのが「フジヤマノトビウオ」だった。水泳選手の古橋広之進である。彼は小学校6年の時に100mと200mの自由形で学童新記録を樹立し、日大入学以後も数々の世界記録を樹立した。1948年のロンドンオリンピックでは、日本は敗戦国との理由で参加を認められなかったが、彼の400m・800m・1500m総ての記録がオリンピックの優勝記録を上回っていた。