気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

味噌汁

2010-03-31 05:49:17 | Weblog
人の好みは様々で、味噌汁に関しても、同様のことがいえるであろう。
この具としては、「ワカメ」「豆腐」「油揚げ」「大根」「長ねぎ」「ジャガイモ」等が好まれるようであるが、マイナーのものとしては「キムチ」も利用されると聞いて驚いた。私には考えられないだけかもしれないが・・・。
数種類の具を入れて、コクのあるのが好きだという人が多いようであるが、私は、具は1品でその素材の味を感じられるものが好きである。“長ねぎの白い部分を2センチ弱に切った”のも好きである。また、人によって好き嫌いが分かれるようであるが、笹がきにした「ごぼう」なども最高だと思っている。
一方、けんちん汁の旨さも充分に理解でき、何でもさっぱり系が好きだというわけではない。しかし、味噌汁の具は1品、多くても2品までにして欲しい。2品で許せるのは、「ワカメと豆腐」「豆腐と油揚げ」ぐらいである。
ところで、私が3ヶ月近く入院していた病院食の味噌汁の具は、最初から最後まで“1品”であった。私の希望に沿っていたわけであるが、その中に好きでない「麩」がしばしば用いられていたのには参った。

発語検査

2010-03-29 07:36:56 | Weblog
人が話をする場合、一部の音を正確に発音できなくとも、文体の流れからその意味は通じる。従って、意味が通じたからといって正確に発音できているとは限らない。1年以上前、自分が舌癌の手術を受け、その後の発音の正確度を調べるに当たり、「発語検査」なるものを受けた。以下にその概略を記す。
「パ」「チ」「オ」「キュ」等、日常使用することを想定して出題された100の音を、指示に従いゆっくりと2度づつ読み上げる。それを聴いた5人の審査官が聞こえたように書き記す。意図した発音通りに伝わっていれば1問で1点、合計100点である。正確に伝わっていなければその分だけ減点されるわけである。
審査官5人の結果の最高と最低の点数を除き、中間3人の平均で決定される。最初の手術後の私の点数は99.6であった。舌の1部削除を行なっているにしては充分満足すべき数値であった。
しかし、レコーダーに記録された発音を聴いても、今回の手術後の状態は厳しい。傷の回復とリハビリにより幾分は向上するかもしれぬが、最終的にどのような数値が現れるか、楽しみでもあるが不安でもある。ハードが変化してしまった以上、それ程の期待は持てないであろうとの不安な気持ちの方が強い。

舐める

2010-03-27 06:59:22 | Weblog
舌の裏側と下顎部分を繋いでいる弱々しい感じの筋のようなものがあるが、これを「舌小帯」というそうだ。一見して解る通り、これは舌の動きに重要な影響を及ぼす。
生まれ付き「舌小帯短縮症」という、舌の動きが不自然になる病気もあるようであるが、私は、お蔭様でそのようなこともなく過ごしてこられた。しかし、今回の手術ではこの「舌小帯」にも影響を受け、大変な不自由を強いられている。
当然予想したことではあるが発音に支障を来たしているし、その他に子供の得意な「べー!」ができない。そんなことはできなくともよいが、これは予想外であった。他にもできないことがある。
美味しいソースがタップリ付いていても、その皿を舐めることもできない。舌を前歯より外へ出すことができないからである。これも下品なことであるから、できなくても一向に差し支えない。皿など舐めない方がいいに決まっている。
だがその皿以上に舐めない方がいいものがある--それは他人のことだ。そんなことをしたらとんでもないことにもなり兼ねないのは皆さんもご承知であろう。さて、国民を舐めたような行動の多い小沢幹事長や鳩山総理はどのようなしっぺ返しを受けるのであろうか?

2010-03-25 05:46:48 | Weblog
関東各地でも桜の開花情報が伝えられるようになった。花は総てが美しく人の心を和ませてくれるが、数ある花の中でこれくらい話題になり騒がれる花も少ないであろう。それだけに桜に関する諺や言葉は多い。
そうした中に「姥桜」というのがある。よほどの年配女性でない限り、「姥桜」と言われれば気分を害するようであるが、本来は褒め言葉である。“桜”と付いているのだから当然であろう。娘時代を過ぎても何時までも若さを失わず、艶やかさを保っている魅力的な女性を指すようである。この言葉、字面から見ても解釈の仕方では美しい。
この“桜”という字は、私が学んだ頃は“櫻”と書いた。この文字に限らず、旧態の漢字は画数が多く、覚えるのも書くのも大変であった。
ところで、「熊櫻」という言葉・文字に出会ったことはあるであろうか? 「熊笹」ではなく「熊櫻」である。私は70年以上生きてきたが、先日初めてそれを目にした。山の中などではなく病院内に於いてである。私の病室と廊下を隔てた部屋にいた中国人患者の“姓名”がそれであったのだ。
彼女の風貌は決して熊のようではなかった。だが櫻のようでもなかった。

ミキサー食

2010-03-23 06:54:36 | Weblog
「お食事です!」時には「ご飯ですよ!」といわれても、デキストリン・乳蛋白・植物油・しょ糖・大豆ペプチド・オリゴ糖・・・等を主成分とした不透明な液体を胃に流し込まれただけでは、食事などという感覚はまったく起きない。ただ空腹を感じないだけである。
そうした生活を10日間も過ごした後に訪れた本当の口からの食事、だがこれも普通の食事ではない。主食の5分粥も副食も総てがミキサーに掛けられている。掛けられていないのは牛乳とプリンぐらいのものである。
おかず総てがどろどろの液体である。味噌汁も煮物も焼き魚までもが・・・。焼き魚は少々のだし汁を加えられて液状になっているし、ほうれん草のおひたしは“青汁”である。
メニューと出された食事を眺め、色と香りを頼りにどれが何かと見当をつけるような状態だ。目をつぶり鼻をつまんだら、恐らく、何を口に入れているのか判らない。
だが慣れというのは恐ろしい。というよりは素晴らしい。続けているうちに味の違いが判りその旨さを実感できるようになるから不思議である。ミキサー食も充分に美味しい。もちろん通常のご飯の魅力には遠く及ばないのだが・・・。

乃木坂

2010-03-21 07:53:51 | Weblog
今から30年も昔、1979年にロス・インディオス&シルヴィアによってリリースされ、ミリオンセラーの大ヒットとなったデュエット曲「別れても好きな人」、その歌詩にも登場する“乃木坂”、ここは、大きな変貌を遂げた近くの六本木や赤坂ほどではないが、繁華街であることには違いない。遊びに行けば楽しい所も少なくない。
退院後は診察で病院へ行った以外、東京へ出掛けたことのなかった私ではあったが、昨日この“乃木坂”へ行ってきた。当然のことながら大変疲れた。しかし、自分の体調も顧みず遊んできたわけではない。義兄:女房の姉の夫が闘病の末に亡くなり、その通夜に参列したのである。今日の告別式にも出る予定でいたが、疲れているようだから止めた方がいいと留められ、女房だけが出掛けて行った。
彼の年齢は82歳であった。2008年の統計によれば、日本の男性の平均寿命は、アイスランドの79.4歳、香港の79.3歳に次いで79.2歳であるそうだから、年齢に不満はないであろう。ただ永く生きるだけが幸せだとも考えていないので、私は自分も含め、ある程度の年齢に達した人の場合、人の生涯における“生老病死“の最後の段階を迎えたのだと冷静に受け入れられるようになった。

ICレコーダーⅡ

2010-03-19 07:01:45 | Weblog
「あら! あたしこんな経験初めてだわ!」とは例の女医さん(2009-01-08 06:39:29 )。
「これippuさんの声じゃないですか。流石先端技術ですね」とは教授先生。
「あたしこの仕事を3年もやっていますが、こんなの初めてです。嬉しくて感激しちゃいます」とは若い看護婦さん。
これ等は手術の翌日、私が前もって皆さんに対する「感謝とお礼の気持ち」を録音しておいた“音”を聞いてもらったときの感想である。時代の最先端を行っている教授が、ICレコーダーを“先端技術”と表現したのはちょっと面白かったが、皆さんに好感を持って受け入れられたようではあった。
9時間近く掛かる今回の手術により私の発音能力は大幅に落ちると予想されていたので、術後の自分の言葉を聴いてみたく、入院時にICレコーダーを持って行った。そして、今回は気管支の切開も行なわれ、当分の間は声を出せないことが分かっていたので、手術の前日、急遽6通りほどを録音してみたのだ。テープレコーダーと違い、現在のICレコーダーは瞬時に“頭出し”ができるから大変便利である。
お蔭で、私の気持ちも皆様に伝わったようであり、自己満足かと些か不安であったこのアイデアも悪くはなかったようだ。 

入院

2010-03-17 07:08:44 | Weblog
一昨年:平成18年、私は舌癌のため舌の一部を削除し12月4日に退院した。そして昨年の12月3日、転移により丸1年ぶりで同じ病院へ戻った。自宅へ帰れたのはそれから3か月近く経った今年2月末になってからである。
今回は、下の前歯の内側辺り、歯茎の根元というか下顎の内側にシコリができ、食事のときに大変な痛みを感じるようになった。この病状の変化は非常に速かったのだと思う。何しろ4週ごとに外来に通っていたが、前回の画像検査で異常は発見されず、特別に再検査して癌が発見されたのであるから・・・。
CT・MRI・PETなどの画像検査は絶対だと思っている人も多いようであるが、過信は禁物であろう。やはり癌細胞がある程度まで成長してからでないと発見できないようである。
私の場合、もっと遅れたら歯も抜かねばならず、顎の骨を削るような事態にも成りかねなかったようである。ある時点で異常なしと判断されても、定期的な検査が必要であるとつくづく感じた。
早期に適切な処置を受けることのできた私は、病魔には取り付かれたが、その中では幸せな人間だと感謝している。

再開

2010-03-15 07:35:03 | Weblog
2月末に退院し3月も半ばを迎えた。世間では桜の開花情報も報じられるようになった。そろそろ私のブログも再開しなければならないだろうと思い始めている。
長い入院生活のために休んでいた「気の向いたとき、感じたままに」であるが、退院後も体調不良を理由に休止していると、だんだん怠け癖が付いてくるようで恐ろしい気がする。そこで、取りあえず再スタートしてみることに決めた次第である。
まだペースは保証の限りではない。・・・それこそ“気の向いたとき”だけになるかも知れない。最初は病院内でのエピソードや、ベッドから漠然と天井や外の景色を眺めていて感じたことを記してみたいと思う。先ずは再開のご挨拶からである。宜しく!