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お箸について

2006-04-09 23:18:54 | 出版記事
私のマクロビオティック教室は、お箸持参ということにしています.三角巾、エプロン、筆記用具は何処も同じだと思いますけれど、あえてお箸持参という項目を最初から規則にしました.段々汚れていくお箸を教室では使いたくなかったこと、粗末な割り箸のゴミを出したくなかったこと、心になじむ上等の割り箸を用意するほどの余裕もなかったこともありますが、何よりもお箸に注意していただきたかったのです.

そもそも割り箸とは最も贅沢なものでした.上等の材質のものを一回しか使わない、お客をもてなす亭主の心だったのです.それが今では手に痛い使い難い使い捨てのゴミのお箸が多くなりました.これでは心意気も何もありません.お箸は手に馴染みやすいものがいいと思います。お箸を操る事は脳の訓練にもなります.最近は外国人が上手にお箸を使うのを良く見かけるようになりました.十八番を奪われないようにしましょう.子供たちが小さかった時、誰かが溝に落としてしまったおもちゃを、溝蓋の隙間から長い棒をお箸のように使って取ってやった事があります.子供達の嬉しそうな顔を良く覚えています.役に立ちますよ.日本人の平均的頭のよさもお箸の所為かもしれません.

もののけ姫という映画がありました.私も子供にお相伴して映画を見に行きました.大人が見れば大人の問題提起をしている映画で、小さい子供たちにも強烈な影響を与えたと思います.印象的だったのは主人公の一人アシタカが、朱塗りのお椀とお箸を持って旅をしていたことです.私達は今では物の溢れた使い捨ての生活をしていますが、生活道具というものをもっともっと大事にすべきではないでしょうか.もっともっと手を掛けた堅牢な用の美というものの追求にお金を掛けて、数を少なくすべきではないかと思います。

それは食べ物に対しても同じ事のような気がします.私達は食べ過ぎです.もっともっと食材を丁寧に作って大事に食べなくてはなりません.満腹になるまで食べるということは、本当は天に唾することなのです.必ず唾は自分に落ちてきます.腹6分か7分でよいのです.そうすれば自然に無形の食物が増えて、私達は“かすみを食らって生きる”というあこがれの仙人になれます.マクロビオティックでは少食が究極の手段です.何のためかといえば、自由のためです.究極の自由は無限です.人間は無限へとユーターンをした段階です.次の食べ物は”かすみ”のようなものです.人間が次に変化するもののために、人間の段階のうちに準備しておかねばなりません.死んだ後も地球のものに対する食い意地ばかりで、幽霊になってうろつくのは誰だっていやですよね.マクロビオティックって面白いですよ.仲間と話し合ってみてください.


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