inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

母の日子供の日

2006-05-13 09:50:02 | 父の懐
もう直ぐ母の日です.今宅急便の配達の方から母の日のプレゼントの配達のピークで忙しいと聞きました.それで昔子供と話したこと、父と話したことを思い出しました.

子供たちは小学校時代「母の日はどういう日か,敬老の日はどういう日か,お家の人と考えてきてごらん」という宿題(?)をもらって帰ってきました.子供達のインタビューが始まります.「母の日は,日頃お母さんに感謝しているか反省する日」,「フウーン?」,子供たちはノートに書きます.「敬老の日は,日頃お年寄りを大切にしているか反省する日」,「そうか!」,これもノートに書いて行きます.私は学校行事のその日だけの取って付けたようなやり方にちょっぴり皮肉交じりの答えをしました.どうにかして子供の心に毎日の積み重ねを教えたいと思いました.先生にもそのことに気がついていただきたいと思いました.その日にお花を一本お母さんに届けてありがとうを思い起こすのではなく,毎日毎日がどのような思いでつづられていくか,お母さんの仕事が一体どのような性格のものなのか,先ず先生の心に思い浮かべば,一人が何十人にも広がっていきます.先生のお仕事というのは本当に大切だと思います.先生のお仕事は,親の仕事のようなものだと思います.生命は休みのない仕事によってつながれていきます.親の仕事というものはその最先端です.生命に直結している仕事ほど休みは取れません.お百姓も同じだと思います.

この母の日問答は私と父の間にもありました.同じ様に父から教えられたことがありますが,私は「父の日はどうしてないの?」と質問をしました.当時は父の日はありませんでした.「毎日父の日だからいらないんだ」と父は答えました.思えば当時の母はいつも父のありがたさを子供に見せていたと思います.子供心に父は偉いんだとも思っていました.そのような暮らし振りがあったからでしょう.父も私達には大きく優しく威厳に満ちて輝いていました.父の日があるということは,父の威厳が落ちてしまった証かもしれません.
記念日がなければ思い起こさないというのでは,どうにも情けない人の心ではありませんか.ちなみに子供の日は,子供の成長を喜び感謝する日でした.子供にサービスする日ではないと思います.先祖を思う日といったほうがよいかもしれません.
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする