暖かみのある食器を選ぶことが多くなってきました.これから冬に向かって土物の登場が増えます.お粥をよそう塗りのお椀も更に厚みの増したぽってりとしたお椀になります.夏には呉須のさっぱりとした磁器のお茶碗を多く選んでいました.お粥用の塗りのお椀もやや薄手のもの.涼しさを選んでいた自分の気分が、季節のめぐりと共に暖かさを選ぶように変わっていくんですねえ.確かに人間も地球の一部で太陽を回っているなと、実感してしまいます.
マクロビオティックのいいところは、究極的に食べ物が少なくなっていくと共に、使用する食器類も少なくなっていきますから、食器を選ぶ楽しさが大きくなっていきます.食器の放つ雰囲気もお料理の2分の1位になります.昔から私の選ぶ焼き物は、磁気は呉須、土ものは唐津風と大体決まっていましたから、我が家の食生活を彩る食器は、それに塗り物を加えた三本立て、娘達に言わせると「好み鮮明、おかあちゃまの食器棚って直ぐ分かる」という具合です.
冬は土物と塗り物、夏は磁器と塗り物、春と秋は土と磁器の割合、お椀の触感が移行する時期と、これまた季節の巡りを毎年繰り返しては秋が来たなあと自分の感覚の変化を確かめます.私は漆器が大好きです.漆器は高い買い物です.でもお粥用に一度お試しください.先ず手が熱くならない.お粥が最後まで冷めずに美味しい.持った感じが優しい.それに堅牢です.修繕がききます.それに決心の末に買ったものはいとおしい.そのような食器でその時の思い出も一緒に食べるんです.ちょうど日本の歌詠みの伝統が、一語一語に昔その語を使って詠んだ人の思いまで含んでいるのと同じです.
今年は実家の柿が一つもなっていません.父の甘い思い出の味がありません.でも木犀は香りを風に含ませています.木々は冬支度をはじめました.私達も自分の日常の選択を実感しながら、季節の巡りを楽しみたいと思います.
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紅絹は、本当にただの紅い絹でして、大島の裏につければ良いような布です。
茶箱からひっぱりだして、色々眺めておりますが、ぼろぼろのモスリンですら、丁寧な継ぎがあててあり、
昔は、布をとても大切にしたのがよく分かります。
祖母もいまだに、「買えば安いのだけれど」と靴下や、着古したセーターに継ぎを当てています。
このような始末の精神も大切に受け継いでいかねばと思っております。
ただ、旧い布は困ったことに、木綿でもモスリンでも色落ちが激しく、なかなか利用できません。
絹は、お茶道具の衣にしたり、小さな袋に仕立てて楽しんでおります。
ただ、しまっておいた布が、手を動かすことによって、日常に使えるものに変わることは、本当に楽しいです。
質感は季節感と似通っていますよね.これに模様の趣旨と色が混ぜ合わされて、日本の食器文化を生んだのですね.大切にしたいと思います.
私にも母の残した秩父絹があって、何にしようかと思いましたが、nekoさんは漆器を包まれるのですか.日本人形のようにあでやかでしょうか?
土のものは、何を盛っても涼しげに、かつ温かみを添えますね。
夏でもお素麺を盛ったりして楽しんでいます。
漆器は、確かに良いものは、ずっと何代も長持ちします。
逆に安いものは、すぐにだめになりますね。
曾祖母からの、家紋入りの漆器も、布に包んでしまってあります。
うちの赤ちゃんが割ると大変なので。
紅絹の布が沢山あるのですが、それで包みたくなるような、気持ちの入った漆器を選んでみたくなりました。