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自分とは何か?

2014-08-08 09:21:08 | 父の背負子2(最終章・これを知るために)

物心ついた時から、『自分の意味・人生の意味』をさぐっては、何かしら意味があるという希望と、実は何も無いのではないかという失望の繰り返し・・・・・・誰しも同じですよね。そうして私は最終的にカタカムナに出遭い、マクロビオティックに出遭うことが出来た60数余年の人生・・・・・・・・私のマクロビオティックを一冊の本『マクロビオティックに学ぶ暮らしの知恵』にまとめ、私の歴史を先年このブログ【マクロビオティック・インスピレーション】で『随想古事記』というカテゴリーにまとめ、今日『最終章・これを知るために』というカテゴリーを作りました。私の人生はこれを知るためにあったんだ!!!という内容を集めようと思っています。

人間の知恵と知識・・・・・・いつも言っているように、これは全く『受け売り』の世界なんです。誰かの新発見!!!???・・・・・これだって先人の発見と知識が土台にあればこそ・・・・・・・ピタゴラスを抜きにしてユークリッドはなく、アルキメデスを抜きにしてニュートンはない・・・・・・そういうわけで、私は我が父母の子に生まれ、幼い日に『豊宮日七夕織姫大明神(トヨミヤヒタナバタオリヒメダイミョウジン)』の語句に触れ、日本語に引かれながら外語大のロシヤ科に行き、結婚をして母になり子供たちに最良のものを探り、いつも宣伝をしている自然食品和みの堀江さんに出会って『カタカムナ』にたどり着き『マクロビオティック』を手にしました。その上で、私は川崎先生の御本に触れることが出来ました。

これは偶然なんですけれど、もちろん偶然ではありません。日蓮上人は言っておられます。『・・・・・能詮は報身、所詮は法身、色相の文字はすなわちこれ応身なり・・・・・・』・・・・・・この世に現れてくる報身は善果もあれば悪果もある・・・・・つまり条件による、それもとどのつまりはこの世を動かしている『力、つまり法』によって現れたものであり、そのさまざまな姿かたちは、その諸条件が法に触れて発現したものである・・・・・・と。実はこれが『曼荼羅』なんです。そしてそれが『マンダラ』という音の意味を説明しています。このようにして人間も発現するんです。そして私が私に生まれて、私の人生をたどったというわけです。そうして以前記事にしたように、日蓮上人が夢の中で白隠禅師となられて、いま私は『念々従心機、念々不離心』といった心境を得ている・・・・・それで今日決心しました。自分の知りえたことを知りたい人に、以前の私がそうだったように捜している人に、いつでも遭遇することが出来てその方の応身を果たしていただけるように、

        私も土台になりたい!!!土台になろう!!!条件になろう!!!

誰かが蹴躓いて立ち上がる石になりたいと思います。人生に意味があるとしたら、そんな石ではないでしょうか。思えば先人たちは偉大な石です。山のような岩もあれば、名もない小石もある・・・・・・でもどれ一つ欠くことはできません。私の小さな石に誰か、蹴躓いてください!!!

 

 

それで今日の記事の題名、『自分とは何か』。簡潔に言います。説明が足りないかもしれません。でもこの足りない言葉を吟味することが、蹴躓いて立ち上がるということだろうと思います。

自分・・・・・この世にあらわれた一つ一つのものをカタカムナ人(私の言うワタツ人・随想古事記)は『タマ』と名づけました。この『タマ』が持っている、言わば、表面張力とでも言うべき範囲感覚(人間というタマは意識し言葉にするものです)『自分』という意識を持たせます。表面張力の『力のもと』が『命』であり、その力のおかげで表面張力が発現して、形態を保っています。『命』が自分なんですけれど、『自分』とはその生かしている力の及ぶ範囲です。

 

それでは今日も

       私たちは横田めぐみさんたちを取り戻さなければならない!!!

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