6日から「春の全国交通安全運動」が始まった。15日まで行われるそうである。
それに因んで、3年前の2007年1月、当時10歳の愛娘「えみる」ちゃんを交通事故で失った風見しんごの記事が新聞に載っていた。それを読んで当時の事件を思い出した。薄情なようだが、あまりにも事故が多いので忘れかけていた。
その日「えみる」ちゃんは家を出て学校に向かった。そのわずか3分後、自宅から150メートルの横断歩道を青信号で渡っていたときに、22歳の男性が運転するトラックにはねられ幼い命を失ってしまったのである。
事件直後、「今は何もいわないです」と黙していた彼だが、「交通事故が自分の家族に降りかかるなんて、思ってもみなかった。普通の生活が、夢が、未来が、突然総て壊されてしまった」と語っている。
その後も交通死亡事故の絶える日のないことが、彼に一つの決心をさせたようだ。事故から半年後、各地で「事故撲滅講演」を始めた。そして最後は必ず、「どちらの立場になっても悲惨な人生になる。僕は誰にも、被害者にも加害者にもなって欲しくない」と話を締め括るそうである。ハンドルを握るとき、常に忘れないで欲しい言葉である。
それに因んで、3年前の2007年1月、当時10歳の愛娘「えみる」ちゃんを交通事故で失った風見しんごの記事が新聞に載っていた。それを読んで当時の事件を思い出した。薄情なようだが、あまりにも事故が多いので忘れかけていた。
その日「えみる」ちゃんは家を出て学校に向かった。そのわずか3分後、自宅から150メートルの横断歩道を青信号で渡っていたときに、22歳の男性が運転するトラックにはねられ幼い命を失ってしまったのである。
事件直後、「今は何もいわないです」と黙していた彼だが、「交通事故が自分の家族に降りかかるなんて、思ってもみなかった。普通の生活が、夢が、未来が、突然総て壊されてしまった」と語っている。
その後も交通死亡事故の絶える日のないことが、彼に一つの決心をさせたようだ。事故から半年後、各地で「事故撲滅講演」を始めた。そして最後は必ず、「どちらの立場になっても悲惨な人生になる。僕は誰にも、被害者にも加害者にもなって欲しくない」と話を締め括るそうである。ハンドルを握るとき、常に忘れないで欲しい言葉である。
私も、ハンドルを握るひとりとして、このことは肝に銘じておかなければ・・・。
ちょうど一年前に、信号待ちしていて信号無視の車に激突されiinaの車が
大破した経験からも実感します。
車だけが壊れて、体に異常がなかったのが不幸中の幸いでした。
よほど注意していても巻き込まれてしまう危険とはいつも隣り合わせです。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/6c32919d2c3baa17000e5c5e06e73df4
≪私も、ハンドルを握るひとりとして、このことは肝に銘じておかなければ・・・≫
そうですね。改めて私もそう認識しました。
iinaさんへ
≪ちょうど一年前に、信号待ちしていて信号無視の車に激突されiinaの車が大破した経験からも実感します≫
大変な目に遭いましたね。体験談読ませてもらいました。人身事故にならなかったことを喜ばなければならない現実!
(昨年同期 32人)その半分以上は
高齢者だ。運転免許の更新を済ませた・・
安全運転に徹しよう‥と思う。
私は誕生日が5月5日で「免許証更新のお知らせ」が届いています。もう1回だけ更新して安全運転をする積りです。
高齢者には特別の講習会があるようですが~~
あまり効果は無いようですね。
私は何年も前、免許証を破棄しました。
殆んど乗らず終いでした。
一番の遠出が神奈川の厚木でした。忘れもしません。
交通事故には不可抗力もあるかもしれませんが
あとを絶たない飲酒運転は、防げるはずの事故です。
ハンドルを握ると人格が変わる人もいるようですが
安全運転、安全歩行、気を付けたいですね。
≪一番の遠出が神奈川の厚木でした。忘れもしません≫
そうなんですか。そうだとすると免許証を捨てたのも解るような気もします。
fujiさんへ
≪・・・・・≫
総て仰る通りです。衰えを自覚したからでしょうか、最近の私は以前よりずっと安全運転になりました。
もう30年前になるでしょうか軽い人身事故
の加害者に、当時は精神的に辛く車を手放
しました。
数年バスで通勤し5年後にはスクーターに
また10年後には乗用車に復帰。
彼はTBS・TVの「東京マガジン」のレギュラー
で顔を見るたびに事故のことを思い出します。
来年が免許証の更新になっていますが、更新
を辞退するか否か目下思案中です。
因みに1938年生まれです!
私は1935年5月5日生まれなので現在更新葉書が届いています。考えた末、今回を最後の更新とすることにしました。