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失敗して・・・チャーハンに。

2013-07-02 20:16:39 | マクロビオティック
昨日炊くつもりで洗った玄米でしたが、夫の希望でメニュー変更、急遽冷蔵庫で休眠・・・・・これは私の本の中でもご紹介しましたが、かえって玄米ご飯を美味しくするコツです・・・・・となっていた玄米を今日炊きました。少し柔らかめに炊こうかと、やや多めの水加減で炊いたのが救いでした。3合洗ったのに忘れてしまって、ついつい2合・・・・・美味しいにおいに心楽しく蓋を開けました。そしたら何となくいつもより色が濃い・・・・・あれ??というわけで3合を思い出しましたが、後の祭り。

今夜は私一人の夕食なので、チャーハンにすることにしました。硬過ぎなので、ちょっと『ふやかす』ためにウォーターソテー風に水攻め・・・・・それから軽く『からいり』・・・・・何しろチャーハンは『パラパラ』が命ですから。それから玉ねぎをよく炒めパセリをたっぷり粗めに切って炒めて(なにしろたっぷりなので、よく炒めます。そうしないとパセリ臭くて・・・・・)、ここで『イキな塩』の味付けをします。(ふつうはご飯を加えてちょっと薄め位の味付けにします。今日は高菜も加えるつもりなので、その分さらに薄く)ここに刻んだ高菜を加えて軽く炒め、ご飯を加え強火で鍋肌にお醤油を少々。美味しく一人の簡単食を味わいました。


子供達が小さい頃、まだマクロビオティックに行きついていない頃、よく作っていたチャーハンがあります。子供達も大好きでした。私がそれが一番美味しい取り合わせだと思っていました。夏らしくさやいんげんのチャーハンです。インゲンは七夕様の短冊のようですよね。そのチャーハンは、玉ねぎとハムとインゲンで作ります。玉ねぎは粗みじん、ハムはそれよりちょっと大きめ、インゲンは塩ゆでして斜めの小口切り。出来る限り少ない油で玉ねぎを炒めてハムとインゲンを加えて味付けをします。ハムの塩気を考えて味付けをします。そこにご飯を加えて炒め合わせ、香りづけのお醤油で最後の仕上げをします。最後までずっと強火で炒めます。

卵は使いません。卵って結構強烈に味を決めて、独特のにおいをつけてしまいます。我が家の『キャベツ炒め』はキャベツだけで、キャベツの美味しい味が決め手です。それでこれは春キャベツだけのメニューです。話がそれましたが、このいんげんのチャーハンは、おすすめです。今の私はハム無しですが、マクロビオティックでハムの代わりが必要ならば車麩などで工夫できると思いますし、セイタンなら塩抜きしたお水も味付けに使えます。インゲンチャーハン・・・・・お試しあれ!!!




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塩麹便利帳3?4?

2013-06-13 16:00:04 | マクロビオティック
今日は本当に暑い日になりました。室内で30℃もあって、汗が噴き出します。ベランダに水を撒きました。心なしか涼しくなりました。

こう暑くなると冷奴がアイスクリーム代わり・・・・・身体を冷ましてくれます。お料理にもなるべく火を使いたくない・・・・・それで白和えもどきを作ってお昼のおかずにしました。先ず木綿豆腐を好みでゆでて水を切り冷まします。しっかり水切りをして粗くつぶして塩麹で和えます。そこに千切り人参の茹でたものと青じその刻んだものを混ぜます。

具はキャベツでもレタスでも何でもよいし、もちろん茹でヒジキを混ぜてもよい。すりごまを混ぜてもよいし・・・・・適当に冷やして美味しく頂きました。暑い日のお助けメニューで、冷奴より彩りもよく、野菜も食べることが出来ます。単純なお料理が夏を乗り切る助けです。




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善玉菌悪玉菌

2013-04-02 10:33:48 | マクロビオティック
一昨日の日曜日、主人の“友あり。遠方より来る。”の一日を過ごしました。房総半島の南部からわざわざ訪ねてくださって、旧交を温めました。長女の話になって『典ちゃん・・・・』なんて言われるもので、その典子ももう・・・歳ですよなどと、他愛もないない話にも花が咲きました。そしてふと今一番売れてるものは「サプリメントかもしれない」という話になりました。

そう言えばテレビでも宣伝合戦ですよね。そしてどれも『今から30分以内に限って・・・・・』と毎日放送しています。まあそれはそれでそんな時代なのだと思う以外にないのかもしれませんが、今に始まった事ではない『善玉菌・悪玉菌』の話・・・・・・そして『毎日便とともに排泄されるから毎日取り入れなくてはならない』というもっともらしい話・・・・・

菌というものが一体どういうものなのか、よく考えてみればこれが真実で助言なのか脅迫(?)なのかすぐ分かります。菌というものは『培養』地がある所に増殖するものなんです。つまり問題は私達のお腹の中にあります。そこが善玉菌の住むべき所なのか、悪玉菌の住むべき所なのか・・・・・・つまりそこが

          『葦原の瑞穂の国』なのか、『黄泉の国』なのか・・・・・

菌に善悪はありません(悪玉菌などと可哀そうな名前ですね)。役目が違います。そこに善玉菌が食べて分解するものがあるのか、悪玉菌が食べて分解するものがあるのか・・・・・場所を交換することはできません。ですから私達のお腹の中が『黄泉の国』の様相(つまり特に動物性たんぱく質や脂肪の腐敗)を呈していれば、確かに善玉菌を毎日取り入れて過酷な環境(?)で働いてもらわなければなりません。取り入れても取り入れても善玉菌優勢にはならないでしょう。確かに『毎日取り入れなければなりません。』というのは助言です・・・???

まあ『臭いものには蓋』式の便宜的解決法ですが、真の健康は『臭くならない』ようにしなければ手に入らないでしょう。『便宜的』というのは『時間稼ぎ』なのですから、その稼いだ時間に何をするべきかもう一度よく考えてみたいものです。




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野菜の湯洗い

2013-03-23 11:54:07 | マクロビオティック
平戸の『自然食品和み』さんの社長、堀江さんが電話で言いました。『お湯でお野菜を洗うって知ってる?』もう半年前になるかと思います。その時は真剣に応答しませんでしたが、先日本屋さんで『50℃洗い』という本を見つけて買ってきました。これの事を堀江さんは言っていたんだなと思い思い、色々と考えてみました。

実のところブログでも本の中でもご紹介した『ぶくぶく装置』のお陰で特に問題はありませんでした。それになるべく自然な栽培方法の野菜を買うことが私の農業だと思ってきましたので、美味しい野菜を大事に食べてきたつもりです。それでも堀江さんに『考えてみる』といった手前、返答をしていない事が気にはなっていました。

それで読後感を述べてみたいと思います。先ず著者の平山先生の仰っていることは正しいのだろうと思います。だけど目に見えない汚れの化学物質がそのお湯に溶け出て吸収はされないのか、という点だけが気になりました。前提として自然な野菜という条件があるのでしょうか。それで一度流水か何かで洗い流してから『50℃洗い』をするのか、それとも残留物、特に付着して水にとけないものなどはもともと食べてしまうものなのか、あまり神経質になると現代社会では生きてゆけない???かもしれません。(ぶくぶく装置は、現在さらに改良されていますが、もとから中和法です。)

平山先生はもともとは蒸気がご専門だとか、それで『70℃蒸し』も提案なさっています。これには思い当たることがたくさんあります。『湯引き』と『魚の湯洗い』と『酒蒸し』です。イカや白身魚の刺身の湯引きは海岸ではおなじみの調理法でしょう。お吸い物も必ず塩を振ったお魚に熱湯を回しかけ、冷水で洗います。平戸の名物(?)『あらかぶの味噌汁』でも必ず熱湯で下拵えをします。うろこもきれいに落とすことが出来ますし、何より生臭みを消すことが出来ます。先日息子夫婦の所に行った時も、新米ママさんの嫁のために母の家庭料理『煮魚』を作って喜んでもらいましたが、煮魚にもお湯をかけ水洗いすることで生臭くなく美味しく作ることが出来ます。

そしてアワビやサザエは酒蒸しにします。姑に全て教えてもらいました。これは柔らかく蒸すためで、全部をお酒にするか、半分水を足すか、混合率はそれぞれですが、とにかく美味しく蒸しあがります。そしてお酒の沸点は当然水より低いのです。これは『70℃蒸し』なのではと思います。アサリも牡蠣もそうです。牡蠣については白ワインを使うべきだというのが私の持論です。

この本でいろいろ知ることが出来ました。1)55℃以上にならないと調理は進まない。そして2)43℃以下になると腐敗菌が増える。これは大きなことです。お魚やお肉の表面の酸化物を洗うことはとても良いことだと思います。もちろん食材の選択が第一ですが、食べる人のために身体に負担をかける要素は取り除くべきですから。それにそういったものが食材をまずくしているのですから。もう40年近くも前の事、グルメで知られていた邱永漢さんとおっしゃる方の家庭料理(?)とかいうような書名の本がありまして、そのなかに『鶏肉は必ず塩でもんできれいに洗う』というようなことが書いてありました。それ以来ずっと良いお塩でもみ脂と皮の毛穴などの掃除をして使うようにしてきました。表面の酸化物、つまり食べる前から老廃物になっているものを取り除くことが、健康上大切ですし美味しいのだと思います。

皆様はもうすでにご存知ですか。ご意見があったらコメントをお願いいたします。それをお伺いしたくてこの記事を書きました。




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2月教室のお知らせ

2013-02-04 10:08:35 | マクロビオティック
今年度最後の教室のお知らせをします。

    2月23日土曜日、マクロビオティック教室13:00~16:00
                ヒレフリ山教室19:00~21:00


追って記事を補足するかもしれませんが、和みさんにお問い合わせお申込みください。(0950-23-2566)しばらくお目にかかっていませんので、楽しみにしています。おげんきでおでかけください。




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脱水あとのまつり

2013-02-02 09:34:58 | マクロビオティック
実は私は、以前にも2回『干からびた』経験をしたことがあります。今回の事件で思い出して、3度目の正直、やっと一纏めをすることが出来ました。最初は昭和63年秋頃のことです。私達は自宅を新築しました。そして主人は念願かなって『サウナ』を手に入れました。毎日堪能してその心地よさを私たち家族に吹聴しました。そして当然私にも体験するよう説得にかかりました。毎日顔を突き合わせている開業生活、断るのもなかなか難しい・・・・・・私も決心をしてやってみました。

親切な主人が温度も低めに設定して、水風呂も30度くらいで用意して、水分補給用のお水も十分用意してくれて・・・・・・『いいか、初めてなんだから熱いと思ったらすぐに出て水を飲め・・・・・水風呂につかれ・・・・・我慢するな・・・・・』サウナ指南が続きます。お陰でまあ楽しく(?)初めてのサウナ体験は終わりました。でもそれでは終わりませんでした。

翌朝起きた私は、自分がカラカラ状態になっているのを感覚的に知りました。唇からお腹の中、大腸の粘膜まで
       『干からびた~~~!』というのが実感でした。勿論声もかすれて出ません。その時あらためて思いました。主人は『丸太』、私は『板』のような体格で正反対、主人に心地よいものが私に良いとは言えないものが多い・・・・・・あ~あ、あとのまつり・・・・

2回目は久司学園に勉強に行って3週間ばかりボストン郊外のベケットに滞在した時のことです。周囲の人達が口をそろえて言いました。アメリカは乾燥しているから喉をやられる・・・・・と。でも少なくともその時の実態はそうではありませんでした。冬のベケットは雪に覆われていました。久司学園の滞在施設の暖房はボイラーでわかしたスチームのパイプ循環によるもので、とても穏やかな暖房でした。その冬はそれでもとても温暖だったらしく、私は何の異常も感じることなく楽しいショート遊学体験を堪能しました。

そしてニューヨークから成田直行便で帰国しました。福岡に移動して1泊、翌日平戸に帰還しました。そして初めて自分が『干からびている』ことを感覚的に知りました。その時の感想は何の芸もなく、

       『やっぱりアメリカは乾燥していたんだ~~~あ!』


今回の事件で3回目、本当に3度目の正直です。『干からびる』、つまり脱水状態になるということがどういうことなのか、やっと分かってきました。何と言っても脱水状態にならない事が一番大切なんですが、原因の種類はともかく脱水になったとします。私はすでに3度もなっています。その時の私の細胞の一つ一つは当然防御反応をとります。どうやるかと言ったら自然界で植物が行っている通り、『しおれる』んです。植物は日中しおれて翌朝には見事に露を滴らせている。残念ながら人間にはそれが出来ない???そして一番外側の細胞の細胞膜は完全に(もちろん干からび方によりますが)しおれ切って『盾』状態になるんです。これがアメリカ滞在を快適に過ごせた理由だろうと思います。アメリカでは乾燥状態だったので、身体の正しい反応でそれ以上の水分蒸発を防いだのだと思います。

でもそれは日本にいて作ってきた身体と大気環境との関係ではありません。帰国した途端、サウナから出た瞬間、ホテルで干からびてしまった後、そのかわいそうな細胞膜の死骸の盾がお荷物になります。それを認識する脳とのずれで多少の時間差が必要で、しばらく経ってから違和感を感じるということになります。サウナとエアコンは環境の変化の無い状態で無理に急速に起こった事態ですから、身体は大変だっただろうと思います。そして私の感想ですが、

サウナ(熱)は腸管全体異常が起こるが肺はあまりひどくない・・・・・エアコン(風)は肺がひどい・・・・・


その干からびてくれた細胞膜の処理にはかなり時間がかかる・・・・・・それがなかなか回復しない理由だろうと思います。今回もやっと味がするようになりましたが、今日でもう6日目です。水分を補給すれば治るなんて簡単ではありません。『盾』が出来てしまったら、補給は充分に受け付けられません。多分むくみとして現れる羽目になるはずです。細胞膜が再生されなければ吸収されないのですから。私が体験した程度ならば自力で何とか克服できると思います。でも脱水って重症だと死と直結している問題です。究極的に言えば、そんな事態に陥った場合、解決策は輸液しかないと思います。各人各様に限界が違っているのですから、自力で不安を感じたらすぐ医療機関を受診した方が良いと思います。脱水が起こると、細胞は機能を果たさないからです。機能を果たさない身体に、マクロビオティックも何もありません。輸液が無かった時代、多分そういう場合は死んだのだと思います。

悪条件をものともせず意欲的に暮らすことが出来ているなら、まあ大してひどくありませんから、ひたすら水分摂取と食養生に努めて耐えるのもいいかもしれません。腸には葛を、肺にはネギを!!ネギの白い部分がずんぐりして焼いたり煮たりするととろ~り甘くなるネギをどうぞ。その調理中の蒸気を吸い込むのもいいかもしれません。咳が排泄に必要だとわかっていても、咳は体力を消耗するものです。和らげる必要があるかもしれません。水蒸気の吸入だけでもずいぶんと楽になります。吸入器が無くてもほっとタオルを作って口に当て息をするのもいいですし、スープのようなお料理は吸入しながらのようなものです。

これが3度目の正直・あとのまつりの結論です。愚かしいものですね。3度も体験しないとわからないなんて・・・・・・でもこれの積み重なりが伝統の知恵として古来受け継がれてきたものかもしれません。




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コメント (2)
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珍(?)体験をしました。

2013-02-01 10:00:47 | マクロビオティック
先月26日は東京の同窓会に出席しました。高校の私達の学年だけの同窓会で名付けて『子丑会』、『チューモー会』と読みます。この同窓会に初めて吉祥寺に住むようになって出席しました。3年前のことです。

       同窓会ってこんなに楽しかった~~~!

故郷は遠く離れて思うもの・・・・・むべなるかな、むべなるかな・・・・・と言ったところで、私は生涯できるだけ『子丑会』には出席しようとひそかに誓っています。昨年は末息子の結婚式と重なり出席できませんでしたのでとても楽しみにしていましたし、懐かしい顔に会って本当に楽しい一日でした。

今回主人も同じ26日に東京でお世話になった病院の薬剤師さんの結婚式に招かれていました。それで一緒に上京し、その日は主人とは別行動、私は一足お先に孫達の所に行きました。翌日お昼ごろやってきた主人も含め夕方まで孫や子供達と楽しく過ごして、夜は新しい『東京ステーションホテル』に泊まりました。きれいなホテルでした。3階建てに見える4階建てとかで、普通のホテルからの窓の景色とはかなり違っています。自宅の窓から見ているのと大して変わらない人の往来が見えました。ゆったりとしたつくりで天井も高く、調度品も立派でした。

まあ、それはいい思い出が出来たんです。だけど暖房大好きの主人の事、それにホテルの布団は一様に少ない・・・・・快適な暖かい環境を作り出してくれました。風が直接当たるなら文句も言ったのですが、ホテルの空調は見事です。どこから吹き出していたのか・・・・・・それで日頃起きない事が起こりました。通常私は夜中にトイレに起きることも喉が渇くことも殆んど無いのですが、その日ばかりは夜中に何度も起きて水を飲みました。喉が渇いて渇いてたまりません。5~6回も起きたでしょうか。それで疲れたのか、久司先生を思い出して、朝シャワーを浴びました。

背中が痛いんです。孫達とボーリングに行って、2ゲームも投げたんです。その時は何ともなくて、マクロビオティック仕込みの頑強な体を誇っていたのですが、この時ばかりはさすがに、『年か・・・?』と自分の現状に疑念を挟みました。昨年の金毘羅参りでガタガタになった時も、たま先生の車の中で小1時間眠らせていただいたら回復したのに・・・・・主人には内緒にしたまま、帰途につきました。このホテルは鉄道利用には最適です。新幹線で名古屋につきました。軽いお昼をとって、尾張一宮へ。

尾張一宮から10~20分歩くのですが、それが何となくだるい・・・・・背中はダル痛くて何となく熱っぽい・・・・・咳も出始めました。主人と『喉をやられて風邪をひいたらしい』ということになりました。20年以上風邪なんか引いたこと無かったのに・・・・・いや30年以上かもしれない・・・・・・主人は明日は通常通り仕事ですし、私は早期回復を願って早く寝ることにしました。

でも事態はそれで終わりませんでした。夜中じゅう咳き込んで主人に迷惑をかけたのです。そして翌朝には完全に味覚もおかしくなっていました。何を口にしても苦いばかり・・・・・味は全然分かりません。やる気もおこらない・・・・・・昨日木曜日鼻水が増えました。カラカラになって咳をしても辛いばかりだったのが、痰が少し出てくるようになりました。やる気がないので何もすることのないまま、お昼に梅干し湯漬け(それだけがかろうじて食べられたんです)を食べながら、テレビをつけました。そしたらそこで『脱水症』の話をしていたんです。

     え!、私は脱水だったんじゃ~~~~???

それで主人が用意してくれた漢方薬も、無いよりはましだけど、もう一つ決定的ではなかった???確かにお薬嫌いの私でさへ、麦門冬湯は飲みたい感じ・・・・・最初の熱にも葛根湯は効いた・・・・・・マクロビオティック生活をしていると、暑さ寒さに対応力が増すので、日頃から寒ければ寒いなりに暮らしている・・・・・・それをあんなに快適な空間を過ごしたから・・・・・
文明は恐ろしい・・・・・!!!

今日金曜日になってやっとお洗濯をしようという気になりました。味覚も少しましになってきました。昨日は散歩がてらに歩いてみたのですが、どうも敏捷さに欠ける・・・・・月曜日に帰ってきたので、今日で5日目・・・・・やっと回復してきました。子供達は電話の私の聞いたこともないような声に心配しました。まだまだ変な声ですが、大丈夫です。私の中で一番すぐれていると自負している味覚が戻らなかったらどうしよう~~~~~教室もやめるしかないといくらか気になりましたが、それも杞憂に終わりそうです。人体の回復再生能力は素晴らしい!!!でも味覚ってあんなになるんですね。味蕾を舌に感じるのですが、それがゴロゴロしている・・・・・皆様脱水にはくれぐれもご用心ください。




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世情雑感・食・・・

2013-01-10 09:36:53 | マクロビオティック
今年になって急にスポーツ選手の『食』に関するコメントを多く聞くようになりました。まあ全体に『科学的』栄養学なのですが、従来言われてきた感じよりかなり『マクロビオティック』的になっているように思います。100%と言っていいように感じるのは『和食』に対する評価の見直しです。昨夜もNHKの『クローズアップ現代』で取り上げられていましたが、半世紀にわたって支持されてきたタンパク質信仰とも言えるような『偏見』に対する見直しを耳にしました。

私が中学生のころの家庭科では、タンパク質は一日30g以上摂取しても排泄される、と習いましたが、昨日は余分は脂肪として貯留されると言っていました。そして糖質の不足が持続力を弱めてしまうので、頂点に立つスポーツ選手はお米のご飯を必ず食べるようにしているのだとか・・・・・何となく隔世の感があります。あんなにご飯が排斥されていたのに・・・・・そういったニュースには決して『マクロビオティック』という単語は出てきませんが、そのニュースを発表している側は『マクロビオティック』というものを意識していると思います。

スポーツ選手は口をそろえて『食事の管理』と言っています。そしてそれが体力ばかりでなく、集中力などのメンタル力にも影響を及ぼすと言っています。彼のイチロー選手は『カレーしか食べない』ように報じられていますが、本当のところは分かりません。普通だったらかなり危険ですが、運動量・食材・調理法・分量に厳しいチェックが入っているのだろうと思います。中年になって青年の頃の体型とは違っていますが、それでも絞られた神経の張った体つきです。どのように経緯するのか、興味を持っています。多くのスポーツ選手は常人とは違った運動量でエネルギーを発散しています。すぐに発散されるエネルギー量の問題ではほとんど問題になりません。問題は貯留するものです。アクや残滓や排泄できなかったもの・・・・脂肪や脂肪に結合して貯留されているものです。老年になって出てきます。

その典型とも言えるケースが長嶋選手ではないかと思います。夫が大好きです。それで私も大好きになりました。小学2、3年生くらい(多分)の頃弟から『長嶋って知ってる?センカヤママットって知ってる?』って聞かれたことがあります。両方とも知らない私は『知らない』で済みましたが、父は大笑いしました。『センカヤママット』が『戦艦ヤマト』だと判明したからです。(結婚するまでスポーツにほとんど興味を持たなかった私ですが、今では夫のゴルフ評論家(?)です。)幼い少年の胸に戦艦大和と並ぶ長嶋選手でした。その長嶋選手は大病を体験し、太陽のような青年壮年時代とは全く別の老年時代を生きておられます。『長嶋茂雄』という他人の知らない困難を克服して過ごしてきた長嶋選手は別のお手本になって頑張っておられますが、お幸せを祈らずにはおれません。

老年の幸せ・・・・・これが人生のご褒美なのではないでしょうか。これは自分の感情ですから、他人から見える幸不幸とは関係ありませんが、そこには二つの要素があると思います。一つは、来し方に対する肯定と満足。自分がやってきたこと・信じてきたこと・そして食べてきたことに対する肯定。もう一つはその結果起こってくる寂寥感に否定が無いこと。寂寥感を超えられなくとも穏やかであるうちはまだ良い・・・・・寂しさに襲われて老年を楽しく過ごすことが出来ないのでは幸せとは言えません。その肯定と満足の基礎が心身の健康ではないかと思います。そしてその健康は肯定と満足の対象である自分の人生の有り様によって作られるのだと思います。

老年の寂寥感。これは肉親を看取る時も強く思いました。いかにして寂しさを和らげてやれるか・・・・・これは本当に難しい問題です。たとえ看取る側がどんなに真剣であっても、寂寥感に襲われている本人ではないからです。ある意味これは生きるか死ぬかの苦難の中にいる人より恵まれている人の方が陥りやすい・・・・・『ナイチンゲール』というお話をご存知ですか。『ボヘミアの天使』ではない小鳥の『ナイチンゲール』です。これは中国のお話です。多分唐の皇帝のお話だった???と思います。


何の不自由もなく家来にかしずかれた皇帝は毎日憂鬱でさびしくてたまらず、その訳も分からず病気になってしまいました。そんな皇帝の窓辺にある日『ナイチンゲール』がやって来て歌を歌いました。すると皇帝は嬉しくなって気分が良くなりました。次の日も次の日も『ナイチンゲール』はやって来て歌を歌いました。皇帝は『ナイチンゲール』を心待ちにするようになり、病気もぐんぐんとよくなりました。すっかり元気になった皇帝は『ナイチンゲール』という心の友を得て『寂しい病』から解放されたのです。そうして過ごす皇帝に、おべっかを使う誰かが『ぜんまい仕掛けのナイチンゲール』を献上しました。

その『ぜんまい仕掛け』は待つこともなく好きな時に何度でも素晴らしい声で歌います。皇帝はすっかり夢中になりました。そして窓辺の友を忘れてしまったのです。するとある日大事件が起こります。その『ぜんまい仕掛け』は歌の途中で、ガチャ!っと大きな音をたてました。それからうんともすんとも言わなくなりました。皇帝は大急ぎで修理を命じましたが、その『ぜんまい仕掛けのナイチンゲール』は壊れてしまって、もう歌うことが出来ません。そして皇帝は自分が友を忘れたことを思い出し後悔するのです。反省の日々を過ごす皇帝の窓にある日昔の友が帰ってきました。皇帝は心から友に詫び友情を取り戻しました。


これは小学3、4年の頃両親が子供達のために取ってくれた講談社の『少年少女世界文学全集』に載っていたお話です。子供心に貴賎貧富の区別なくとりつかれる『さびしい』という感情に興味をひかれて良く覚えています。寂しさは『限界』に対して抱く人間の感情だと思います。そしてそれを通り過ぎることが、ある意味で、人生の目標でもあると思います。詫び寂びはそれを超越した境涯ともいわれますが、そこから『ぜんまい仕掛け』という思い込みをどれくらい排除できるかどうかが、その人生の成績表なのかと思います。そしてまたその力量は他人の寂しさをどれだけ和らげることが出来るかという『ナイチンゲール』度にかかっていると思います。『ボヘミアの天使』ナイチンゲールとつながると感心しています。看護の心は寂しさを癒そうとする心だろうと思います。




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銃社会アメリカ

2012-12-18 11:34:30 | マクロビオティック
アメリカで数日前に起こった銃乱射事件・・・・・子供達が犠牲になりました。オバマ大統領が今度こそは真剣に銃規制に向けて動き出そうとしていると報道されています。

私達日本人はずっとそういった殺傷兵器と無縁に暮らして来ています。考えてみれば太閤秀吉が行った『刀狩り』、日本人は世界に先駆けて16世紀にすでに当時の『銃規制』を時の権力によって実行しました。そして明治政府の『廃刀令』、日本人は『武器を持つ身分』をも社会からなくすことに成功しています。

最近資料を整理していた主人が、以前私達が平戸で開催した久司先生の講演のビデオテープを見つけ出しました。それで昨日夜中まで二人で懐かしく思い出しながら、若い久司先生にお目にかかりお話に耳を傾けました。そして再び久司先生の『どうしたら人間をよくすることが出来るのか』という真剣な誠実な問題提起にふれ、アメリカの事件を考えています。

要するに

  『肉』を食べている間は、戦争を含めて暴力行為を無くす道はない!!           ということなんです。

ということはまた、熱帯から温帯までは何とか人間の暮らせる範囲だけれども、温帯北部から寒帯地方では人間は暮らせない・・・・・?????個人的には気候帯の条件に沿ったせいぜい血縁地縁社会の平和は保てたとしても、これまたせいぜいヒューマニズムまでの精神構造しか期待できない・・・・・?????その証拠に宗教が戦争の原因となって来ました。異教徒に寛容な肉食文明の宗教はありません。

つまり宇宙の秩序とその起源にまで到達できる精神構造の土台はベジタリアンにしか恵まれない!!!そしてあまりにも陽性の灼熱の大地は人間の精神の精華までも蒸発させてしまうので、人間の身体と霊体とを同時に自分と認識することが出来ない!!!!!ならば穏やかな人間性の高い人類へと成長できる地域は温帯域に限られるのでは・・・・・・そうなれば現代の過剰人口をどうすることも出来ないのでは・・・・・?????

マクロビオティックで病気からの解放を目的にしておられる方が多いと感じますが、病気は身体の病気ばかりではありません。それこそ『physicai,menntal and spiritsual』で、メンタルの病気が個人から家族の関係の異常、家族から地域社会、国際社会までの紛争がスピリチュアルな病気と言っても良いと思います。

人類社会の平和運動として大きく社会を変える力をマクロビオティックに見出され活動してこられた久司先生!!今も見果てぬ夢として講演を続けておられますが、それは『夢』なのでしょうか。弟子達が師の志を継ぐのは当然ですが、それも見果てぬ夢なのでしょうか。太閤秀吉が刀狩りをした日本社会はその昔勅令をもって四足の食用を禁じた社会でした。今はやりの循環型社会には肉食人の『肥え』は畑に使うことが出来なかったからです。勿論枠外の人々もいましたが、それが一般的な国民のphysicai,menntal and spiritsualに支えられた社会でした。

私達日本人は再び肉食を捨てることが出来るでしょうか。随想古事記シリーズで世界の奇跡・人類の融和に触れてきましたが、日本社会で出来ないとしたら、それは世界中で永遠にできないと思います。でも今日の国際社会、周りは肉食獣(?ではなく人)に囲まれています。ですがヨーロッパの昔話にも『ライオンのとげを抜いてやった青年』の話がありましたよね。誰がその人なのでしょうか。確実に言えることは、その人は『パルス』を食べていた青年だろうということだけです。そして日本人に投げかけられているのは『言行一致』、つまり本当に『言っていること(平和の希望)』のために『具体的にしていること(何を食べて自分を作るか)』に矛盾がないかということだろうと思います。




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勘九郎坊や

2012-12-07 09:22:33 | マクロビオティック
あまり芸能ニュースは好きでありませんが、歌舞伎役者中村勘三郎さんの訃報は残念に思いました。この役者さんは私達が初めて伝統芸能としての歌舞伎を知る頃、多分中学生から高校生のころ『勘九郎坊や』として鮮烈な役者デビューをしています。それでかなり親近感を持っていました。

テレビで繰り返される『芸一筋とどんちゃん騒ぎが好き』という報道にかなりの違和感を感じます。どうして『どんちゃん騒ぎ』が『芸一筋』と矛盾しないのか・・・・・マクロビオティックの徒としては、とてもとても残念に思います。身体あっての芸なのでは・・・・・???身体が無ければ舞踊という、或いは歌舞伎という演劇は成り立たないのでは??????

数年前に久司先生がお示しになったことを思い出します。紀元前の事件を扱った聖書のお話です。ダビデとその友人ら10人は敵対するソロモン王に捉えられます。ソロモンはダビデを殺すことを惜しんで、自分の最強の戦士10名と闘って勝利をしたら開放してやろうと言います。それに当って武器でも何でも望み通りの条件を許すというのです。それに対するダビデの要望は何だったと思いですか?ダビデの希望は、

   これから試合までの10日間自分達がずっと食べてきた伝統的な食事、パルス(パピルスだったか?)のみを食べさせてほしい

というものでした。ソロモン王は言いました。『そんな粗末な食事ではなく、自分の食事を分けてやろう』。ダビデらはそれを有り難く受けたのではなく、有り難く固辞して『パルス』だけの食事を許してもらいました。多分『パルス』だったと思います。その時常識的に『パピルス(紙)?』と思ったことを思い出しますが、間違っているかもしれません。ですがその『パルス』というものが何だったかというと、食用の種実、つまり雑穀だったのです。

そしてダビデらは心身ともに回復して、ソロモンの戦士に打ち勝ち解放されます。苦難を乗り切るためにはダビデ(つまり人間)の伝統食でなければならなかったのです。これが必要にして十分な条件でした。現代社会を見渡せば、ソロモンの栄華が咲き誇っています。でもそれは社会の表側だけで、裏側は不健康が蔓延しています。不健康産業でみんなが生活をし仕事を得ています。社会の苦しみはそれでも今の段階ではやり過ごすことが出来るかもしれません。でももっともっとスパンの短い私達一人一人の人生では、それは待ったなしの問題です。裕福な勘三郎に象徴されるソロモンの栄華は、人生を短め人生という判断を狂わせ、達成すべきソロモン王国の安泰を約束してはくれません。追求すべき芸道人生を全うさせてはくれません。

私達はもっと厳しく考える時期に差し掛かっているのではないかと思います。個人より大きなスパンの社会も今に崩壊するでしょう。不健康社会だって、健康な人に支えられなければなりません。でも健康な人がいなくなるかもしれません。勘三郎の歌舞伎の新しい可能性を惜しんで記事を書きました。




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Physical・Mental・Spiritual

2012-10-28 11:44:51 | マクロビオティック
以前同じ題材で記事を書いたことがありました。上手い訳語が見つけられなくて、とうとう『心身』と訳してしまったことなどを記事にしました。それが今日、勿論これが久司先生の御本の品位に合うかどうかは別にして、素晴らしくぴったりの日本語訳に気付きました!!!それは、『からだ・こころ・あたま』です。

『スピリチュアル』と言うと何か高級感が漂いますが、本当は低級から高級まで色々あります。『あたま』と言うと低級高級は別にして、その作用というか働き方というか、その悪弊を含んでやや自嘲的ですが、現実に即しているような気がします。『あたま』は落とし穴に入りやすいものです。観念の虜になって独り歩きしやすいものです。そうならないようにと、日本語はそれを使う日本人にくぎを刺しているように思えます。

このところ『随想古事記』の記事ばかり書いていますが、私にとってこれはマクロビオティックそのものです。マクロビオティックで生きている私の現在が『からだ・こころ・あたま』の健康、過去は私達の歴史、そして未来が残された人生と死後の私です。それで今は『過去』について書き残しており、それが済んだらいよいよ最後の仕事『未来』です。

死期が迫った母と語り合ったように、自分を通して『死』というものを明らかにしたいと思います。私達は自分の死を明確にしないと、うまく『あの世』に行けません。現在多くの人が『死』について思いを十分にしないため、みんなある意味で『不慮の死』を迎えています。人生の最期の意味を分からないまま死んでいます。これでは幸福な人生を過ごしたとは言えないと思います。

死後の世界は、『からだ・こころ・あたま』が同じ形で生きる世界です。その世界で自由になるために、この世はあります。マクロビオティックで生きて現在健康になると、過去と未来を知りたくなるものではありませんか。




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しょうゆ麹納豆

2012-09-24 13:12:22 | マクロビオティック
この前しょうゆ麹についてあまり利用価値が見つからない趣旨の記事を書きましたが、ちょっと書きとめておきたいものに出くわしました。それは納豆をお醤油と刻みネギで食べるのではなく、しょうゆ麹と刻みネギで食べるというものです。これがちょっと思わせぶりな味です。粒でもひき割りでもうまくいきます。お試しいただく価値はあります。

そもそも糸引き納豆って我ら九州人にはあまり伝統的な味ではありません。久司先生も『人類は納豆を好きな人種と好きでない人種とに分かれる(?)』とふざけておっしゃっています。私が就学前父の勤務地が浜松(浜納豆が有名でした)だった頃、子供達を納豆にならすために父はお砂糖を混ぜて甘い納豆を作りました。大きくなるとお醤油にネギと辛子の一般的な味になりましたが、昔の九州人にとって納豆とはそんなものだったのではないかと思います。

長崎に住んでいた頃、私は3人の子供を抱えて『てんてこ舞い』でした。あまり日常を思い出せないほど過密スケジュールをこなしていました。そんな時代助けてくれた“トヨミさん”という若い時間制のお手伝いさんがいました。ご近所の方から『どなたですか?』と聞かれるたびに面倒だったので『妹です』と答えていた、本当に妹のようだった“トヨミさん”・・・・・その彼女が言いました。「私の知っている納豆は食べるけど、その納豆はだめです。」彼女は島原半島の有家(ありえ)の出身でした。彼女に教えてもらった記憶によると、島原半島の納豆は多分『もろみ納豆』のようなものだったのだと思います。野菜も刻んで入っていると聞きました。

多分しょうゆ麹納豆は、そのもろみ納豆に近い味だと思います。臭みもなくなりますし・・・・・これは人類を統一するかもしれません???。トヨミさんも食べられるかもしれないと、懐かしく思い出して記事を書きました。




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祖父の被爆体験から思うこと

2012-06-10 08:24:33 | マクロビオティック
私の祖父は深江素太郎と言います。先日実家の母の七回忌を済ませましたが、同時に祖父の四十七回忌のお祀りをしました。祖父は明治18年生まれ、昭和39年に亡くなりました。大村師範学校を出て教職に就き、祖父の母校でもあり私の母校でもある猶興館にも赴任したそうです。体育が専門で『自分は大して頭が良い方ではない・・・・』と述懐していましたが、祖父は平教員を8年余り経験した後若くして校長になり、以後退職するまで数十年校長として各地に赴任しました。

私の知っている祖父は曲がった事が大嫌いな厳格で優しい人でしたが、周囲は教え子ばかり・・・・・恐れ(?)敬われていました。国策の松浦線の開通のためには畑の真ん中を提供しました。その線路を近道とばかり歩いている人を見かけでもすると、誰彼なく叱り飛ばしていたそうです。今でも時々昔の祖父を知っている方から聞く思い出は、『安満岳の絶壁での逆立ち』のお話です。周囲の風景は違いますが、まあ東尋坊の絶壁(?)とでも言ったようなところです。『手さえつけるなら何処でも逆立ちは出来る』と言っていましたが、器械体操の名手でした。

当然体は非常に頑健でした。これは断言できます。祖父は養子で祖父の父は成田紋左衛門と言って松浦藩の剣道指南役をしていました。身体を鍛えるのが仕事のような家で育ったのですから、確信しています。その曾祖父は93歳で没しています。晩年の祖父の目標は、曽祖父の歳を超えることでした。私が高校生になった頃で詳しく覚えていませんが、90歳を超えることを目標にした長寿の会のようなものがあって、会員証(?)のバッジを見せてもらったことがあります。その頃の祖父は体力に不安があったに違いありません。孫の私にはわかりませんでしたが、日々衰えていくのを実感していたと思います。

何も知らなかった孫の私には、突然のように祖父はなくなりました。夏休みになって離れて暮らしている父母のもとに帰ったばかりのある日、祖父が78歳で亡くなりました。後で思えばお医者様の往診も、ウナギを持ってきたり体力の付くものをお土産にくださったり、とり立てて治療もないおかしな往診でした。祖父も私が出かけるときまでは寝たり起きたり・・・・・、孫娘の目には『そんなもの』でした。身体に出没する紫斑を見せて、『おかしなものばな、一週間もすると消えてしまう・・・・』と言ってました。唯一人すべてを知っていた祖母に後で教えてもらいましたが、祖父は紫斑病、つまり白血病だったのです。

祖父は長崎に原爆が投下されて3日目に、教職仲間の友人達を探しに長崎に行きました。そして惨状を目の当たりにしました。出来得る限りの事をしたと思います。放射線被爆の事は当時だれも知らなかったのですから。多くの日本人が今では防護服を着るところを、無防備で作業をしたはずです。祖父もその一人です。人力の意味すらない程の被爆をした多くの方々が無残にもすぐに亡くなりました。やっと生き延びることが出来たこれまた多くの方々は、ずっと床に就いたまま殆んどが亡くなりました。やがて被爆症を発症した方々が、長崎や広島の被爆者となりました。そして祖父らのように、それほどひどい被爆ではなく体力もあった人々は、年齢とその体力に応じて影響を受けたのだと思います。

現在私達が遭遇している福島原子力発電所崩壊による放射線被爆の問題は、祖父の被爆と似ていると思います。どれくらいの放射線量なら安心か?????毎日そう言った類の線引きが問題となっていますが、本当は被爆する側の問題だと思います。人によって体力が違うのですから。そしてマクロビオティックの徒なら、答えは分かっていますよね。体力というものが転がっているわけではありません。免疫力という食べ物があるわけではありません。それは私達が日々繰り返している食べ方にあり、自分の食べ方によって体の機能をどんなふうに働かせどんな体力を得、それを維持するのか・・・・・

それでもいつかは私達は自分の肉体を捨てる時が来ます。そのとき被爆症だとうろたえないよう、放射線量の増えた(?)今日を生きている意味を考えておきたいと思います。




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娘のプレゼント

2012-05-17 08:31:12 | マクロビオティック
娘の新刊が出ました。『マクロビオティックの子どもごはん』!!優しい雰囲気のきれいな本を娘から貰いました。「こうやって典子は孫達を育ててきたのか・・・・・」と感慨深く眺めました。

マクロビオティックは、毎日食べる食事を前提としています。時々食べる、或いは滅多に食べないご馳走やお客様料理は、敢えて言えば、本当はどうでもいい(?)のです。お料理教室できれいなメニューを習うことがあっても、その目的は食材の選び方と扱い方、調理法の考え方などを習うためです。きれいなメニューのレシピを覚えることではありません。

娘の新しい本が、少しでもお役に立てたらいいなと思います。そしてもっと和風にしたい方はご自分なりのアレンジをしてください。もっと洋風にしたい方は、或いはもっとアジア風にしたい方は、どうぞそうなさって頂きたいと思います。この本のレパートリーは読んで下さる方の数ほど増えていくと思います。




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塩麹便利帳

2012-03-19 10:20:39 | マクロビオティック
窓の外は春の日射しです。まだまだ富士の雄姿を毎朝眺める幸せは続いていますが、間もなく春霞の向こうに霞んで行くと思います。ちょっと名残惜しさに駆られています。

お手製の塩麹は活躍していますか。今日は“すこぶる”付きの利用法を見つけましたので、ご披露します。これは本当にお試しいただく価値があります。もったいぶらずにさっさとお知らせします。

     それは
            塩麹糠漬け     です。

我が家では時々三分搗き米を炊きますが、その時ほんの僅かばかりの糠が出ます。糠床に足すのには重宝ですが、新しく糠床を作るにはあまりにも少なくためている間に古くなってしまいます。それに都会のお台所では糠床の場所を確保するのが難しい・・・・お台所は糠床の臭いでうまってしまうし、その予防に冷蔵庫に入れたのでは冷えすぎるし、冷蔵庫を狭くする・・・・・一挙解決です!!

ボールできうり・人参・蕪を塩ずりならぬ塩麹ずりします。そこに出来たての糠をいれてまぶし付けます。そのまま冷凍用の保存袋に全部を移し入れて半日から一両日(野菜による)おきます。人参などの水分が少ないものばかりの時は、少しお水で湿らせてください。室温が高くなければ冷蔵庫に入れなくて大丈夫です。本当においしいのです。次から同じようにして作り足していけます。

            お試しあれ!!




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