気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

2008-10-19 15:29:35 | Weblog
昨日はブログを休んだが女房の父親の法事に出掛けたためであり、体調不良が原因ではない。ところでこの間に面白い夢を見た。
人間だれでも後になれば、「あの時ああ言えばよかった!」と思うことを経験しているであろうが、そのときは上手い言葉が浮かばず残念に感ずることが多い。
ところが先日見た夢の中では、我ながら感心するようないいフレーズが次々に浮かび、それが機関銃のように口から飛び出していく。“口喧嘩コンクール”ともいえる大会では相手の選手を遣り込め、見事優勝してしまうという素晴らしい活躍であった。
何故こんな夢を見たのだろう? 自分ではそれほど意識していないつもりでいたが、矢張り、近々一部を切り取られる舌のことが気に掛っていたのであろう。
いよいよ明日から入院、22日が手術である。少しの間このブログも休むことになるが、無事退院したらまたのお付き合いをお願い申し上げる次第である。キーを打つのに舌は必要ないので、その点は安心している。See you again.

児玉隆也

2008-10-17 06:51:43 | Weblog
田中角栄は「今太閤」とも呼ばれ、立志伝中の人だ。だがその裏にはそれなりのことがあったであろう。当時、田中角栄の金脈と人脈について暴いた作家がいた。世間には“立花隆”の名が記憶に残っているようだが、“児玉隆也”の「淋しき越山会の女王」が 田中首相の退陣のキッカケをつくったと思う。田中の資金管理団体であった「越山会」を牛耳っていたのが佐藤昭という女性で、その女性と田中との関係も詳しく記されている。
その「淋しき越山会の女王」に収録されていたのが、同じく彼が記した「ガン病棟の九十九日」であった。有能なノンフィクション作家であった彼は、その完成後38歳でこの世を去った。
ガン病棟の記述中に、――若い患者を看病する若い妻が、何時も綺麗に化粧をし毎日衣装を替えている。周囲からは「ホテルにでも来ているつもりか!」と顰蹙を買っていたが、後にそれは姑の差し金で、死んで行く息子にやつれた嫁を見せたくないためだったと判る場面がある。だが若い患者である夫は、そんな美しい妻を毎日見ていたら、未練が残り死んでも死に切れないと思うのだが・・・

手術

2008-10-16 06:43:39 | Weblog
舌癌は肺の方へ転移しやすいと聞いた。
昨日は正味2時間をかけて、転移の状態を調べるPETの検査を受け、20日入院、22に手術とその予定も決まった。手術をするには1週間前から、従来常用していた“血をさらさらにする薬”の服用を停止する必要からこの日になったようだ。
以前「結核は過去の病気ではなく現在でも結核で亡くなる人間が多い」と聞いていた私は、時々軽い咳が出て気になり、6月の初めに他の病院で肺の検査を受けている。そのとき、X線撮影・CT検査を受け異状なしとのことであった。当時はそれで安心したが、疑えば判断ミスがあって見過ごされたのかとも思ってしまう。
まだPETの結果が出たわけではなく、いろいろ不安がないわけではない。とにかくするだけのことはして、天命に従う他はないと覚悟している。
しばらくは生き甲斐?のブログからも離れることになるが、それも仕方ないことだと思っている。

セカンドオピニオン

2008-10-15 07:06:31 | Weblog
8月の始め、舌の端に気になる部分が生じ、そのうち治ると思っていたが1ヵ月近くも治らない。直径5~6mmぐらいの範囲が硬くなっていた。私の頭に浮かんだのは、酷くなると味覚障害や嚥下障害も引き起こすという「舌癌」。早速病院へ行った。耳鼻科の医師に「組織検査をしましょう」とテストピースを取られ、癌ではないと嬉しい結果を聞かされた。このことに関しては以前にも触れた。
その後高校時代の友人が経営する歯科医院に通い歯を丸めてもらったが、舌の方は一向に良くならない。その彼が、大学付属病院の口腔外科の部長教授を務め定年後も名誉教授をしている、大学時代の友人を紹介してくれた。更にその先生が後輩である現在の部長教授を紹介して下さり、最高の環境で治療を受けられることになった。それにしても再検査の結果、舌癌と告げられてしまった。
よく言われることであるが、セカンドオピニオンの大切さを痛感した。尤も、前の検査で陽性と判明していたら、今回のように日本のトップレベルの先生に診てもらえなかったであろう。運命なんて自分ではどうにもならない。

入場券当選

2008-10-13 06:54:13 | Weblog
タケカワユキヒデ無料コンサートに関する後日談である。
わが川口市では、かの有名なタケカワユキヒデのコンサートへ、抽選ではあるが2,000名もの多くの人が無料で入場できることになり、それについては先日既に触れた。
1,000名の当選といえば確かに数は多いが、全市民が応募するわけではないにしても、500,000の人口を考えると当たることはそれほど期待できなかった。しかし、応募しなくては当たらない。僅かの期待をこめて往復ハガキを投函した結果、見事当選し入場券が届いた。
開催日は来月11月2日の日曜日。通常ならば手放しでバンザイであろう。もちろん緊急事態が起こらなければの話である。生憎、私の場合その“緊急事態”とぶつかりそうな事情が生じている。
未だ日にちは確定していないが、今月か来月に掛けて病院に拘束されることが決まってしまったからだ。後になり「そんなことで悩んでいた自分はまだまだ幸せだった」とならないことを期待している次第である。

古今亭寿輔

2008-10-12 06:33:08 | Weblog
落語を主題としたドラマも放送されたりして、近頃は落語が好きだという若い人も多い。だが「誰が好き?」と聞けば、歌丸・楽太郎・喜久蔵などの「笑点」メンバーや、こぶ平改め正蔵や小朝などテレビでお目にかかる落語家の名ばかりを挙げる。
だがこうした人だけを見て落語を理解したと思ってはいけない。寄席に行けば、人気者の演じる落語家は言うに及ばず、これらの落語家よりずっと個性があり面白い落語家が大勢いる。
そうした中で、“個性があり面白い”落語家といえば、まず「古今亭寿輔」を挙げたい。ピンクや黄緑、黄色の派手な着物で高座に上がり、邪道とも思われてもいるが、肝心の話術が素晴らしいから楽しい。私の好きな落語家の1人である。やはり芸人は実物を見て楽しみたいものである。それも大ホールではなく寄席などの間近で。先日この寿輔がNHKのラジオ番組「真打共演」に出演していた。
ラジオで聞いていても面白かった。やはり基本の芸が確りしているからでる。その記憶に刺激されたからであろう。昨日はその寿輔がトリを取る池袋演芸場の昼席へ行ってきた。

リンパ節

2008-10-11 06:26:12 | Weblog
今まで漠然とは理解していたが、ある機会を得て、改めて調べてみた。
人体にはリンパ管が全身を細かく駆け巡っており、その中をリンパ液が流れているという。そのリンパ液は、身体の中の異常物質などの存在に対し防御機能を果たしているそうだ。
そしてリンパ管にはリンパ節なる部分が多数あり、リンパ節のところを手で触わると小さなぐりぐりっとしたものを感じ取ることが出来る。通常、米粒~大豆位の丸みの感触があるようだが、体内に何らかの異常を来した場合、リンパ液が免疫機能を活動させて異物や炎症などから身体を防御しようとすることで、リンパ節のぐりぐり部分が大きく腫れたりするらしい。その場合、リンパ節でせき止められた余分な水分や異物・老廃物が体内に拡がらないよう、体外へ排出する働きもするのだそうである。
またリンパ液は、全身を巡る間に免疫機能は正しく働いているかどうかを判断して、必要な場合には白血球を増やすなどの防御対策をも行なう大切な機能を果たしているという。

嫁に食わすな!

2008-10-10 06:39:50 | Weblog
「秋○○は嫁に食わすな」。○○に当てはまるのは先ず“茄子”であろう。
秋茄子は体を冷やすため、嫁の体をいたわる気持ちからの言葉だとの説もあるが、それよりは、皮が柔らかくて水分が多く旨いので「憎い嫁に喰わすな!」との嫁いびりからの説という方が有力である。
次に多いのが「秋サバは嫁に食わすな」との諺で、これも茄子の場合と同様な理由によるものらしい。ぐっと知名度が落ちたところでは、他に秋カマス、秋の鮗(コノシロ)などが続く。何れも抜群に旨いといわれるものである。
他に地域は限定されるようであるが、三陸地方では「5月(7月)のホヤは嫁に食わすな」とも言われるそうだ。勿論このホヤは旨いのだが、「保夜」とも書かかれるように、あまりにも精力が付く食品のため、姑のヤキモチから出た言葉だとも言われている。
関連したところでは「土用のタコは親にも食わすな」というのもある。これも精力の付く食品だ。こちらは、世間体が悪いから歳をとった親には・・・ということらしい。

不惜身命

2008-10-09 06:02:12 | Weblog
「四字熟語」はクイズでも取り上げられるほど、日常生活に於いてもよく使用される。だが時には説明されぬと理解できないような難解なものもある。大関が横綱に推挙された際、相撲協会からの使者への返礼口上に慣例的に用いられているのもその一例である。尤も、あまり使い慣れない言葉を無理に使うから時には間違えてしまうこともあったが・・・。
この通例に従い、大関貴乃花が横綱に推挙され時に使ったのが「不惜身命」であった。それを機会にこの熟語を知った人も多いと思う。
この「不惜身命」の出 典は『法華経』であるようだ。“仏の教えを修めるためには自分の身も命もささげて惜しまない”の意味であるが、転じて、“自分の進むべき道に対しては命を賭して精進する”との意味になった。
私も知らなかったが、この言葉を貴乃花に提言したのは、この度亡くなった俳優の緒方拳だということであった。最後まで芸道に精進した緒方拳の生き方と重ね合わせてみると頷ける。

知事と国政

2008-10-08 06:43:10 | Weblog
東国原知事は、次の衆院選に立候補せずとの結論を出したようだ。
自民党から誘われたようで、「県民の意向を聞きたい。世論がわき上がれば・・・」と思わせぶりな発言をし、国政への執着を滲ませていたようだが、殆どの県民はそれを望まなかったようである。
当然であろう。あれだけの意気込みで訴え知事に当選し、まだ2年もたっていない。ここで転身したら“投げ出し”と見られても仕方がない。国政を目指すなら、少なくとも1期を全うして、県政の基礎を築き上げてからにすべきだと思う。
道路を通すために国会議員になりたいとのことであるが、いくら評判がいいとはいえ直ぐに関係大臣になれるわけではない。東国原知事の場合は知名度と行動力があり、現状のままでも宮崎県が特別不利な扱いを受けることにはならないであろう。
知事は報道陣に対し、「私が出れば1年生議員かもしれぬが、『コクバル知事は格が違う』とおっしゃる方々もいる」と語ったそうだ。真に受けるところなど東国原知事も焼きが廻ったか?

整理

2008-10-07 06:46:58 | Weblog
物を1個買ったら1個捨てるのが物を溢れさせない基本だそうである。
新しいジャケットを買っても、前の物が擦り切れたわけではないので、捨てられずに増えていく。そうしたことは衣類だけでなく、趣味の機器、思い出のある品物に関しても同様である。
買った本は、2度と読まない物も古本屋へも出せず、それが場所を塞いでいる。こうしたことは収納場所の問題だけでなく、いざ探そうと思ったときに肝心な物を見付け辛くしている。
10年前今の家を建てたときには、収納部分に関しては充分考えたつもりだ。特に少なかったとも思わぬが、足りなくなってしまった。物置も、大した物も入っていないのに満杯になっている。これは総て“すてられないこと”が原因である。
ブログでお付き合いをしている“捨て名人”の方の意見に触発され、私も捨てることを決心した。だが後で後悔しないようにと考え、何から捨てたらいいのか迷ってしまう。
物の整理をする前に、先ず心の整理をきちんと済ませることが必要であるようだ。

親指と小指

2008-10-05 06:49:59 | Weblog
5年ほど前に脳梗塞を患った友人と半年ぶりに会った。
彼の症状は私より遥かに重く、5本の指の名前も忘れてしまった。本人はリハビリの結果総ての名前を言えるようになったと言っていたが、皆の前で証明したわけではないので、どこまで回復したかは定かではなかった。
思ったことを自由に表現できないイライラの反動か、喋りだすと詰まりながらもなかなか止まらない。遠慮のない仲間同士であるから、皆でチャチを入れながら聴いていた。
「・・・そのオヤジが・・・」と小指を立て「どうにも怠け者でしょうがない!」
「小指じゃなく親指を立てるんだろう?」と見本を示した。
「ああそうか。そうだな。で、家計が大変なんで、その女房は・・・・・」と今度は親指を立てて喋り続けている。
「今度は小指だろう?」
注意されたのもリハビリ感覚なのだろう。間違えた彼が1番楽しそうに笑っていた。

タケカワユキヒデ

2008-10-04 06:24:19 | Weblog
彼は1952年わが埼玉県に生まれたミュージシャンである。
人気ロックグループ『ゴダイゴ』のメンバーであることは有名だ。その後も数々のヒットソングを持つシンガー・ソングライターとして、また音楽プロデュース等を始めとして多岐にわたり活躍している。
2006年、結成30周年記念を機に、『ゴダイゴ』再始動でグループ活動をするとともにソロでの活動も活発なようである。最近はコンスタントに年間40~50のライブをこなしているそうだ。
そうしたタケカワユキヒデのコンサートを、わが川口市では、抽選ではあるが2,000名もの市民が無料で聴けることになった。一般には、多額の費用を市が負担していると考えるであろうが、私はそうは思わない。彼に無理なことを頼み込んだと思っている。
実は、わが市長とタケカワユキヒデとは高校時代の親友なのだ。以前に市長本人から聞いた話であるが、音楽の時間“先生が弾くピアノの和音”を当てる問題で、殆どの生徒がタケカワの合図を頼りに回答した事件もあるそうだ。学生時代の良き仲間は貴重である。

休肝日

2008-10-03 06:24:41 | Weblog
酒に関する書物を見ると、多くの場合、次のような主旨のことが書いてある。
≪・・・日本酒であれば、1日に1~2合の飲酒量が好ましい。更に、1週間に1~2日の休肝日を設け、肝臓を休めることも必要である≫
ところで、一般の酒飲みは週の中どの位の「休肝日」を設けているのだろうか? ある調査によると “1日か2日”が、ほぼ半数を占めたそうだ。だがそもそも休肝日は必要なのだろうか? 適量の酒は脳卒中などの発症リスクを減らし、血行も良く健康にプラスとも言われている。
専門知識のない私であるが、人間の機能は毎日規則正しく働いていると思っている。従って、なまじ「休肝日」などに出合うと胃や肝臓のペースを乱してしまうと考えた。そこで私はこの直感に従い、毎晩適量を飲んでいるというわけだ。
先日友人と酒の話になり私が持論を披露したところ、彼は、「この前テレビで、大学病院の教授が同じことを言っていたよ。飲みすぎなければ毎日飲んでも全く問題ないそうだ」と話していた。
私の飲み方は間違っていなかった! 「休肝日」は“飲み過ぎる人”にのみ必要なのだ。

榎本武揚

2008-10-02 05:49:21 | Weblog
徳川幕府の大政奉還後、新政府軍の徳川家に対する処遇に反発した榎本武揚は、抗戦派の旧幕臣と共に旧幕府艦隊を率いて北海道に脱出する。新選組や奥羽越列藩同盟軍、桑名藩藩主らをまとめ、箱館の五稜郭に“蝦夷島政府”を設立した。この政府は榎本の国際法の知識により、外国からは独立国として認められたようである。しかし、戦費の枯渇、相次ぐ自軍兵士の逃亡、箱館湾海戦による全軍艦喪失など劣勢は決定的となり降伏した。その彼が没して今年で100年になる。
彼はジョン万次郎の私塾で英語を学び、長崎海軍伝習所で国際情勢・蘭学・航海術・化学などを学び、オランダ留学で国際法・軍事知識・造船・船舶に関する知識も身につけていた。
蝦夷征討軍海軍参謀黒田清隆は、敵将榎本の非凡な才能を惜しみ、各方面に助命を説得し、その結果一命を取りとめたそうだ。本人も“生きて国のために”と考えたようである。太平洋戦争の敗戦で水泡に帰したが、彼は将来の領海問題を見越し「樺太千島交換条約」も締結している。
作家の佐々木譲は、「彼を“日本の歴史上、魅力ある人物ベストテン”に入らせたい」と語っている。