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男子厨房に入るべからず

2006-05-04 17:35:01 | Weblog
atsuko-fさんとブログで家庭についてやり取りをしていて思ったのですが,皆様ご存知の今日のタイトル,「男子厨房に入るべからず」.今では九州男児の沽券のように言われています.でもそもそも何処から言われ始めたのでしょうか.詳しく調べたわけではありませんからなんとも断定できませんが,家庭というものの生態(?)を考えると思うところがありまして,和子説を述べたいと思います.皆さんはどう思われますか?

これはお料理をするなという意味ではなく,お料理や献立について口出しするなということではないでしょうか.男子たるもの,出されたものをありがたく食べればよいと.つまるところ,支配権の問題です.家庭の表は男の支配,裏は女の支配.端的に現れたのが徳川家の奥向き.女の束縛がひどくなったのは,徳川時代平和が確立されてからでした.でも大奥の創成期には、あの戦国時代という男の力の時代にも、生命として男女の対等な意識が脈々と太古の昔から(?)受け継がれていたと思われます.それで大奥の支配になかなか表の支配の及ばぬ機構を作ったのではないかと思います.しかし力が権力というものに入れ替わって社会が出来ると,何しろ権という字の意味は実体のないということですから、観念上或いは組織上の権力に基づかない女の地位は無視され始めます.それで段々と女の意識も変化して,持ち前の忍耐強さを発揮して暮らしてきましたが,日本という国柄,そう変化しようにも食べているものが,天照大神の御神勅以来の五穀ですから,変わろう筈がありません.表は男の権力,裏(家庭)は実力の世界になったというわけです.実力は歴史がものを言いますから,長年培った男女の関係がそのまま残りました.

何しろお隣近所のお付き合いというものもあります.お隣から女ばかりが出てくるのに男一人出たところで何も出来ません.そういうわけで女の世界は意識の歴史の中に定着していきます.表向きに口を出さないのも習慣になります.それで男子厨房に入るべからずになったのではと思います.お台所のお金のやりくりにも当然口を出してはいけません.倹約令の発布は出来ますが,今日はあれが食べたいだの,これは食べたくないだのとは一切口をはさんではいけないのです.男女の息があって家庭を切り盛りしているのであれば,当然お互いの気持ちを察しているから,互いの表裏に口を出さないのです.主人は家の表,主婦は裏.裏の実権を握るのは誰かといえば,圧倒的に女が多いというのが歴史上の事実でしょう.だから徳川家も宮中に一姫を入内させたし,藤原時代の摂関政治もありえたのです.

マクロビオティックでは男女のどちらがお料理をするべきかという問題について,現在の社会情勢からなんとも言っていませんが,基本的には女がお料理を担当するのが生理的にもあっていると思います.仕事としては別です.家庭でという意味です.ただ社会組織の中で裏が評価されないままにすると,社会に目覚めた女(?)は納得しないかもしれません.男も女も裏に対する意識変化が必要でしょう.男は忍耐強い優しい女を妻にすることが,この世の幸福でしょう???女は裏では完全に手をあげてくれる男を夫にするのが一番でしょう???
コメント (3)
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