気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

年末に当たり

2010-12-30 06:17:45 | Weblog
≪2月末に退院し3月も半ばを迎えた。世間では桜の開花情報も報じられるようになった。そろそろ私のブログも再開しなければならないだろうと思い始めている≫
上記は3月15日のブログの書き出しである。退院後の体調未回復を理由に休止していると、だんだん怠け癖が付いてくる自分を眺めているようで、不安を覚え始めた頃であった。
ブログ開始の原点に戻り、『気が向いたとき感じたままに』書き続けるべく、従来よりも投稿間隔を長めの1日置きとし、余裕を持って再開した。そうした理由もあるのであろう、現在のところは予定通りに進行しているが、何よりも、ログ友を始めとする多くの皆様のご訪問・ご支援のお陰と、心より感謝している次第である。
今年も残すところ今日・明日の2日間のみとなった。ご厚情を下さった皆様に感謝の意を表し、改めてお礼を申し上げる。また、それと同時に、皆様が健やかに新しい年を迎えられることを切望している。

盗作

2010-12-28 06:40:46 | Weblog
九州の男子高校生が、エッセイコンテストに応募し優秀賞を獲得したが、「2ちゃんねる」に書き込まれた文章の盗用だということが発覚、校長は「今回の受賞を辞退したいと伝えました」と話していたが、受賞は取り消されたそうである。最近このようなケースが多発しているのは情けない。
秋田市の女子中学生がインターネット上の作品をコピーして投稿、「第19回詩と思想」の新人賞を取り消された例もあり、岩手県の男子中学生の盗用・投稿・受賞取り消しの例もある。女子中学生の場合は盗作・受賞の常連であったようである。過去には、杉村太蔵衆議院議員が自分のブログに盗作文書を載せ、決まり文句の苦しい弁解をしたが反省の意は感じられなかった。そればかりが理由ではないが、彼は信用を失い2度と議員になれなかった例もある。
そもそも文章の発表は自分の“何か”を他人に理解してもらう為のものである。自分に“何か”がないのなら書かねばいいのだ。ましてやコンクールへの投稿など義務でもない。盗作投稿する人の考えは理解に苦しむ。入賞の栄誉が欲しいのか? そうならば盗作が発覚した場合の結果を想像できないのであろうか? 本当に愚かな人たちである。

4桁の数字

2010-12-26 07:05:42 | Weblog
私が利用しているgooのブログでは、コメントを投稿するに際し、ランダムに画像表示される4桁の数字を入力しなければならない。そして、愚図愚図して一定の時間を経過するとその数値では無効になり、改めて新規の数字を入力しなければならなくなる。面倒ではあるが、好ましくない投稿をカットするためには仕方ないであろう。
だがそれに従っている内に、「今回はどのような数字が現れるか?」とそれを楽しみにしている自分がいた。やがて“0000”・“1000”・“2000”・“3000”・・・等、大台の切りがいい数字やゾロ目を期待するようになった。
1,000の桁に“0”は出ないようであるから“0000”は除くにしても、未だに総てが揃わない。同じものが3回も現れるのに、出ないものはなかなか出てくれない。気長に待つより仕方がないのであろう。
それ等の数字の他に面白い“語呂合わせ”の数字も現れるから、その後はそれも集めることにした。だが気が付いてみると、4個は中途半端で物足りない。日本語は七五調のリズムに乗る言葉であるから5個の数字ならば面白くなるのだが、元々4桁に決まっているのだからその範囲で楽しむより仕方がない。それらの中からほんの一例をご紹介する。

「THE BIG ISSUE」Ⅱ

2010-12-24 06:22:32 | Weblog
先日(2010-11-08 )のブログで紹介した、ホームレスの社会復帰を目指しホームレスが販売している雑誌「ビッグイシュー」を買った。1部300円、うち160円が販売者の収入になる。私にとっては初めての購入である。
A4版32ページの薄い雑誌であるが、広告は一切なく、活字も週刊誌より一回り小さいから記事の量が少ないとは感じない。活字が小さいからといって、眼の良くない私でも読み難いと感じないのは上質の紙を使っているからだと思う。
肝心の内容だが、“ISSUE”とあるだけにゴシップ記事で埋まる週刊誌とは違い、読んだ後に何かが残る気がする。因みに私の買った157号は、「ダライ・ラマへのインタビュー」、今話題の“レアメタル”にも触れた「元素と暮らし」、紺野美沙子の「私の分岐点」、「ドイツの福祉住宅」、貧困層が標的になる「臓器略奪」等の記事で埋められていた。

2010-12-22 06:05:18 | Weblog
死亡する日本人の内、3人に1人は癌が原因で亡くなっている。また中年以降の死因は、癌がトップを占めている。
こう見てくると癌は特殊な病気ではなくなっているといえる。最近では患者に対する告知も昔とは大分違ってきているが、それは、医学の進歩により“確実に死ぬ!”から“必ずしも死ぬとは限らない”に変ったからであろう。
しかし、癌と宣告された人間には、「自分はあと何年生きられるだろうか?」との不安が生ずるのは間違いない。私のように70代も半ばになれば、元々それ程の残りを期待もしていないからショックも小さいが、若い人の場合、深刻に受取るのは間違いない。
先日、甥の奥さんが肝臓への転移を告げられたと連絡を受けた。彼女は定期的に病院へ通っていたが、転移が発見された時点で既に手術不可能な状態であるという。“早期発見”が叫ばれているが、現実には病院へ通っていながら見逃される場合も多い。それも運命であろうが・・・。
明日は仏滅故、近い内に彼女の見舞いに行くが、50歳になるかならぬ彼女のことを思うと、掛ける言葉も浮かばない。

「今月の法語」

2010-12-20 06:01:10 | Weblog
私の友人であり仏道の師でもあるKさんは自分の寺:吉祥院のホームページを開設し、その中に「今月の法語」なるコーナーを設けている。本年最後の「法語」は「確信」である。新しい年へ向けての指針としたい。

恐ろしい!

2010-12-19 05:44:19 | Weblog
以前から海老蔵の女癖・酒癖に関しては、あまり芳しくない噂が立っていた。あの事件当日も、仕事をサボりながら飲みに出かけたというから到底許される行為ではない。自分の立場を考えたら反省しなければならぬのは当然である。
先日の謝罪会見では、従来の“おごり”を反省する言葉を述べていたが、「相手を挑発するような言葉を発したこともなく、一方的に暴行を受けた」と説明していた。当時私は、「酒場の喧嘩だ、一方だけが悪い筈は無い。彼は自分に都合のいいように語っている」と受取っていた。だが最近になって、考え方が少し変わった。
海老蔵に暴行を加えたとして、傷害の疑いで逮捕状が出ていた容疑者が逮捕されたが、暴力を受けたとする元暴走族リーダーの弁護士は、“依頼者の被害届”をちらつかせ示談を目論んでいたらしい。過去の力道山刺殺事件、朝青龍の暴行・示談事件にも通じる恐ろしい事件であるようだ。隙があり然も裁判を好まぬ有名人故に狙われたような気がしてきた。
しかし、何の弱みも持たぬ人はそのような被害にも遭わぬであろう。そうした意味からも、彼のような立場にある人間は、一般人以上に襟を正さなければいけないと思う。今回の事件は、海老蔵にはいい薬になったであろう。

「POMERA」Ⅱ

2010-12-17 06:10:39 | Weblog
私は、一昨年:2008年の12月24日に、発売されて1ヶ月と少し経った「POMERA」なる製品に関して書いた。
折りたたみ式で開けば通常サイズになるキーボードを備えた、テキスト入力に特化した小型の “デジタルメモ帳”である。使用時のキーボードはW250×D100となり快適で、携行時には“文庫本サイズ”になるキングジムの製品である。
これには企画段階から社内でも賛否両論が渦巻いたといわれ、世間に出た製品に対する評価も極端に割れていたようである。長所の1つとして“スイッチONから2秒でスタート”とあるが、使用感としては“瞬時”といってもよい。
厚手のシステム手帳より寧ろ薄い「POMERA」に興味津々だった私は買ってみる積りでいたが、女房・倅から「そんなものを買ってもすぐに使わなくなってしまう」と私の気持ちに水を差されてしまった経緯がある。
その後の改良型ではディスプレーは5インチと大きくなり、1個のキーで“当日”の挿入が可能になり、指定個所にジャンプできる機能も追加された。カレンダー機能も便利だし辞書機能も充実した。またパソコンと連携できる等大幅に進歩した。やはり縁があったのであろう、遂に私の処に来たお陰で毎日が楽しい。新婚時代には及ばぬが・・・。

感謝と教育

2010-12-15 05:49:37 | Weblog
以下は「NEWSポストセブン」に掲載されていた、前楽天監督:野村克也が語った言葉である。
≪・・・しかし、マー君(田中将大)の育成には失敗しました。反省しています。大人扱いというか、甘やかせすぎた。しっかりとしていると思っていたがまだまだ子供だった。
監督をやってきてつくづく、何がすべての原点かに気がついた。「感謝」です。マー君は私が辞めるときに「お世話になりました」の挨拶や電話一本もなかった。まず親に対する感謝から感性が磨かれる。
熱心な親はキャンプや試合を見に来る。だが、監督に挨拶に来る親はほとんどいない。選手もそうだが、親も感謝の心が足りなくなっている気がします。こんな時代だからといっていていいものか。子供をみれば親がわかる。親が子どもを教育できない時代になっているのか。環境が人を育て、地位が人をつくるとはよくいったものです≫
私も野村克也と同年代で、マー君は私たちの孫の世代、その親は子供の世代に当たる。私には彼の言葉がよく理解できる。単に、面倒を見た自分に挨拶が無かったことへの不満ではない。時代が変わってしまったことを憂いているのだ。

牛乳と下痢

2010-12-13 05:41:28 | Weblog
栄養食品だと知ってはいたが、私は牛優を飲むと直ぐに下痢をする体質で、殆ど飲まなかった。だが病院食では毎日牛乳が付いてきたこともあり、退院後の食事形態と栄養面から、毎日の食事に牛乳を飲むよう心がけた。下痢をするのは半ば覚悟の上の決断であった。殆ど1人で1リットルパックを2日で飲んでいる。
日本人の場合、牛乳を大量に摂ると、それに含まれている乳糖のために「乳糖不耐症」なる現象を起こし下痢をする人が多いようだ。乳糖の量に比較して、相対的に分解酵素の「ラクターゼ」が少なく消化できなくなるからだそうである。だが牛乳を日常的に繰り返し摂ることにより、乳糖を分解する腸内細菌が増え「乳糖不耐症」が改善されるとの実験結果もあることを知った。
実際、以前は偶に牛乳を飲むと忽ち下痢に襲われた私が、最近は遥かに多量を飲んでいるのにあまり感じなくなった。体が食事環境に順応していくようである。下痢を恐れて牛乳を敬遠している人は多いと思う。だが、騙されたと思って、ある程度の期間続けて飲んでみて欲しい。健康食品を飲むより効果的な気がする。

電飾

2010-12-11 05:44:41 | Weblog
この時期になると、庭の樹木やフェンスを様々な色の電球で飾る家が多くなる。私も数年前は単純な点滅のみの飾りを楽しんでいたが、入院で何回か休んでいる間に周りは年々豪華になった。従ってもうチャチな物を飾る気も失せた。
友人の家では今年もまた、業者に依頼し庭の中を“お伽の国”のように飾り立てている。商店街や公共施設が施すイルミネーションには素晴らしい作品が多いが、個人の家としてはトップクラスだと思うので紹介してみる。

リコール投票

2010-12-09 06:05:16 | Weblog
先日、しばしば話題になっていた鹿児島県阿久根市の竹原信一市長に対するリコール(解職請求)の賛否を問う住民投票が行なわれた。・・・だが投票方法に戸惑い、自分の意志とは逆の投票をしてしまった人もいたようである。“市長を支持する人は反対欄に、支持しない人は賛成欄に氏名を記入する”方式になっていたのだ。
私自身は、遠い九州の市長とはなんの係わりもなく、彼の行動に関しては理解できるところもやり過ぎと思えるところもあるので賛否は控えるが、僅差の結果から考えると、投票形式如何によっては逆の結果が出ていたかもしれない。
簡単明瞭に『竹原信一市長を任期一杯支持する人は「○」を、解任したい人は「×」を記入』でよかったのでは?
現にアナウンサーの問いに、「私は市長さんを支持していますから“賛成”の方に名前を書きました。・・・それではいけなかったのですね?」と語り、間違ったことを悔いていた年配の婦人もいた。
役所という所は、何故そのような誤解を招いてしまうような“ヤヤコシイ形式”にするのであろうか?

読書専用メガネ

2010-12-07 05:54:12 | Weblog
メガネは実用品であると共にアクセサリーの一種とも考えている人は多いようである。アナウンサーの古舘伊知郎はテレビ出演の度に異なったメガネを掛けているが、その他にも多数の品を所有していると披露していた。こうなると職業上の必要というよりは趣味のコレクションである。
その点私は実用派で、度が合わなくなったり古くなった場合に次を新調するという方法で、一貫して「遠近両用」1個で過ごしてきた。サングラスは別にして・・・。ところが現在、私の机の上には常に3個のメガネケースが置かれている。
歳を重ねるに従い、通常の「遠近両用」だけでは不自由を感じ始めた。そこでパソコン用の「中近用」を作り、遂に最近は「読書専用メガネ」を作った次第である。カメラの場合のズームレンズと単焦点レンズの比較とは意味が違うが、“それ専門のために作られた品”はいい結果を出してくれる。小さな文字も俄然ハッキリし、今までより本が読み易くなった。
よく「老眼鏡は安い物で充分だ」という人がいるが、やはり検査をして自分の眼に合ったレンズを入れた方が楽である。それほど高価でもない。あまり若くもなく「遠近両用」1個で済ませている人にはお薦めしたい。

酒 

2010-12-05 05:57:45 | Weblog
暑い時のビールや冷酒、また雪を眺めながらの熱燗は最高だ。だがそうしたことを超越して、“飲ん兵衛”にとって何時でもアルコール類は魅力のあるものである。私は生涯、このアルコール類と上手に付き合って行くつもりでいる。
酒を飲むと“人間が変わる”と言われる人がいるが、それは違うと思う。酒を飲んだことにより、本来の自分を抑えていた理性が剥ぎ取られ、普段隠れていた本性が現れたに過ぎないと解釈している。諺にも『酒飲み本性違わず』とある。
人間だれでも酒を飲むと硬さがとれ、人間関係もスムーズになるという利点がある。「他人と親しくなりたかったら一緒に飯を食え、より親しくなりたかったら一緒に酒を飲め、更に親しくなりたかったら・・・」という言葉を聞いたことがある。“適量”は健康にもよく、上手く飲めばこのくらい便利な“人間同士の潤滑油”はないであろう。
だがこの酒、両刃の剣ともなり、酒で体を壊したり、信用を失った人の例は枚挙にいとまがない。“適量”で止められなければ飲む資格はない。胃や肝臓に自信があり、然も、酒でタガが外れ自分の総てを曝け出しても大丈夫との自信があればいくら飲んでも構わない。だがそのような人はいないであろう。

美魔女コンテスト

2010-12-03 05:52:08 | Weblog
ミス・ユニバースのコンテストを始め、国民的美少女コンテスト、○○美人コンテスト等、女性の美を競うコンテストは大変多い。従って、少なくとも私にとっては昔ほど興味が無くなった。ところがつい最近、“美魔女”コンテストなるものが今年から開催されると知り興味を持ったが、その結果にはがっかりした。理由は・・・
魔女とは悪霊との交わりにより魔力を得たという女性で、黒ずくめの衣装に三角帽を被り、箒に乗って月夜の空を飛ぶと想像され、年輩者のイメージが強い。それにも拘らず、応募資格は35歳以上で選ばれた人も41歳であった。これでは従来の“若い人”の美の競演の域をそれほど出ず、目新しさもなかったからである。
「美魔女」とは - 実際より若く見え老けない女性のことを指すようで、光文社発売の「美STORY」という雑誌に載ったのが最初のようであるが、それ以前から存在していたのかも知れぬ。私の感覚が古いのかもしれぬが、35歳以上という応募資格が気に入らない。「美魔女」というからには、せめて50歳以上の女性から選んで欲しかった。それでは “グランプリ該当者なし”にも成りかねないとの懸念でもあるのだろうか? そんな危惧は必要ないと思う。今の50代はまだまだ美しい。