四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

久米川古戦場 ①(東京都東村山市)

2018年10月02日 | 古戦場・陣所


名 称:久米川古戦場
概 要:武蔵国久米川(現在の東京都東村山市諏訪町)において、桜田貞国率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で
    行われた合戦の地
指 定:都指定旧跡(久米川古戦場の名称で 大正8年〔1919〕10月指定)
遺 構:将軍塚(埼玉県所沢市)
所在地:東京都東村山市諏訪町2丁目付近

小手指ヶ原の合戦に続いて行われた久米川合戦の古戦場跡及び関係場所を訪ねて来ました。




西宿公園  ここを目標にしたらよいかと思います
この公園の北側に更に小さな公園(西宿公園の一部)があり、そこに久米川古戦場跡」碑 「久米川古戦場」説明板があります。




久米川古戦場跡」碑  「久米川古戦場」説明板




東京都指定旧跡   
   久米川古戦場
                      所在地 東村山市諏訪町2丁目付近
                      指 定 大正8年10月

 北川と前川の合流するこの地域の低地と狭山丘陵東端の八国山の麓一帯を鎌倉時代には久米川宿といっていた。文永8年(12
71年)の日蓮の書状に「武蔵国久目河に付き……」とあって、上野国(群馬県)と鎌倉を結ぶ政治的にも経済的にも重要な交通路
であった鎌倉街道上の道の主要な宿駅であった。
 『太平記』によれば、元弘3年(1333)5月8日、群馬県新田町の生品神社(新田義貞挙兵伝説地)から鎌倉幕府倒幕のた
め挙兵した新田義貞の軍勢は、11日初戦の小手指河原合戦(所沢市)で鎌倉軍を破り、翌12日に南下した新田義貞と鎌倉幕府軍
との第二戦が行われたのがこの周辺一帯であるといわれている。『江戸名所図会巻四』によると、久米川合戦に勝った新田義貞が
塚を築き旗をたてたといわれる将軍塚(所沢市)が八国山にある。標高約190メートルの八国山は、駿河(富士)、伊豆(天城
山)、相模(箱根・大山)、甲斐(多波山)、信濃(浅間)、上野(吾嬬)、下野(日光)、常陸(筑波)、の八か国の山が眺め
られるのでこの名がついたといわれている。
 久米川宿を中心とする久米川一帯は、その後も建武2年(1335)の中先代の乱や応永23年(1416)と同24年(141
7)の上杉禅秀の乱などたびたび合戦の戦場となったが、近年は宅地化が進み当時の景観は偲ぶべきもない。
 国の重要文化財『元弘の板碑』は八国山山麓にあったものを文化年間(1804~18)に、臨済宗福寿山徳蔵寺(東村山市諏
訪町1の26)に移したものである。

 平成10年3月 建設
                      東京都教育委員会




都立 八国山緑地の東端麓にあるハイキングコース入口と案内板 




下部が草で見えませんが 「都立 八国山緑地」案内板の全体を




久米川古戦場跡の文字が見えます  このあたり一帯で戦いがあったようです




所沢市久米地内を流れる柳瀬川(旧久米川)に架かる「勢揃橋(せいぞろいばし)」
新田義貞公がここに全軍を勢揃いさせたことからついたこの名がついた橋だそうです。当然、、全軍が橋の上にというわけには
いきませんが・・・




当時は家もなかったでしょうし、橋には欄干もなかったでしょう




八国山緑地には埼玉県所沢市松ヶ丘地内から登りましたが、例の如くすんなりとはいかずに入口が分らずに行ったり来たり。




尾根沿いの所沢市側にも立派な案内板が設置されています




「勢揃橋」の所が丁度写真で隠れてしまっていますので、◎勢揃橋 と加筆しておきました(右上)
0.1kmでは目指すというほどの距離ではありませんが、将軍塚を目指して




綺麗に整備された緑地です  この時も清掃中の作業員の方にお会いしました




将軍塚のある場所に着きました




「元弘青石塔婆所在跡」碑
「元弘の板碑」と呼ばれるこの板碑には久米川の合戦を裏付ける記述と、この戦いで亡くなった3名のなが刻まれており、実
物は現在、「徳蔵寺」にあります。




「将軍塚」説明板




塚と言ってもこんもりした程度でそれほどの高さはありません




将軍塚碑




将軍塚碑の裏面
「元弘三年 新田義貞公鎌倉討伐ノ際 白旗ヲ建テラレタル遺蹟」と記されています。




「勝陣場橋(かつじんばばし)」  北川に架かる橋で東村山市と所沢市に跨っています
戦いに勝利した新田軍が通ったとも陣を置いた場所とも言われます。
道が狭いうえに交通量が多くてこれ1枚を撮るのも苦労しました(笑)




「将陣場橋(しょうじんばばし)」  北川に架かる橋で東村山市須和町2丁目地内にあります
内容は上記と同様です




「徳蔵寺」
山号を「福寿山」と号する臨済宗大徳寺派に属するお寺で、東村山市諏訪町1丁目26-3に所在します
「徳蔵寺 板碑保存館」に保管されている「元弘の板碑」を拝観目的に訪れましたが、折角ですので本堂等の写真も何枚か




山門から本堂方向に  扉にある紋は「左三つ巴」




六地蔵尊等の石仏




本堂前から山門方向  例の(増上寺→西武鉄道→寄進先)大きな石灯籠がこの徳蔵寺にも4基ありました




本堂




山道脇の掲示板に貼ってある「江戸名所図絵」




庭園




庭園  左側の建物は「虚心庵」(茶室)




ここで板碑保存館拝観の申し込みをします  拝観料(おとな(高校生以上)200円




「徳蔵寺 板碑保存館」




「元弘の碑」




板碑保存館は昭和43年(2003)に完成した2階建ての建物で、1階には、石器・土器・国分寺瓦・古銭等 2階には、元弘
の碑を中心に、板碑・宝篋印塔・五輪塔・道標等が展示されています。
保存館ができる以前は数多くの板碑を本堂に所蔵していたことから、「ちらかし寺」とも呼ばれていたようです
とにかく沢山の板碑等が展示されており、よくここまで収集したかと感心します。
これから拝観に行く方の楽しみを奪ってはいけませんので、展示物の写真はこれだけにしておきます。




「元弘の碑」の実物の写真を先に載せましたが、ガラスに反射してよくわかりませんので、拝観時に頂いたリーフレットの中の
写真を載せておきます。




上掲「元弘の碑」の写真にある説明文




徳蔵寺の西側を流れる「前川」 下流で「北川」に合流

散策日:平成30年(2018)8月29日(水)・30日(木)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。