四季・めぐりめぐりて

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中宿古代倉庫群跡(中宿遺跡)

2022年06月12日 | 官衙・国分寺・廃寺跡


深谷市岡(旧・大里郡岡部町岡)にある「中宿古代倉庫群跡」(中宿遺跡)を訪ねて来ました。
これまでにも何度か行っておりましたが。今回は復元倉庫特別公開ということでしたので見学して
きました。
まあ、普段でもフェンス越しに見ることが出来ますが、フェンス内に入れて、倉庫内にも入れると
いう初めての体験でした。




中宿古代倉庫群跡の説明板
以前建っていたものは合併により深谷市になる前の岡部町時代のものでした。これには平成30年
(2018)2月に国指定史跡となった幡羅官衙遺跡跡についての記述はありませんでしたが、内容的
は以前のものと大差はありませんが下に説明文を転記しておきます。
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埼玉県指定史跡
中宿古代倉庫群跡
                               所在地     深谷市岡3286-2ほか
                                  指定年月日   平成3年12月6日

 中宿古代倉庫群(中宿遺跡)は、北に妻沼低地を望む櫛挽台地の先端部に立地し、平成3年に発見されました。
主な遺構は掘立柱建物跡、礎石建物跡、溜池状土壌、竪穴建物跡、区画溝などがあり、遺物は須江器、土師器など
が出土しています。
 遺構の性格を最も特徴づける遺構は、高床倉庫と想定される総柱式(柱を碁盤目状に配置する方式)建物跡です。
多数の高床倉庫が整然と列をなしており、7世紀末~10世紀の長い期間、建て替えながら使用されていたと考え
られます。8世紀後半には建物の基礎構造が掘立柱から礎石へと変化しています。
 大規模な規格性の倉庫群であることから、中宿古代倉庫群は古代「榛沢郡」の役所(郡家または郡衙)の正倉院
であり、税として納められた稲穀が収納されていたと推定されます。周囲には郡庁(郡を治める役人である郡司が
政治を執る場所)・館(郡司の宿舎)・厨屋(食料の管理及び調理施設)などの諸施設が広がっていると考えられ
ます。
 遺跡の周辺には、寺院跡の岡廃寺、大集落跡の熊野遺跡た白山遺跡といった古代の遺跡が広く分布しています。
また深谷市内ではこの他に、市域の東端から熊谷市にまたがる範囲で、「幡羅官衙遺跡跡」(古代「幡羅郡」の役
所)も確認されています。中宿古代倉庫群跡やこれらの遺跡について調査が進むことことで、古代の姿がより明ら
かになっていくことが期待されます。
 
 令和2年11月  
                                         深谷市教育委員会

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普段は閉ざされているフェンスが開放されており、中に入ると係員の方が資料を渡してくださいま
した。
左が第2号復元建物(板倉) 右が1号復元建物(校倉) 




1号復元建物(校倉)   礎石の上に柱が立っている礎石建物




1号復元建物 校倉が分るようにアップで




1号復元建物(校倉)の内部 
稲穀を保管するだけですからなんら造作はされていません




第2号復元建物(板倉)  掘立柱  掘立建物




第2号復元建物 板倉のアップ




2号復元建物(板倉)の内部 
やはりなんら造作はされていません




1号建物実測図  第1号・第2号復元建物設計図




頂いた資料

過去記事「中宿古代倉庫群跡」

散策・見学日:令和4年(2022)6月11日(土)

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