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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

行司免遺跡(埼玉県嵐山町)

2020年05月29日 | 官衙・国分寺・廃寺跡


名 称:行司免遺跡(ぎょうじめんいせき)
形 態;複合集落跡
時 代:縄文・古墳時代
指 定:嵐山町指定史跡(名称:行司免遺跡の井戸 平成2年〔1990〕4月1日指定)
現 状:農地
所在地:埼玉県湛山町大字大蔵字行司免

埼玉県嵐山町大蔵地内の『行司免遺跡』を訪ねてみました
発掘調査後埋め戻されていますので、井戸以外の遺構を見ることはできません

行司免遺跡を南側から  
右側の 茶色の建物は『国立女性教育会館』 その左側に『菅谷館跡』があります
並木の所が「都幾川」 付近を『鎌倉街道上道』が走っています




行司免遺跡を北側から  
耕地が整備されてビニールハウスがいくつも建ち並び始めていましたので、そのうち耕地自体も
見れなくなってしまいそうです




『嵐山町指定史跡 行司免遺跡の井戸』説明板

  嵐山町指定史跡 行司免遺跡の井戸
                             指定 平成2年4月1日
                             所在 大字大蔵字行司免
                             時代 鎌倉時代末期

  ここ嵐山町南部耕地のほ場整備に伴って、昭和58年~60年に発掘調査された行司免遺跡は、 
この井戸の周囲約5万平方メートルに広がっていました。
 遺跡は、縄文時代、古墳時代、中世の複合集落でしたが、この井戸は中世の建物跡群ととも 
に検出されました。井筒部の規模は、上部で2.0、底部が1.08、深さは2.9メートルを測ります。
井戸は、一旦素掘の堀り方を湧水面である岩盤面まで掘り、底に方形の木枠を組み、その上か
ら玉石を小口積みにした円形の井戸側を構築するものです。旧地表面は、すでに失われており、
井戸の上部構造は不明ですが、出土遺物の年代から13世紀末~14世紀前半期頃使用されていた
と考えられます。

        平成2年11月
                               嵐 山 町 教 育 委 員 会  




井戸は転落防止等の観点から四角錐の鉄骨で覆われています




繁茂した草のために石組みまでは見ることが出来ませんでした

散策日:令和元年(2019)11月25日(月)

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