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私のお鍋の物語

2019-01-23 20:23:30 | 鍋物語・楽老膳

私はお鍋が大好き?????・・・・・でした。お料理が好きだった・・・・・というより、どんなお料理をどんなお鍋で作るかということを考えるのが好きだった・・・・・というのが近いと思います。これは4人の子供(後には柿本の両親を加えた8人家族)を抱えた大家族用の海賊料理(と、私が呼んでいた大皿盛のお料理)のためのお鍋の数々・・・・・一番手前のは当直の看護婦さんを加えたお雑煮用にあご出しを取る特大のお鍋・・・・・全部マクロビオティックの教室用になりました。

家族が減るごとにお鍋のサイズは小さくなり、今では夫婦二人用・・・・・大きなお鍋はどれもこれも昔の思い出になりました。若い時は力もあったので重たい鉄のお鍋もありました。久慈鉄の分厚い天ぷら鍋は圧巻でした。今ではあまり重いものは敬遠してしまい眠らせています。誰ももらってはくれません。自宅を建てる時も、設計士さんからあきれられたお鍋の数・・・・・子供が独立していくたびに分けてやったり・・・・・息子の嫁にやったり・・・・・だいぶなくなりましたが、それでも多い・・・・・。いつでしたか、娘から言われました。『うちにはおそうめんを茹でるためだけのお鍋がある、と言ったらあきれられた!』って。自己弁護するわけではありませんが、『お料理には適切なお鍋がある」というのが持論です。

 

そんなお鍋のことを記事にする気になったのは、今朝玄米ご飯を炊いてお鍋を洗おうとしたとき・・・・・すぐに移して水を張らないとご飯がこびりついてしまいます。こびりついているご飯粒がいとおしいというか、大切というか・・・・・ひとつ残らずかすりとって・・・・・とおしゃもじを動かしながら、圧力鍋との付き合いを、ふと、思いました。一番初めは両手の圧力鍋だったなあ~~~。初めは音に驚いたなあ~~~。あれこれ次から次へと思い出しました。そしてどれもこれも、お鍋にまつわる思い出がある!!!!!お料理によって必ず取り出すお鍋がある!!!!!そうでした!そうでした!主婦としての私は『鍋集め』が趣味でした!!!!!私のお鍋は、私の歴史・・・・・私の物語・・・・・。

そういうわけで、お鍋についての思い出話を記事にすることにしました。今回は、圧力鍋。私の初めての圧力鍋は、もうここにはありません。結婚間もないころ、40年以上も前、セブの圧力鍋を買いました。それは何のためだったか・・・・・玄米を炊くためではありません。まだマクロビオティックに出会っていませんでした。娘が2歳か3歳か・・・・そんなころだったと思います。豆味噌を作ろう!!!!!と、思いついたんです。それで池袋の西武デパートで、セブの圧力鍋(それも大きめの)と、大きなすり鉢とすりこぎ、大きなバット、それと大きな常滑焼の芸術的な味噌甕(今では傘立てになっていますが)を買いました。持っては帰れませんでしたから、配達してもらいました。そしてどこからだったか忘れましたが、北海道の鶴丸という大豆と、麹を買いました。甲州街道を渡ったところにあったタバコ屋のおばさんから、その当時出始めた『赤穂の塩』を買いました。準備万端整えて、大豆を一晩水につけて・・・・・夕食の下拵えも早めに済ませて・・・・・いざ!味噌づくり!!!!!。

お豆を煮るのが大変でした。大きめのお鍋と言っても、数回に分けなければ炊けませんでした。大豆は皮が詰まって危ないこともわかりました。途中で火を止めなければならないこともありました。おもりを取った途端、蒸気が吹き上げて、お台所を汚してしまって大わらわ・・・・・試行錯誤の圧力鍋でした。どうにか大豆を煮るまではうまくいきましたが、今度は少しづつ炊きあがるたびに熱い大豆をすり鉢ですり潰しました・・・・・が、かなり気長な忍耐力のいる大仕事でした。そして麹と香りも高い大豆を混ぜ合わせたのですが、そこで一大事件が起こりました。今でもぞっとしますが、温かい麹と大豆の香りに、住んでいたビル中の(?)『ゴキブリ』がぞろぞろ集まって来たんです!!!!!私も小さな娘もゴキブリに這い上がられました!!!!!大騒ぎ・・・・・大ハプニング!!!!!ゴキブリを追うのにひと騒ぎして、何とか無事に豆味噌の仕込みは終わりました。それから一年後、豆味噌はそれは高級品(?)に仕上がりました。最初のかき回しのたびに、甕の縁など日本酒でアルコール消毒したのが良かったのか、一切カビは生えませんでした。お汁の濾し滓もおいしく食べたくらいです。

 

その後セブの圧力鍋は小さいのも揃えてずっと使いました。大豆で便利と危険と体験したので、使い勝手を会得したのだと思います。それからマクロビオティックを始めて玄米ご飯を炊くようになると、セブよりもフィスラーよりもその他の外国産のものよりも、国産のワンダーランドの圧力鍋が玄米ご飯にはちょうど良い圧力加減だったのか、美味しく感じました。それからずっと使っています。錘(おもり)の形もいろいろ変わりました。今の帽子のような錘はかわいらしいと思います。

 

昔の人は圧力鍋もなく玄米を炊きました。どうやって炊いたのでしょうか?????現代の私達のように我儘ではなかったのでしょうね。歯も顎も強かった!!!!!羽釜で炊いたか、土鍋で炊いたか・・・・・二度炊きをしたのかもしれません。ちょっと硬い玄米ご飯は、今でも、雑炊にします。土鍋のマスタークックというのがあって、病人には最適の優しい玄米ご飯が炊ける厚みが1センチ以上あるようなお鍋です。それも大小と深型浅型、持っています。圧が少し足りないと感じた時は、砥石を重しに乗せたこともあります。それよりもなお、父の黒入り玄米スープを毎日マスタークックで作りました。懐かしい思い出です。最近は夫も以前よりも積極的に玄米を食べるので、これからも圧力鍋との付き合いは続きそうです。

 

 

1/24追記:玄米ご飯生活に必須(?)のアイテム鍋を忘れていました。通常玄米ご飯を炊くときには、三合は炊きますよね。私達夫婦二人の三回分です。江戸時代のようにお櫃に入れて冷えたご飯を食べるべきかもしれませんが、やはり温かいご飯がいい・・・・・そこで登場するのが、写真の小ぶりの二段式スチーマー    これはいつも登場する自然食品和みで買ったものです。自然食品ではおなじみの『加藤農園の蒸しパン』を蒸かすのによいとのことで・・・・・下から蒸気が来るのと違って鍋の縁周りからくるのでベチャベチャになりにくい・・・・・それでも、少しでも水っぽさを避けたいパンなどには竹のすのこを敷いています。そしてこのお鍋は玄米を温めなおすのに『持って来い』なんです。下鍋はひとつに上鍋を二つ、毎日毎日重宝しています。

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