気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

花火の撮影

2006-07-31 08:15:10 | Weblog
花火の撮影に関しての参考書を見れば、殆どの場合「三脚を使用し・・・・」と書いてある。
確かに三脚を使用すれば、思ったシャッタースピードを選択でき、しかもブレずに済むという大きな利点がある。
しかし、三脚が無ければ花火の写真が撮れないわけではない。三脚を使用しないためにカメラを自由に操作できるメリットもある。
土曜の晩に、三脚なしで花火を撮ってきた。

ISO感度:800/絞り:F4/シャッター速度:1/50/距離:オート(あるいは無限)

上記撮影データを基準とし、状況に応じISO感度やシャッター速度を調整する。

「本音」と「建前」

2006-07-30 08:23:17 | Weblog
私は、「○○さんの話は面白い」とよく言われるし、そう思っている人は多いようだ。
この「面白い」とは漫談的な面白さではなく「変っている」という意味だ。
人は「本音」と「建前」を使い分けて話をするが、私の場合は一般の人より「本音」の部分が多過ぎるのだろう。
相手は私の本心を知ることができ都合がいい筈だが、時には気分を害することもあるようで、嫌われることも多い。
若い時にはそうした性格を直したいとも思ったが、今更もう自分を変えられない。こうした私を理解した上でお付き合い下さっている方々には深く感謝している次第だ。
「本音」で話すことの一番の利点は、何時も話すことに整合性が取れているので、余計な神経を使わずに済むことだ。

自民党員

2006-07-29 08:18:11 | Weblog
谷垣財務大臣が出場を表明し、自民党の総裁選も一段と動きが活発化してきた。そうした中、地区の役員が党費を集めに来た。
私は、自民党の支持者だったが、「何が何でも自民党」と言う程の人間ではない。その私が自民党の一員になったのは周囲の人との関係だ。
上層部の人は党員拡張のノルマを負っているであろうから、「付き合いとして入っておこうか」程度の動機である。善かれ悪しかれこれが実態で、他の多くの人達も同じだと思う。
党員の中には本部党員と支部党員があり、当然党費納入の義務がある。それぞれ年会費は4000円と1500円だ。本部党員には党員証が支給され、総裁選が行われる際には投票用紙が届く。それを楽しみにしている人も居るようだ。

淋しいけれど満足

2006-07-28 08:28:10 | Weblog
ここ1週間のブログに対してのコメント数はゼロに近い状況にあり、ちょっと淋しい限りだ。訪問して下さった方もそうした感じを受けるかもしれない。
しかし、私は自分なりに満足している。私の拙い文章に見切りを付けず、定期的に訪れて下さっている方が確実に増えているからだ。毎日30数件に及んでいる。
今後はこの数字に励まされ、コメント数を気にせずに書き続けて行けそうだ。
たとえ気が向いた時だけでも、末永くお付き合いを戴ければ大変幸せである。
ご訪問下さる方々に心から感謝感謝!

「蕎麦」と「うどん」

2006-07-27 08:22:28 | Weblog
蕎麦は店によって個性があるというか、食べた感触が異なる。以前、洒落た造りで高級感のある店へ入ったが、蕎麦好きの私が残してしまう代物だった。
その点うどんは当たり外れが少ない。稲庭うどん、きし麺、讃岐うどん等それぞれの特徴はあるものの、同じ種類のものであれば、何処でもそれ程違わないと思う。
先日、友人達と蕎麦屋に入ったときに、私が皆に話していた。
「うどんは何処で食ってもそれほど変らないから、此処へ来たら蕎麦だな!」
これを聞いていたのだろう。オヤジさんは注文もしていないうどんを持って来た。
そして自信あり気に言った。
「お客さん!うちのうどんを食べてみて下さいよ。」
うどんの味よりも、自分の仕事に誇りを抱き自信を持って頑張っているオヤジさんの意気に感動した。

「007シリーズ」の復活

2006-07-26 08:18:27 | Weblog
ショーン・コネリーの主演映画で、若い時の私を夢中にさせた「007シリーズ」は、イギリスの作家イアン・フレミング(1908-1964) の原作だ。
彼はロイターの記者をしていたが、1939年から海軍の情報局につとめ、第二次世界大戦中は実際にスパイとして活動したそうだ。その時に使用していたコードネームが「ジェームス・ボンド」だったという。
その彼が若くして亡くなり、「007シリーズ」は暫らく途絶えていたが、別の作家により甦るかもしれないと聞いた。未だ名前は明かされていないが、実現するとすれば大物でなければならず、フレデリック・フォーサイスの名前も挙がっているようだ。
フランスのド・ゴール大統領暗殺未遂事件をテーマにしたサスペンススリラーの名作「ジャッカルの日」の作者である。この夢が実現したら素晴らしい。

栗本英世氏の挑戦

2006-07-25 08:15:27 | Weblog
発行:PHP、著者:今関信子、書籍名:「地雷の村で『寺子屋』づくり」
カンボジアのポイペットでたった1人のNGOとして活動している栗本英世氏(「カンボジアこどもの家」代表)は、より多くのこどもに教育を受けさせたいと、『寺子屋』を作りその運営全般を行なっている。何もない地雷原のそばに建物を建て、先生を雇い、その先生自身を教育している。時には疫病にかかり命懸けの活動だ。
その姿から、本当のボランティアとはなにか、彼を突き動かすものは何なのかを見つめるノンフィクシン。(書籍紹介文の要旨・・・ippu要約)

私の理解した[栗本英世氏の信念]
カンボジアは世界中からの援助金で一人立ちできない国になっていく。優しい思いから物資や資金の援助をすることによって、国造りを外国に任せっきりにしている。そうした援助は止めてほしい。本当に必要なのは、現地人を仕事のできる人間に育成することだ。  

※ 出版物を推薦したことのない私の初めてのお勧めである。

期待外れの「日本沈没」

2006-07-24 11:39:40 | Weblog
予告編に釣られ、上映された「日本沈没」のリメイク版を観てきた。
小松左京の原作も読んでいないし、30年以上前の映画も観ていない。前評判が良かったので大いに期待したのだが、その期待は完全に裏切られた感じだ。
撮影技術の進歩により、日本各地の自然・実在の建物が破壊されていくシーンは確かに迫力があった。しかし、これだけの被害の中を年寄りや子供がリヤカーを引いて逃げ回ったり、最新鋭の潜水艇で成し得なかった難事を、潜水能力2000mの旧型艇で4000mまでも潜って成功させたりで、筋の進行に無理が感じられた。
更に「2人の愛の物語」と「沈没物語」が巧くかみ合っておらず、中途半端な感じを拭えない。
緊張感も感じられず、最近私が観た映画10本位の中で1番詰まらない作品だった。

惚れる

2006-07-23 08:10:44 | Weblog
人間この世に生を受けて何年か経つと惚れることを覚える。そして長い人生の終わりを迎える頃には大方の人はボケる。
「惚れる」と「ボケる」は対極にあるようにも思えるが、決してそんなことはない。意外と近い関係にある。女性を見るとすぐに惚れてしまい、見境なく手出しをするボケ爺の話はよく耳にするところだ。
尤も、「ボケる」を漢字で書けば「惚ける」。・・・「惚れる」と同じ漢字だった。


グリーン碁石

2006-07-22 08:18:29 | Weblog
推理作家の夏樹静子は40代半ばを過ぎてから囲碁を始めたそうだ。
しかし、元々眼の丈夫でない彼女は、「白黒のコントラストの強いものは眼を疲れさせる。囲碁など止めてゆっくりと緑でも眺めなさい」と医者に言われたそうだ。
「碁石」といえば「白黒」を連想するくらいで、それ以外の色は考えられない。だが彼女は考えた。「白黒でなくグリーンの濃淡ではどうだろうか?」と。そして考えただけでなく、業者に依頼し試作品を作り一般にも実費で配布し好評を得たとのこと。
邪道とも思えるこの碁石に対する日本棋院の対応が気になったようだが、今では毎年5月に「夏樹静子杯グリーン碁石囲碁大会」が開催されている。それも、後援が日本棋院と読売新聞社だそうだから立派なものだ。
以上は彼女のエッセイを読んで初めて知ったことである。

豪雨被害

2006-07-21 08:18:48 | Weblog
梅雨前線の活発化に伴い各地で大雨による被害が拡大している。
前から今日の蓼科方面旅行を計画していた長女一家は、急遽それを取り消し行き先を他に変更したようだ。
予約をしてあった旅館は、「このような状態ですから、お客様の判断にお任せいたします。キャンセル料は頂戴しなくて結構です。」と言ってくれたそうだ。
今回の豪雨は、直接被害を受けた所以外にも大きな影響を与えている。
私の大学時代の友人が長野県茅野市に住んでいる。年賀状の遣り取りだけで暫らく逢っていなかったので電話をしてみた。電話は通じた。一先ず安心。様子を聞いてみたが今のところ大丈夫とのことだった。
未だ心配は残るようだが、旧交を温める機会を作ってくれたことが例外的なプラス面だった。

白くない「ご飯・うどん・パン」

2006-07-20 08:28:35 | Weblog
今の人に「ご飯・うどん・パンの色は?」と聞いたら「白」と答えるだろう。
だが「臨海学校」でも書いたが、終戦直後の主食は白くなかった。正確には茶色だった。
現在売られている米のように、充分に搗かれた米は特に「白米」と呼ばれ、あまり存在しなかった。小麦も周りの皮(ふすま)まで挽き込まれ、当然の結果として小麦粉は茶色になり、その小麦粉から作られる「うどん」は蕎麦のようであった。当時パンといえば「コッペパン」位だったが、割って見ると珈琲でも入っているような色をしていた。
ある時知人が進駐軍関係から入手したという真っ白い食パンを口にし、「これが同じパンか!」と感激した。今なら何処のパン屋でも買えるようなパンだったろうが。

炊飯器

2006-07-19 08:32:12 | Weblog
私はご飯に拘る方で、できれば炊き上がったばかりのを食べたい。
しかし2人だけの食事のため、2合も炊くと1回は電子レンジか冷めたご飯を食べることになってしまう。不本意だった。
「こんな大きな炊飯器で1合は炊けない」と言う女房に私が手本を示し、現在では毎回1合ずつ炊いている。炊く量は減っても時間は変らないので不経済かも知れぬが、そのことには目を瞑っている。
ところで、「1合炊くのなら小さな釜で炊いた方が美味しい」と言う人が意外に多い。私は、水加減に神経は使うが、熱量充分な大きな釜で炊いた方が旨いと思うのだが、実際はどうなのだろうか?気になった私は、メーカー2社へ質問メールを入れてみた。

臨海学校

2006-07-18 08:21:05 | Weblog
テレビで観光地引網の画面を見て臨海学校時代を思い出した。
終戦から2年後の昭和22年(1947年)、千葉の海岸で1ヶ月を過ごした懐かしい生活が甦った。
毎日漁師さんの地引の仕事を一緒になって手伝った。6年生の私たちは決して邪魔にはならず、網を引く労力として役に立っていた。欲しければ魚も貰えたし、せっかく作った「かますの干物」を鳶にさらわれた思い出もある。
世は配給の時代、主食は全員が家から麦を持参したが、市からも米の補助があった。お陰で最終日の食事などは米の割合がぐっと増えていた。
「あっ、銀シャリだ!」誰かが叫んだ。しかし、今思えば銀シャリとは程遠い代物だった。米も今ほど白くはなかったし、現在一部の人が食している「麦飯」より遥かに麦の割合が多かった。

施餓鬼

2006-07-17 08:27:05 | Weblog
昨日は菩提寺で行なわれた「大施餓鬼会」に出席した。
「施餓鬼」とは正に「餓鬼に施す」という意味だそうだ。
人は生前の罪により、死後は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道の六道のいずれかに転生するのだそうで、「餓鬼」とは餓鬼道に落ちて苦しんでいる亡者のことだそうだ。
餓鬼が口にしようとするものは忽ち炎と化し何一つ食べることが出来ず、飢えの苦しみには際限がないのだという。
自分の力ではこの苦しみから脱することが出来ない餓鬼に、食べ物を施そうというのが「施餓鬼供養」であるとのこと。
具体的には、他の命を奪い食べることで自己の命を繋いでいる自分の罪深さを自覚し、食べ物に対する感謝の念を新たにするための供養であるそうだ。