気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

年の瀬に当たり

2011-12-31 06:32:06 | Weblog

 “歳をとると時間の過ぎ去るのが速い!”といわれる。ひと頃は私もそう感じた気がするが、何か最近、必ずしもそうとは思えないようになった。時計の時間は一定なのに、なぜ私たちの感じ方は一定ではないのであろうか?

4~80歳の人間に、自分が3分と感じた時点でボタンを押させる実験をしたところ、年齢が高くなるほど、実際の3分より長い時間でボタンを押す傾向が出たそうである。70歳代では1割増しにもなり、「えっ? 18秒もオーバーしていたの?」という結果になるそうである。つまり、年をとるほど「実際の時計」より「心の時計」の進み方が遅くなるため、時が経つのを早く感じるとの説があるそうである。

また人間は、印象に残ることが多いほど時間を長く感じるらしい。子供は、些細なことにも新鮮さを感じ印象に残ることが多い。従って時間を長く感じる。一方、大人には経験が多く新しい体験が少ないため、あまり印象に残ることがない。そのために時間の経過を速く感じるともいわれる。私があまり速く感じないのは、つまらぬことにも関心を持つからだろうか?

今年の時間も今日を以って終わる! お付き合い下さった皆様に感謝申し上げ、来年も宜しくとお願いを申し上げる。


よく噛むと

2011-12-29 07:43:19 | Weblog

物を食べて「美味しい!」と感じるのはどの時点であろうか? 少なくとも私の場合は、数回噛んで飲み込む瞬間だったような気がする。だから人間、味を楽しむようになると噛む回数が減ってしまうのだろうと思っている。

弥生時代の人間は、1回の食事で噛む回数は4,000回、戦前の人は1,400回、そして現代人は600回と激減しているとの説がある。そうした現状を踏まえ、最近、“よく噛むことによる健康へ及ぼす効果”が見直されてきているようである。

よく言われることであるが、よく噛むと食べ物の消化・吸収にいいのは当然として理解できる。更に虫歯予防にも効果があり、他にも癌や老化を予防し、肥満・ぼけ・視力低下などなど、様々な点に於いていいこと尽くめのようである。信じられないような効果であるが、解説書を読めば、成程と納得させられるような理由が記されている。

私は舌癌の手術を受けてから味覚が落ち飲み込む力も弱くなった。口に入れたものは流動的になるまで噛まないと飲み込めなくなった。当然、食事時間も大幅に長くなったが悪いことばかりではない。よく噛むようになったお陰で、“噛むことによる効果”と言われたものが現れてきたような気がしないでもない。何事も、善意に解釈すれば幸せになれる。


おせち料理

2011-12-27 06:56:03 | Weblog

先日、わが家でも初めて、“おせちセット”なるものを予約注文した。3段重ねのお重である。

クリスマスに来た娘たちに向かい、女房がその話をしていた。

「もう大変だから、今度のお正月は何も作らないでデパートのセットを届けてもらうことにしたの」

「そう! でも勿体ないね。見た目だけで大して美味しくもないものも沢山入っているし・・・。どうせ私たちが大晦日の午前中には来るのだから、皆が好きなものを一緒に作ればよかったのに・・・」

私は、作らずに買うにしても、品数ばかりが多いセットよりも、従来通り、皆が好きなものを単品で選び集めた方がいいと思っていた。だが女房にも夢というか、あまり忙しい思いをしないで“正月は正月らしく定番のセットで飾り付けたい”との思いもあるのかと考え、特に口をはさまなかった。

果たして来年の正月、おせちの評判はどうであろうか? 見た目は華やかになるであろう。だが実のところ、特別に皆が喜ぶとは思えない。しかし、日々美味に慣れ切っている飽食な今の時代、見た目が美しいことも重要な要素なのかも知れない。


マニフェスト

2011-12-25 08:13:11 | Weblog

前原誠司民主党政調会長は、来年度予算案に八ツ場ダムの本体工事費を計上した場合、「国土交通省の予算を認めることはできない」と述べたそうである。

理由としては、「マニフェストに関わるものであり、変更するなら単なる行政判断にとどまらず、政治的な判断が加えられるべきだ」と強調している。この問題に関する当初からの経緯を考えると、意固地になっているとしか思えない。

前原政調会長は国土交通大臣に就任直後の2009年、進行中の八ッ場ダムについて記者団から取材を受け、「民主党のマニフェストに書いてあることなので中止します」と明言している。地元の事情を直接確認することもしないでである。

上記の前原発言に対し、当時の読売新聞と毎日新聞との見解は逆であった。専門家でもない私にとって、この工事を続行した方がいいのか中止した方がいいのか残念ながら未だに判断が付かない。従ってそれに対して述べる資格はない。

しかし、彼の「マニフェストだから」発言には説得力がない。他のマニフェストも総崩れの現状で、八ッ場ダム計画を強引に潰したところで、“立派にマニフェストを成し遂げた”ということにはならない。彼に対しての期待感は裏切られた。


お化粧

2011-12-23 06:58:42 | Weblog

大分以前のことであるが、≪「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日≫――日常の何げない行動を素晴らしい感性で綴った俵万智の短歌集『サラダ記念日』が発表されてから、若い人の間にも新短歌の人気が広まった。

NHKのラジオでも、短歌の募集、入選作の発表・講評を行っている。私は自分で作ることはしないが、何時も感心しながら聴いている。先日の募集テーマ2つの中の1つが『お化粧』であった。

考えてみると、女性が毎日化粧をしなければならないということは大変なことだと思う。男の髭そりとは比較にならない作業であり、電車の中で化粧をする女性の気持ちが解らなくもない。女性はその化粧を何歳ぐらいから始めるのであろうか?

私が初めて化粧をしたのは高校2年の秋だった。祭で神輿を担いだときである。その後、和太鼓チームの競演である「初午太鼓コンクール」に参加した時も化粧をしている。その自分の姿を鏡で見た時の気持ちは、何とも不思議な感覚であった。

 

『若き日の神輿担ぎで初化粧クセにならずに済んでよかった』


LED照明

2011-12-21 08:53:21 | Weblog

先日、わが家の防犯等を、20Wの蛍光灯のものからLEDランプのものに取り替えた。器具もろともである。8.9Wで従来より明るさも増した。現在の処、既存の蛍光灯器具にそのまま使用できる製品はないようである。

省エネ政策の観点から白熱電球の使用中止が望まれる状況にあり、環境省と経済産業省は、2012年までに白熱電球の製造と販売の中止を業界に求めており、大手メーカーも協力する動きのようである。2012年になると、白色LED照明の普及率は、全世界では3年前の3倍近くになると予想されている。金額では約4,782億円に及ぶそうだ。

LED照明の登場で産業構造が変化し、新規参入の企業も多いようである。だが、それらの企業は白熱電球型ではなく、直管型蛍光灯の代替用品としての製品開発を進めているようである。

一般家庭でもRED照明に移行しつつあるようであるが、“E26口金”のLED製品は、従来の白熱電球用照明器具にそのまま取り付けられる。しかし、電球形蛍光灯と同様、調光回路を持つ器具には使えない。

60Wの白熱電球の場合、9W・800ルーメン程度のLED電球に替えれば、従来に劣らぬ明るさが得られるようである。


インフルエンザ

2011-12-19 11:47:15 | Weblog

去る15日早朝、腹痛を感じその後に水のような下痢に襲われた。体中から力が抜けて立っているのも辛くなった。熱を計ると37度台であったが、生憎その日は年2回行うCT検査の予定が入っていた。急にキャンセルするわけにはいかず、無理をして病院へ行った。しかし、考えてみると近ごろの大病院はある意味で不便になった。

大病院へは多くの患者が押し掛けるため、下痢ぐらいでは急患の扱いもされず、別の科で新患として直ぐに診てもらない。CT検査の結果説明を受け、いつもの薬をもらっただけで帰宅した。

翌日も同じような状態が続いた。とりあえずブログの更新を済ませ、直ぐにベッドで横になる積りでいたが、女房に勧められて近くにある掛かり付けの病院へ行った。やはりインフルエンザであった。その晩のニュースでも、インフルエンザの発症が急増したと報じていた。

皆さんの処への訪問も儘ならず、戴いたコメントへの返事も遅れ申し訳なく思っているが、医者に処方された薬と“日にち薬”のお陰で峠は越したようである。


『言葉の嵐』

2011-12-16 08:25:21 | Weblog

『言葉の嵐』とは人気落語家の春風亭小朝が記したエッセイ集である。先人の言葉を引用し、それを解説すると同時に自分の考えを述べている。

その1節に、森繁久彌が芦田伸介の葬儀で語った『私がかわってあげたかった』との言葉に関しての感想が載っていた。

≪芦田伸介さんの御葬儀で、眉間にしわを寄せ、まなじりを朱に染めて、しぼりだすように仰った名優森繁久彌さんの一言、『私がかわってあげたかった』

これが、もし本当なら、参列者の心を打つはずなのです。ところが、誰の葬儀でも同じことを仰るものですから、マイクを向けているリポーター陣も、心の中で、ホントは誰の身替りになりたいんだヨと小さなつっこみをいれています。

ある心理学者の分析によると、『こんなことを言って大変に申し訳ないけど、森繁さんの言動は、葬儀の主役である芦田さんに当たっているスポットライトを自分の方に向けたという、役者の性じゃないのかな』となるわけです≫

“思ってもいないことは口にしない私”も、葬儀のニュースを見たり葬儀に参列してはしばしば同様なことを感じていた。


本音

2011-12-14 06:10:37 | Weblog

先日ある会合で雑談になったとき、私が落語ファンであることを知っている人から話しかけられた。

「○○さん!談志が死んじゃったんでつまらないでしょう?」

「うーん、別に。あまり好きじゃないから・・・」

筋の通った毒舌は決して嫌いではないが、彼の場合は“唯我独尊”で謙虚さを失っているので好きにはなれなかった。そんな私は思っていることを率直に答えた。本来否定的な言葉を吐くには、相手の言葉を肯定してその後に“しかし”と繋ぐべきだとは解っている。だが親しい仲間だし、雑談なので前文は省いた。すると気遣いに長けた先輩から言葉が飛んできた。

「○○さん、せっかくそう言ってくれたのだから“うん!つまらない”と言わなきゃ・・・」

「別にいいんですよ。私だって談志が好きなわけでもないんですから・・・」

ということは、先輩に続いて発言した最初の彼女も、私の立場を思い本音とは違う言葉を吐いてくれたのだろうか? そこまで気を廻さねばならぬとなると、例え舌の動きが正常だとしても、楽しいはずの会話が億劫になってしまう。


「教養」と「教育」?

2011-12-12 05:57:10 | Weblog

人間は教育によって教養が身につく。狼に育てられた人間は狼のような人間になるとも言われている。

近頃の家庭教育が悪いのか、学校教育が悪いのか、それとも両方が悪いのか、教養を身につけていない人間が多い。言うまでもなく、学歴と教養は関係ない。大学を出た教育者や政治家の中にも教養のない人間が大勢いる。困ったものである。――今回、そんな判り切った硬い話題を取り上げるつもりはない。

だが、人間生きて行くためには社会の1員として働かねばならない。それぞれが仕事を持ち職場へ行く。表現を変えれば、『“今日用”があり“今日行く”』ということになる。そして毎日がその繰り返しである。

ところが高齢者ともなると特にすることもなく、ダラダラと1日を家で過ごし勝ちである。これでは、肉体的にも精神的にもいいはずがない。目的を持って表へ出よう。

寄席の“枕”ではないが、人間一生、「キョウヨウ」や「キョウイク」と縁が切れてはいけないのである。


CDの値段

2011-12-10 07:17:30 | Weblog

前回の記事“由紀さおり『1969』”で紹介したCDを購入するため「Amazon」のサイトへ行ってみた。

送料込みで1枚3,000円である。また、MP3形式でのダウンロード販売もされており、こちらは1,500円である。そして更に『1969(US盤) Pink Martini & Saori Yuki (CD-2011)-Import』なる輸入盤の商品もある。だが国内盤には『2011128日に入荷予定です』との注意書きが記載されていた。私は、納期の問題だけでなく輸入盤の方を注文した。

世の中には好奇心の強い人がいる。国内盤・輸入盤の両方を購入し、その違いを公表していたのだ。それによると、≪ケースは、国内盤がプラスチック製なのに対し、米国盤はプラスチックと紙が併用されている。曲目・歌詞カードは全く同じ。国内盤には曲目その他を解説したA4の用紙1枚が付属しているが、米国盤にはそれがない≫とのことであった。

それにしても、私の買った米国盤は、“国内盤の半額である「ダウンロード販売」より更に安い1,273円(送料込み)”であったから驚く。輸入盤の売れ行きが好調なのか、昨日は米国盤の方が『20111211日に入荷予定』となっていた。

同じ品ならば安い方を選ぶのが人情である。だが考えてみると、何か割り切れない気持ちが残ったのは事実である


由紀さおり『1969』

2011-12-08 05:35:48 | Weblog

由紀さおりの新作アルバムが、欧米で大ブレーク中だそうだ。アメリカのiTunesジャズチャートで1位を獲得したほか、カナダのワールドミュージックチャートでも1位だという。その由紀さおりが、海外公演を終えて日本へ帰ってきた。

YUKI』の名前がクローズアップされたのは、1012日に、米ジャズグループのピンク・マルティーニとのコラボで、世界20ヶ国以上で発売されたアルバム『1969』の評判のためである。

由紀さおりが「夜明けのスキャット」でデビューしたのが1969年であり、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」や黛じゅんの「夕月」などが発表されたのもその年である。それらの曲を、ジャズサウンドをバックに由紀がカバーして発表したが、そのタイトルが『1969』である。欧米では、「エキゾチックな魅力!」と大ヒットしているようである。

そもそもは、ピンク・マルティーニのリーダーが、ポートランドの中古レコード店で『夜明けのスキャット』と出逢い魅了され、2007年発売のアルバムに「タ・ヤ・タン」を日本語でカバーした。もちろん彼女のアルバムに収録されていた曲だ。2009年、偶然にもYouTubeでそのLIVE映像を見た評論家が、それを彼女のスタッフに連絡したのが始まりという。


配役

2011-12-06 06:30:34 | Weblog

わが女房は単純というのだろうか、『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『大岡越前守』のような勧善懲悪のテレビドラマを好んで観ている。

こうしたドラマは途中経過を楽しむものかもしれぬが、私にしてみれば、結果の見えているこのようなドラマは物足りない。それに、ヒーローを演ずる役者、悪代官を演ずる役者が固定されているのも面白くない。

将軍・殿様には多くの美女が侍っているから代々整った顔をしているのは理解できる。美男俳優が演じるのは当然であろう。だが時代劇に限らず、一部の作品を除いて悪役その他が固定されているキャスティングには興味を失う。

『ある年齢に達したら自分の顔に責任を持て!』ともいわれるが、輪郭・目鼻立ちは生まれつきのものであるからどうにもならぬ。そして、人間性とその人の顔の造作とは直接関係がない。ドラマでもそうあって欲しい。キャスティングに当たっては、顔に捉われず、性別・年齢と演技力で決めたら面白い作品ができるのではないか?

そうした配役で観客を満足させるには、演出家も役者も、並大抵ならぬ努力が必要だとは思うのだが・・・。


GNH

2011-12-04 06:30:08 | Weblog

先日ブータン国王が訪日されたが、GNHとはそのブータンの前国王が提唱した幸福指標といわれる。「Gross National Happiness」の略であり、「国民総幸福量」と訳されるそうである。

尚、このGNHの指標としては、「社会経済は公正で公平に運営されているか?」「文化的、精神的な遺産の保存・促進はどうか?」「環境保護の現状は?」「確りとした統治が行われているか?」の4点が問題にされるそうである。

日本人には馴染みのない言葉だが、この“幸福度”という概念は、世界の注目を集めているそうで、「世界幸福ランキング」も発表されている。その結果によると、1位・デンマーク、2位・スイス、・・・8位・ブータンだそうだ。

傾向として「税金の高負担を不満と思わず充実した社会システムを作り上げたデンマーク」「現状に満足できる精神を持ち合わせたブータン」等が上位を占めている。その反面、経済大国や成長著しい新興国は下位に甘んじている。

だが、“アメリカ・23位”を見せ付けられると、“日本・90位”の結果には考えさせられる。充足感を持てるか否かが、幸福と感じるか否かの分かれ目となるが、日本にも『足るを知る』との素晴らしい言葉がある。


稀勢の里

2011-12-02 06:59:41 | Weblog

この度、稀勢の里が大関に昇進した。直近3場所の勝ち数が32勝で、当初昇進の目安とされていた33勝には届いていないが、最近の安定感が評価されたという。これを足掛かりとして日本人横綱が誕生すれば結構なことである。

場所の14日目が終了した10勝4敗の時点で既に大関昇進が報じられていた。千秋楽に負けて“33勝ならず”となり、雰囲気が悪くならない中に決めてしまおうとの魂胆があったのかもしれない――私はそんな穿った見方をしたが・・・。

その彼に、早くも横綱昇進の期待が寄せられている。相撲協会は、具体的な昇進条件の数字は発表しておらず、『優勝した次の場所の成績が、優勝またはそれに準ずる成績』という曖昧な内規になっているようである。

だが過去には、10→11→12勝で優勝がないにも拘わらず横綱に昇進している例がある一方で、貴乃花は、14勝で優勝し翌場所には13勝で優勝決定戦に持ち込んだが敗れで昇進を逃している。協会としては、何れ横綱になる力を備えている大器であるから慌てることはないとの判断で鷹揚に構えていたのであろう――そう私は推測していた。

素質があり有望と言われている稀勢の里は私も好きな力士の1人である。日本人横綱としての活躍を期待したい。