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ほおずき提灯

2005-11-01 10:55:24 | 出版記事
お盆にお供えする赤いほうずきが庭に残っていました。今袋の葉脈(?)だけがきれいに残って白い網目になって中の赤い実が見えるようになりました。これこそ本当に提灯だなあと感心して、美しい自然の芸術に感動してしまいます。

ところで美しいとはどういうことなんでしょうか。このほうずきだって白い網目の提灯になる途中は皮の部分が腐って少しずつ溶けたり落ちたりしていたのです。多分人目も引かずに自然の流れに従っていたのです。それも本当は美しい過程に違いないのですが、私達はそれをみても美しいとは恐らく感じません。芸術家はそこに美を見つけ出すのかもしれませんね。かげろう日記には“うつろいたる菊”にさして和歌を贈ったという記事がありますが、美しさは自分と照らし合わせて発見できるものかもしれません。

だとしたらどういうものを美しく感じるかということは、そのまま人柄を表わすわけですね。日本人は陶磁器の世界でも、ヨーロッパや中国大陸の美しさとはまた違ったものを発見しました。非対称や自然の力のかかり方による窯変など景色と呼んで愛でて来ました。動きを感じ取ったのです。命を感じたのです。イブキドノ神のかかわりを感じ取りその道を全ての物事に見つけ出しました。私達はその道筋と感応した時、美しいと思うのではないでしょうか。

日本人はその途中の過程である“うつろい”とか“さびすさび”とかいうものにも美しさを見ることが出来るようになっています。これを発見(?)したのは、足利義政だということになっていますが、多くの人々が感応したという事はそういう感覚がみんなの心の中に言葉を持たぬまま熟成されていたということでしょう。日本人は動きの中に自然の本質を見つけ出していたのだと思います。

マクロビオティックでも、桜沢先生が自然の本質を端的に表わした易の理論を解釈して無双原理という道しるべを残してくださっていますが、自然は動きの中にあることを学びます。陰陽はその左右もない宇宙の羅針盤です。陰陽は私達の美しさに対する感応の世界をもっともっと広げてくれます。なぜかといえば私達自身の自然の移ろいを知ることが出来るからです。自分自身が自然であるかどうか、これは自然と感応し合う程度の問題であり、それは自分の内側が自然であるかどうか、つまり自然を如何に取り入れた体であるかどうかにかかっているからです。自然そのままの心になれば、美しさの対象は宇宙の大きさに広がります。楽しみですねえ。
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