四季・めぐりめぐりて

齢を重ねるに従い「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」の言葉が重みを増しています

カタクリと枝垂れ桜

2017年03月26日 | 花・鳥・風景









 本当は某市の春まつりのオープニング行くつもりでいたが、足の調子が芳しくないことから諦めて、町内の某寺までカタクリを見に行ってきた。
 「カタクリまつり」は翌日であったが、多くの方が訪れていた。毎年のことであるが・・・
 











 その某寺に咲く枝垂れ桜。この写真を撮っていた時、やはりカタクリや枝垂れ桜を撮りに来ていた方の会話が耳に入った。
 ここよりも凄い枝垂れ桜があるという話であった。話の内容から大体見当がついた。この寺と同じ宗派のあの寺のことかも知れないと・・・








 やはりこの寺であった。この枝垂れ桜を観るのは初めて出会った。遠い昔、所用があって一度だけこの寺を訪ねたことがあったが、
 どんな寺であったかは全く憶えていなかった。無論、枝垂れ桜のことも・・・






 ようやくメジロにも会えました。寺の駐車場傍の梅の木に沢山のメジロがやってきていました。


 散策日:2017年(平成29年)3月25日(土)
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木蓮と水仙

2017年03月25日 | 花・鳥・風景

















 遠方には出かけられる状況にはありませんので、近くもちかく、歩いて数分の所の土手際に咲く木蓮と水仙を撮ってきました。
 レンズを向けられる方向が限られてしまう場所なのでちょっと残念ですが・・・我が家の水仙も紛れ込ませてみました。


 散策日:2017年(平成29年)3月24日(金)  
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坂戸にっさい安行寒桜2017

2017年03月24日 | 花・鳥・風景



 昨朝、お天気キャスターがあちらこちらから名勝地等から中継する某テレビ局の気象予報を見ていたところ、「今朝は、埼玉県坂戸市の・・・」と
 言うことで、北浅羽桜堤公園の「坂戸にっさい桜まつり」会場からでした。そんなことから午後のいっとき、北浅羽桜堤公園まで行ってきました。
 桜まつりとしては今年が3回目ですが、催しものはオープニングの日にあっただけで、何もない平日ではありましたが、寒桜も見ごろを迎えていた
 ことに加え、テレビで中継された影響もあってか沢山の方が花を愛でに来ていました。














 散策日:2017年(平成29年)3月23日(木)
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蕗の薹と蒲公英

2017年03月08日 | 花・鳥・風景








いつもの散歩道。春を探していたら蕗の薹が。また、別の所では蒲公英がかをを出していました。

早々距離は歩けません。まだ足の痛みは続いていますので・・・


散策日:2017年(平成29年)3月8日(水)
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紅白の梅と緑

2017年03月05日 | 花・鳥・風景


2月の中旬に見にいったときは、ほんの僅かしかほころんでいなかった紅梅も、本日、見に行ったら盛りを迎えていました。

紅梅と白梅のこの景色 紅白の雛あられを連想します。3月3日の節句からは2日ほど過ぎてしまいましたが、
月遅れの4月3日にひな祭りを行う地域も多いですから、まだひな祭りの気分が味わえます。




更に、草の緑を加える三色となり、「三色ひし餅」も連想させてくれます。




そんなことで毎年この時季になるとここを訪ねています。






散策日:2017年(平成29年)3月5日(日)
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菜の花と城山

2017年03月03日 | 花・鳥・風景


痛い足を引き摺りながら少しだけ散歩してきました。休耕中の小さな畑の隅に菜の花が咲いていました。何とか城山をバックに撮れないかと撮ってみましたが・・・










菜の花の咲く場所から少し離れた所では紅梅と城山を・・・




城跡には登れない状態ですから遠くからその姿をと撮ったまでですが。

散策日:2017年(平成29年)3月3日(金)

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春をさがして

2017年03月02日 | 花・鳥・風景


未だ菜の花は無理かなと思いつつも、もしかしたらと探して歩いたところ、川の堤の斜面にほんの少しだけ咲いているのを見つけました。




川辺に降りて撮れればよかったのですが、今は理由あってそんな状況になれませんから川べりの道路から。




目の前を飛んで行った鳥が某お宅の庭の松の枝に止まりました。ピントが松の枝に合ってしまい、肝心の鳥にはピントが合いません。




どうにか合ったようです。ツグミですね。




一応、紅梅と言うことにしておきましょう。紅梅か白梅かは、枝の切り口を見ないことには分らないようですが、よそ様の梅の木ですからそれはできません。




毎年観ている梅の林ですが、やっと紅梅も咲きだしましたので・・・




そして、こちらが白梅。




あくまで見た目で言っているだけですが・・・




そろそろメジロにお目に懸かりたいのですが、取り敢えずはスズメで我慢しておきましょう。




ホトケノザ(仏の座)
春の七草にホトケノザがありますが、この花ではないそうです。
春の七草に言うホトケノザは、「タビラコ(田平子)」の方で、二つは全く別物。




「ホトケノザ」 葉が仏の蓮華座に似ていることからついた名前とのことですが確かに言われてみれば・・・




スイセン(水仙)




スイセンが好きな作家がいましたが・・・




フクジュソウ(福寿草)

普段の倍の時間がかかった散歩でした。松山城を歩いた数日前から膝を痛めていましたが、城館跡めぐりや山城に行ったりと無理をし続けていたことから、歩くと痛みが走ります。
過日の和太鼓演奏を見に行った時も、痛みをこらえて中腰になったり膝を落としたりと無理をしてしまいました。当分は城館めぐりや山城歩きは控えなければなりませんが、
せめて散歩くらいはと思ったもののこの有様です。齢を考えて行動しろとは言われているのですが・・・このままでは散歩すら厳しい状況になりそうです。

散策日:2017年(平成29年)2月28日(火)
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高取山城跡

2017年03月01日 | 城館・城跡


入間郡越生町越生にある高取山城跡を攻城してきました。別名では、高取城 越生要害城 要害山城などもと呼ばれているようです。
城跡の主郭下に建てられている標柱では「高取城跡」としてありますが、この投稿では高取山城跡を使わせていただきます。

【高取山城跡】
越生神社の奥宮がある高取山には、中世の山城跡があります。関東平野を望む標高170mの頂上は平らに削られ、土塁や空堀で画された数段の郭の跡が
残っています。築城者や城主は不明ですが、現在の織物会館(※)付近と推定される越生氏館跡との関係を考えると、有事に備えて館の背後に築かれた
「物見の砦」や「詰めの城」であった可能性があります。『新編武蔵風土記稿』の「今市村」の記事には、「越生四郎左衛門屋敷跡」と紹介されています。
越生四郎左衛門は、『太平記』に登場する、南朝の総大将北畠顕家を討ち取った武将ですが、越生氏一族の誰であるかはわかりません。
(埼玉県立嵐山史跡の博物館発行 『改訂 歩いて廻る「比企の中世・再発見」』 から引用)  ※ 織物会館・・・現在は越生絹会館




上記『改訂 歩いて廻る「比企の中世・再発見」』 【高取山城跡】の項にある図を借用




越生神社のすぐ裏手に登山口があります




高取山 約0.3km  約300mってことですよね  平場ならともかく山道の300mは数kmにさえ感じます




登山口を入ってすぐ二股に分かれます  高取山城跡へは右の階段のある道を登って行きます
左の道は、大高取山ハイキングコースとなっている山道




最初はこんな道が続きます  でも写真で見るより急な道です




この辺りから九十九折の山道となります




九十九折の状態が分りますか?




標柱が見えてきました




色々な方のブログ等を見てみますと、以前は木製(丸太)のものでしたが、最近建て替えられたようです。表示名は「高取城跡」
越生町町制施行百周年記念越生町再発見100ポイントとあり、この高取城跡は6とあります。
標柱の前は狭くて崖っぷちですので、写真を撮るのも大変な思いです。




標柱脇の石段を見上げれば鳥居が




石段を上り切ったところから下を




主郭です  正面の社が越生神社奥の院
関東平野を望む標高170mの頂上と言うことですが、残念ながら木々に遮られ遠景近景何れも視界ゼロ




主郭を北方から




主郭を南方から




主郭南西隅にある土塁
大半の方が「土塁」と書いていますが、祠を祀るために神木の根元に土盛りをしたのではと、またしても素人解釈してみました




主郭から二の郭を見下ろしてみました




二の郭を横(西側)から  左側の高い部分が主郭




やはり二の郭だったと思いますが、歩き回っていましたので確証はありません




帯 郭  ここも帯郭とは言い切れませんが・・・




堀切? 空堀? 悩むところです




上の写真の延長上にありますが、やはり、堀切か空堀か分からず悩んでいます(素人なもので)




三の郭?




西の郭?




西の郭先の虎口? ハイキングコースに合流します




下山途中にどうにか視界の開けているところを探して  だいぶ下りたところですので展望は開けてはいませんが




実は、この前日(2月19日)にも、この高取山城跡の攻城を試みたのです。現在、足を痛め整形外科のお世話になってることから
山登り(攻城)予定はなかったのですが、思い付きで急遽、高取山城跡に登ってみたくなり下調べもないまま無謀な挑戦。
このふたつに分かれた登り口のうち、階段のある右のほうは急に見えましたし標識もない、左の道は緩やかそうなうえに
ハイキングコースの立札があったことから、高取山城約0.3km跡へは左の道を行くのだろうと歩き始めたわけです。
と言うことで、ここからの写真は2月19日に撮影したものです。




と言うことで、ひたすらこんな道を歩きました。




しばらく歩いて行くとこんな標識が。大高取山 約2.0km  え! 登山口には、約0.3kmとあったのにまだ2kmもあるの。
山道をそんなに歩けませんので高取山城の攻城を断念して引き返しました。でも、これは大きな勘違いをしていたのです。
高取山までは約0.3km  ここでの約2.0kmというのは大高取山までだったのです。
まあ、楽をしようと考えず階段のある右の道を上っていたら知らず知らずのうちに高取山城跡に到達していたかもしれませんが。

いつもこうした失敗をしているのですから、しっかりと下調べして行けばと分っていながらもそれをせずに同じことの繰り返し。
学習能力のないことに自分自身あきれます。足が完治してから再挑戦すればよいだろうと考えるのが普通の人間。しかし、馬鹿な自身は、
失敗したから逆に何とか攻城したいという思いに駆られ、足を引き摺りながらの再攻城となったわけです。お陰で足の痛みが増しました。

攻城日:2017年(平成29年)2月20日(月)
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斎藤氏館跡(斎藤美濃守館跡)

2017年02月28日 | 城館・城跡


入間郡毛呂山町平山(旧・岩井)に所在する「斎藤氏館跡」を訪ねてきました。

斎藤氏の出自は三河で、斎藤別当実盛を祖とする斎藤美濃守豊長が天文4年~5年(1535~1536)頃、毛呂山に移り、堀の内に館を構えたとのことです。
斎藤氏は、扇谷上杉氏、松山城主上田氏に仕え、天正18年(1590)松山城落城とともに帰農しました。斎藤富治は、堀の内を去り、その東に屋敷を構え「平山大尽」とよばれる豪農になりました。
屋敷跡は、今も屋敷を囲むように土塁が残っており、斎藤氏館跡の名称で県選定重要遺跡の指定を受けておりますが、現在も子孫の方がお住まいになっています。

この斎藤宅は、敷地の一部をバラ園としており、知る人も多いようです。訪問時、丁度、バラ園をやっている当主の奥様がバラ園の手入れをしているところでしたので、
土塁を見学させてほしい旨をお願いしたところ快諾いただきましたので見学させていただきました。




立派な長屋門です 




土塁は敷地東側を除くコの字型で遺っており、この部分は南側の東方部分です  この写真左側(敷地東側)がバラ園になっています




南側の土塁南方部分です   若干外側から




南側の土塁南方部分  内側から




西側の土塁を南方から




西側の土塁を北方から  写真の右側は空堀跡かと
この土塁の北西隅が一番高く残っています




北側の土塁を西方から




北側の土塁を東方から

もう少し色々な角度から見れば更に遺構の素晴らしさが分ったのでしょうが、敷地内をズカズカと歩くわけには行きませので外周からほんの少しだけに留めさせていただきました。
次回は、斎藤氏館としてではなく、バラ園『Garden Cafe Green Rose』として、バラを観に行きたいですね。

散策日:2017年(平成29年2月19日(日)
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帝松酒蔵まつり2017・武蔵越生高等学校和 太鼓部 「青龍」

2017年02月27日 | まつり・イベント


2月26日(日)、関東灘こと小川町にあります『帝松』(松岡醸造)において、「帝松 第14回 酒蔵まつり」が開催されましたので行ってきました。
左利きの方にとってはとても楽しみ恒例のお祭り。左利きでない自身にとっても楽しみなお祭りです。
お酒は飲みませんが、武蔵越生高等学校 和太鼓部「青龍」さんの和太鼓演奏を楽しんできた次第です。




昨年は残念ながら酒蔵見学はできませんでしたが、帝松さんで、予定外の酒蔵見学を組んで下さいましたので、「青龍」さんの演奏第1部(午前)、第2部(午後)の合間に見学することが出来ました。
以下は、「青龍」三尾演奏の模様の一部ですが、午前・午後の部を一緒にアップしてあります。


























































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