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山の神とおかみさん

2005-10-18 14:11:37 | Weblog
現代社会は男女平等だと言われて、現代以前は男尊女卑の社会だといわれています.そもそも男尊女卑なるものはどのように発展(?)してきたのでしょうか.個体の単位で生きている動物には尊だの卑だのという関係はなく、単に力の優劣で決まる一対一の関係でしょうから、社会を持って初めて分けられる、それも大脳の発達によって獲得した関係だと思われます.では霊長類の社会ではどうでしょうか.なるほどサルの社会もゴリラの社会もボスザルの統制下にありますが、仕事というものに評価を与えるような社会ではないので男尊女卑はないと思われます.男尊女卑はあくまで社会における役割上の観念的意味合いを持っていると思われます.

ではなぜ男尊女卑ということを社会は受け入れてきたのでしょうか.それは観念こそありませんがやはり群れのボスの意識の中にその萌芽はあると思います.もっと古くオスのテリトリー意識がその源かもしれません.オスにとっては縄張り、テリトリーの死守こそが自分の生きる道なのです.縄張りを守ることが平和の維持であり幸福の継続ですから.私達人間の男にとっても同じことであり、それを守るためにより高度な社会組織を作り上げてきたのです.社会は男の営為努力によって構築されてきたといっても過言ではないと思います.メスである女はどうしてきたか、多分メスは極論するとオスのものを勝手に好きなように食べてオスメス両方の願いである子供を育ててきたのです.社会の維持にあまり関心を示さなかったのです.それで社会は男の視線で作られてきました.この生理上の違いが男尊女卑の始まりではなかったかと思います.

しかしオスはメスのためにテリトリーを主張するのです.メスは圧倒的に優位にあったのです.だから暢気に構えてオスのプレゼントを当然のごとく食べてきました。時々テレビで放映されるいじらしい涙ぐましいオス鳥の求愛の姿を見ます.今でも私達は夫の働きを当然のごとく食べています(?)それがオスの幸せであり、目的です.なぜでしょうか?せっかく集めたものも、メスがいなければ永遠に維持は出来ないし、その夢すら持つことも出来ないからです.オスの社会はメスがいなければ、その意味が成り立たないものなのです.したがって男尊女卑という言葉は、社会を維持する上で男だけがその義務を負って女は負っていないという男の自負の言葉だと思います.それが女を束縛した時代もありましたが、そんなものは男に勲章としてあげていればいいような気がするのは私だけでしょうか.そんな男社会を支えているのは、あくまで女の寛容と忍耐の精神だと思います.女はもっと実質的な生き方をしてきたのだと思うからです.女には女の苦労が当然あります.産婦人科医であった舅は私によく言いました.「あんたは家を四軒建てたようなもんじゃ」と.出産、育児一人につき家一軒建てる苦労だという意味です.舅はそういって嫁に勲章をくれたのです.

日本人はそれでも西洋社会とはだいぶ違った男尊女卑の社会を作ってきたと思います.それは言葉に表れています.社会という男の縄張り争いのステージには女を出てこないようにし裏の山の中では女は神になりお供え物を頂くことになりました(?)それで自分の女房は山の神、他人の奥さんはおかみさんになったのだと思います.要するに社会は縄張り争いの場が変形してきたのだと思います.もし女が社会というものに進出しようと思うなら、男の社会の仕組みに男のように入ろうとしても女の幸福は生み出さないと思います.男の社会を山の神の社会と重ね合わせなければ、多分何にも解決しないだろうと思います.

私は山の神のほうを選びます.しかし男社会が山の神の社会を無視しては男の幸福も得られないだろうと思います.マクロビオティックでも分かりますよね、裏が表になり表が裏になる世界なのです.氷山だって海に浮かぶには裏の部分が大きくないと釣り合わないのです.表は裏を規制し、裏は表を支配しているのです.
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