気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

普通に生きる

2007-09-29 07:04:25 | Weblog
ニュースキャスターの鳥越俊太郎は癌に侵され最悪の4期だそうだ。
まだ67歳であるが、「ここまで生きれば後はオマケのようなものだから、特別ショックは受けていない」と短いであろう余生について淡々と語っていた。
「病気になったからといって、特別そのことに拘らず、普通に生きていきたい」との言葉が私の共感を誘った。私はまだそうした宣告は受けていないが、もしそうなっても、恐らく同じような考えを持てるような気がする。
人間いくら長生きしたところで精々100歳である。元々この地球の歴史と比べたらほんの一瞬を過ごすだけである。
この世に“生”を受けて縁のできた多くの人々と別れることには確かに未練が残る。だがその別れは幾分遅いか早いだけの違いで、何れ誰にでも訪れることである。平均寿命近くまで生きた人は案外“生”に執着しないと思うのだが、実際はどうであろうか?
最近の私は、もう将来のことは考えず、現在を楽しく過ごすことだけを考えている。

高齢者の医療費負担

2007-09-28 07:10:40 | Weblog
政府は高齢者医療費負担の仕組みを見直し、2008年4月からその実現を目指すことを、5年前の2003年3月に決めていた。その内容は、70-74歳の中・低所得者の医療費の自己負担を1割から2割に変更し、75歳以上の一部高齢者には保険料負担をもたらすというものだった。またまた高齢者の出費増が目前に迫っていた。
幸い福田首相は、この度の自民党総裁選でこうした負担増の凍結を公約に掲げていたが、凍結に慎重だった舛添厚生労働大臣も26日の記者会見でそのことに関し、「激変緩和のための経過措置は必要」との方針に転じたようだ。
「制度を大幅に変えるのではなく微調整していく」と述べたが、それによると、健康保険法などを改正せず、政省令などで暫定的に負担増を凍結するようだ。
与党も凍結する方針で一致しているので、年金・住民税等の負担増に苦しんでいる高齢者の実質的な医療費負担増は、なんとか回避されそうで一先ず安心だ。

「ハンムラビ法典」

2007-09-27 06:49:40 | Weblog
「ハンムラビ法典」――“目には目”・“歯には歯”で有名なあれだ。
紀元前1770年ごろバビロニアのハンムラビ王がつくったとされ、“完全な形で残っているものとしては”世界最古の法典だといわれている。
ところで、この「ハンムラビ法典」、一般には報復を認め、人によってはそれを勧めている法令と勘違いしている人がいるようであるが、そうした解釈はその真の意図を理解していないといえそうだ。
この法典の意味を理解するには、罪を犯した人に対しては、過剰な報復が当たり前であった当時の時代背景を知っておく必要があるだろう。
そうした世の中の風潮に対し、“目には目まで”、“歯には歯まで”に止め、過剰な報復を禁じることを目的としたのがこの法令だったようだ。
この法典は、報復合戦の拡大を防ぎ、復讐の連鎖を断ち切るために定められたものなのだそうだ。

「百も承知」

2007-09-26 07:03:27 | Weblog
当然なことを言われたとき、「百も承知」と応ずる場合がある。
多くの人が用いる常套句だが、時にこの句の後に調子よく続けられる言葉もあるのをご存知だろうか?
「百も承知、・・・」
この「・・・」の部分についてである。これが先日のテレビのクイズ番組で取り上げられていた。回答者は運よく正解したものの大分悩んでいたようである。
[ヒント]
A.「二百も合点」、B.「千も納得」、C.「万も承知」

※ その回答は“コメント欄”に記しますので、興味をもたれた方はそちらをご覧ください。



「暑さ寒さも彼岸まで」

2007-09-25 06:03:37 | Weblog
『気象庁によると、日本各地で“30℃超え”を記録し、最も遅い真夏日の記録を86年ぶりに更新した。彼岸入り後も続く暑さは、勢力の強い太平洋高気圧が本州上空を覆っているため。同庁によると来週も真夏日が続きそうだという』との主旨を22日の新聞は報じていた。
出会う人たちも異口同音に「彼岸入りしたのに暑い!」とぼやいていた。その都度私は、「まだ中日になっていないから・・・」と冗談を言っていた。
その“中日の23日”朝、女房が開けた寝室の窓から涼しい風が入り込み、気分よく眼が覚めた。何という清々しさだ! 前日までには予想もできなかったことである。そして翌日も同じような過ごしやすい日が続いた。
人間の環境破壊により地球が異常な変化を来たしていると騒がれているが、この“季節に関する慣用句”が何とか守られたことでホッとしている。

笹野高史

2007-09-24 06:37:44 | Weblog
殆どの人が、名前は知らなくてもその顔は知っているだろう。
自分の容貌に悩みつつも役者に憧れ、日大芸術学部映画科を中退し劇団に入った。脇役としてラジオ・テレビ・舞台・映画と多方面で活躍し、舞台俳優のイメージが強いが、本人は「私は映画俳優です。映画俳優と呼んでください」と言っているそうだ。
雲の上の人として渥美清に憧れていたが、『男はつらいよ』に出演していた倍賞千恵子と知り合い、1985年の『男はつらいよ』に出演して以来、山田洋次監督作品の常連となった。今年は『武士の一分』で第30回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞している。
歳の差のある劇団の後輩と結婚し、男ばかり4人の子供がいるようだ。その子たちは総て子役をやっているようだから凄い。その子供たちは、小学生時代の父兄会では皆に「おじいちゃんが来ているよ」と言われ恥ずかしい思いをしたと語っていた。
『釣りバカ日誌』で共演した三国連太郎が、「自分を崩さないあの役者との共演は恐ろしい」と、最高の賞賛ともいえる発言をしていたのが印象に残った。

ギャル曽根

2007-09-23 07:17:47 | Weblog
テレビで“大食いクイーン”「ギャル曽根」の検証が放映されていた。
「食べた後に吐いているのではないか?」と聞かれてそれを否定したが、「中で吐いているところを見たわけでないが、食べた後に何度もトイレへ行く」との目撃談もあっての企画らしい。吐くことを続けると癖になり逆流性食道炎などを起こすし、胃酸により歯が腐食してくるので、絶対にしてはいけないことだという。
2人の専門家も、「身長162cmで体重45kgの彼女があれだけ食べて太らないのが不思議」と暗に疑いを持っているような発言をしていたが、血液検査・CT検査等の結果によると、いくら糖分を摂っても血糖値が変わらぬ特異な体質であり、いくら固形分を食べても胃が常人の何倍にも大きくなり満腹感には至らないようだ。そして、必要最低限の栄養を摂取し、残りは便として排出してしまうため、トイレには1日に6回から7回も行くのだそうだ。
最後に、男の2人組と女の3人組を相手にした“大食い競争”では、終始変わらず美味しそうに・幸せそうに食べて楽勝だった。その表情は他の5人とは全く対照的だった。

「うすい」

2007-09-22 06:54:12 | Weblog
戦後整備された下水道は、水洗便所からのし尿や家庭における生活排水を流す「汚水用」と、雨水や降り積もった雪が融けた融雪水を流すための「雨水用」とに分かれている。
ところで、今このマンホールに関して宇治市で問題が起きている。
皆さんもお気づきのことと思うが、マンホールには美しいデザインの一部に、「おすい」あるいは「うすい」の文字が記されている。
ところで、7,000の苗字で日本の全人口の約96%強をカバーしてしまうそうだが、日本には30万の苗字があるという。その数多い苗字の中に「臼井」姓があり、いま宇治市の臼井さんが物議をかもしているのだそうだ。
マンホールに刻まれている「うすい」の文字の上を車が通ったり、人に踏みつけられることに耐えられないと市に抗議をしているそうだ。次回の交換時から「雨水」に変更はできるであろうが、「今すぐ総てを交換しろ!」との要求は費用もかかる。駄々っ子と同じだ。

母子殺害事件

2007-09-21 08:09:35 | Weblog
山口県光市で99年、母子を殺害したとして殺人や強姦致死罪などに問われた当時18歳の元少年の差し戻し控訴審が、昨20日、広島高裁で3日目の集中審理が始まった。午後には遺族の本村洋さんが法廷に立ち、元少年を前に、冷静に理路整然と意見陳述を行なった。この人の話はいつも心に沁みる。
この事件の2審判決によると、元少年は99年4月14日、本村さん方で妻弥生さん(当時23歳)を強姦目的で襲い、両手で首を絞めて殺害。長女夕夏ちゃん(同11カ月)を床にたたきつけ絞殺したとしている。
[木村さんの意見陳述]
家族の命をもてあそばれていると思うと涙が出てきます
君が主張を一変させたことが私をもっとも苦しめている。
被告人の話を聞いていると、本当のことを話しているように思えない。
妻と娘の命を奪った被告に死刑を求めます。

「赤い糸」

2007-09-20 06:54:00 | Weblog
東京都江東区のアパートの押し入れから21歳の女性の遺体が見つかった事件で、同居していた男性が、「純子を殺したのは自分です。これから後を追います」との遺書とも取れるメモをアパートに残して行方不明になっていた。
昨日午後、そのメモ通りに、その男性とみられる遺体が発見されたそうだ。これで一先ず事件は落着したが、男女の出会い・人の運命について考えさせられた。
どのような理由があれ、他人の命を奪うことは絶対に許されない。この男は、そんな許されない過ちを犯してしまった。聞くところによれば、同棲しているにも拘わらず彼女に男ができ別れ話を持ち出していたようである。だが未練のある男は納得せず、最悪の結果を招いてしまったわけだ。
2人が出会わなければ純子さんという女性も殺されずに済んだであろうし、自殺を以って清算したこの男も恐らくこんな重罪を犯すことなく、お互い平凡な一生を送れたであろう。
こう考えると、赤い糸を結ぶ神様の責任の重大さを、つくづくと感じてしまう。

古田敦也監督兼選手

2007-09-19 06:52:57 | Weblog
ヤクルトの古田敦也選手兼任監督が今季限りで引退するという。
今季4月の横浜戦までの選手としての出場は2試合で5打数無安打という成績だった。それ以降のプレーには出場せず、6月10日に自らの選手登録を抹消した。その後再登録も試みたが、結局は3試合出場6打数無安打と芳しくない成績に終った。
今年で選手兼監督としの2年契約が切れるが、8月に入り球団側からは、「来季は監督専任でやってほしい」と要請されていたそうだ。
球団側は早くから続投を表明して慰留したようであるが、日本シリーズへの出場権を争う「クライマックスシリーズ」への進出の夢も消え、不振の責任を感じていたのだろう。退任の決意は固く、今季限りでの退団は避けられないようだ。
彼は楽天の野村克也現監督以来、29年ぶりの選手兼任監督に就任し、昨季は3位と健闘したが、今季は選手にも恵まれず、開幕から低迷していた。
42歳は監督としては未だ若く残念だが、傍からは理解できない事情もあるのだろう。

政治家

2007-09-18 06:52:27 | Weblog
今回の安倍さんの失敗は「若かったから!」との見方が多いが、真の原因は彼の「年齢」ではなく「器」であったと思う。今回の事件により、せっかく小泉さんが変えた流れが元に戻りそうで心配だ。今後も、一般企業同様に“定年前の人”に頑張ってもらいたい。
アメリカ合衆国の第35代大統領であった“ジョン・F・ケネディ”は、大統領就任時には43歳という若さで史上最年少の記録を作り、その若々しさは多くの人を魅了した。
派手な女性問題もあったようだがリベラル派とされ、ベトナム戦争からの早期撤退を計画し、キューバ危機をも回避している。また歴史に残る名演説もあり、今もってその人気は衰えていない。歴代大統領の中で一番の人気であろう。1963年に40代半ばにして暗殺されたため、余計に人の心に残っているのであろう。
日本にも、功罪はともかく、安倍さんと殆ど同年齢で日本をリードした田中角栄のような政治家もいた。50歳になれば年齢に不足はない。「若さ」=「未熟」との解釈には疑問が湧く。

安倍内閣メールマガジン

2007-09-17 07:06:14 | Weblog
12日午後に退陣する意向を明らかにした安倍首相から、最後の『安倍内閣メールマガジン(第46号 2007/09/13)』が届いた。因みに、小泉さんの最終号は“講読御礼”で始まっていたが、安倍さんのそれは“辞任説明”で始まっていた。
「改革を進めていく、その決意で続投し、内閣改造を行ったわけですが、今の状況で、国民の支持、信頼の上で、力強く政策を前に進めていくのは困難である。ここは、けじめをつけることによって、局面を打開しなければならない。そう判断するにいたりました」とあった。
しかし、投げ出したことへの後ろめたさはあるのだろ。後段では「無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみなさんのためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました」と結んであるが、あくまでも国民のためを思っての辞職であるとの主張であり、お詫びの言葉はなかった。素直に謝れなかったところにも未熟さが伺える。
参議院選敗北の時点で辞めていれば若い彼には未来が残されていただろう。だがこれで彼の芽は完全に無くなってしまった。登りつめるのも速かったが消える?のも速かった。

宮本武蔵の言葉

2007-09-16 07:32:54 | Weblog
有田焼・伊万里焼・唐津焼と九州には有名な焼き物がある。
その九州へ旅行した際、ある土産物屋で自分用に飯茶碗を買い求めた。だが、焼き物の魅力に惹かれたというよりは、その茶碗に書かれていた言葉が気に入ったからである。
『我事において後悔せず』
後悔しないよう事前に充分の準備をしておくわけではないが、私はどちらかというと、済んでしまったことは仕方がないと楽観的に考える方である。後悔して自分を責めても元に戻るわけでもなく、自分が辛くなることが解かっているからである。
宮本武蔵のこの言葉の真の意味を理解し得ない私ではあるが、自分なりに大好きな言葉なので買ってしまった。安物であることは気にならなかった。
この言葉は、武蔵が死を前にして病床でまとめた、自省自戒を込めた「独行道」21箇条に記されている。

宮崎・熊本の旅

2007-09-15 07:30:23 | Weblog
11日から2泊3日で高千穂地方を中心に九州の中心部へ旅した。
出発直前の衛星画像によれば、日本列島が長い前線に覆われ、関東地方は最悪であったが九州は全く心配要らなかった。天気予報も期間中東京は「雨」だが宮崎・熊本は「晴」であり、実際もそれほど違わなかったようだ。
熊本空港到着後、レンタカーで話題の宮崎県に入り天岩戸神社等を巡り、1泊目は高千穂神社近くの純和風旅館に宿をとった。夜は神社で行なわれるお神楽を鑑賞し、翌日は高千穂峡でボートに乗り自然を満喫した。
2泊日は黒川温泉に泊まり、最終日は過去にも訪れたエメラルドグリーンの美しい阿蘇の噴火口や草千里の風景を眺めた。今回の旅行では、皆に釣られて初めての乗馬を体験したのも1つの思い出である。
特別に普段の行いが良いとも思えないのだが、天気にも恵まれた楽しい旅行だった。