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平成27年、明けましておめでとうございます。

2015-01-03 07:47:04 | 父の背負子2(最終章・これを知るために)

新年おめでとうございます。今年がどんな年になるか・・・・・私は新しいブログ・カテゴリーの『最終章・これを知るために』を充実させようと思います。昨年は私にとって思いもよらぬ経験をすることになりました。それでうかうかしてはおれぬとの思いに至りました。この経験を絡めながら、記事を書こうと思っております。

 

自分の『年』・・・・・生まれてこの方何度地球の公転に立ち会ったか(?)ということですが、それだけの時間を生きたという目安ですよね。まあこれは、太陽と地球の質量と距離は、人間の歴史の長さくらいでは目盛が変わることはないでしょうから、『その人はいくつ』といって何の問題もないだろうと思います。ですが、こと『時間』となるとそう簡単にはいきません。以前もちょっと問題にしたように記憶していますが、『時間』って何だと思っていらっしゃいますか。

『時間』・・・・・『時間』・・・・・『時間』・・・・・。『時間』は年でも日でも、1時間という時の時間でも分でも秒でもありません。それは時間を外から目盛りした単位であって、『時間』そのものではありません。

結論を言うと、それは『生きている間(マ)』のことです。同じような日本語に『人間』や『世間』があります。有名な織田信長のエピソード、ご存じだと思いますが、信長が好んだ幸若舞の『敦盛』、気分が乗れば舞い唄ったといわれています。

       人間五十年、下天のうちをくらぶれば・・・・・・

この『人間』は『人として生きている間』のことです。『世間』は『この世(私説:お天道様がある世)が生きている間』です。人間は人としての時間、世間は道理が通っている時間の世、そして『時間』という言葉は、『トキの間』で『生きている』、あるいは『生かされている』仕組みを表した言葉です。

つまり『時間』というものは、生きているものの生きている間だけに関わっている『命』そのものであり、その『命』が発現する仕組みを表す言葉が『トキ』です。これは私達日本人の言葉を作り出したカタカムナ人の洞察ですが、私達現代人はこの1万年も前の先祖の洞察に脱帽する以外ありません。私たちは『時間』の本質を知りません。ですがその本質を表す日本語を日々使っています。そして何とはなしにその恩恵を受けています。なぜならカタカムナ人の作った日本語は、その本質と仕組みと現れ方を全部含めた脳波動を起こすからです。『言霊』といわれてきた所以もここにあります。

そしてとどのつまり、『トキ』によって発現する『命』も、おしなべて寿命があるわけではなく、『トキ』する条件が整っている間生かされるというわけです。友人である自然食品和み堀江社長の会社名は『トキ』というのですが、『トキ』する条件を整えるための商品を提供したいのだと解釈しています。余談ながら、今年も自然食品和みさんをよろしくお願いします。

 

今年はこうした私の体験的解釈を発表していきたいと思っています。一番初めに書きましたように昨年後半様々な経験をしました。そのことも間もなく整理して公表したいと思いますが、その体験によって後押しされています。多少焦りもあるのかと・・・・・?????も、思います。付き合ってくださる方が多いといいなあと希望しています。

 

 

早く記事を書いていたのですが、昨年末久司先生がお亡くなりになりました。それで余計にお年賀が『命』と『時間』というものについてになってしまいました。『年が明ける』ということがどんなことなのか、先生のお心がどんなものなのか、考えているうちに公開が遅くなってしまいました。今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

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