
名 称:勝呂神社古墳(すぐろじんじゃこふん)
別 名:勝呂1号墳
墳 形:円墳
規 模:径50m、高さ4.2m、
築 造:6世紀後半
指 定:―
所在地:埼玉県坂戸市石井226
通称勝呂神社古墳は、飯盛川と谷治川に挟まれた舌状台地の上にあり、6基が確認されている勝呂古墳群の勝呂
1号墳です。
墳丘には勝呂神社が鎮座していますが、綺麗に整備された神社・古墳です。勝呂神社の由来や社名の変遷等につ
いては神社の説明板にお任せするとして、ここでは墳丘と併せて建造物等を紹介したいと思います。

神社南側の道路沿いに建つ「一の鳥居」、「社号標」と「勝呂神社」説明板

「勝呂神社」説明板

一の鳥居に懸る「勝呂神社」社号額

最初の石段です

最初の石段を上がった左手にある手水舎

手水舎と玉垣の間に置かれている巨大石
これらの石は、西に1㎞ほど離れた胴山古墳のものと言われます

最初の石段を上がった右手の玉垣の所にある「神楽殿」
神楽殿に対するイメージとは違っていましたので、初見は物置かと

最初の石段を上がった先に石敷の参道 その先の墳丘上に勝呂神社の社殿が鎮座

東側の鳥居

西側の鳥居

社務所

社殿を右斜めから

社殿を正面から

石段の前に対で置かれている大きな水容器(名称が分りません)の中に睡蓮が咲いています

勝呂神社本社周辺の図

石段を上ります

石段の左手にある境内末社:八幡社
御社紋:加賀梅鉢(幼剣梅鉢)花芯に短小な剣を加えたもの

石段の右手にある境内末社:稲荷社

拝殿 石段を上がり切った目の前に拝殿がありますので正面からは撮りづらいために斜めから

拝殿に懸る社号額「勝呂神社」

拝殿の戸の覗き穴(?)から拝殿内部を
門帳に「加賀梅鉢紋」が入っています 勝呂神社の御社紋のようです
勝呂神社と加賀梅鉢紋がどうつながるのか調べてみましたが分りませんでした。
末社に菅原社がありますが、菅原社は梅鉢紋を使うことが大半です。しかし、末社の紋を御社紋にすることは考
えられません。
社殿を再営した勝呂氏の家紋でもありません(それ以前に勝呂氏の家紋が何であったかさえ分りませんが)
この神社には加賀国(石川県)一宮の白山比垟神社が祀られている。加賀と言えば前田家・・前田家の代表的家
紋が加賀梅鉢紋ですが、まさかそんな繋がりではないでしょう。
これも神社さんに聞けば分ることで勝手に悩むことではないのでしょうが

社殿(拝殿・幣殿・本殿)を左側から

拝殿左側にある境内末社:熊野権現ほか

熊野権現の右側にある境内末社:三嶋神社

社殿の右側にある「勝運霊石」
石室の一部とみられる大きな川原石が露出しているようです

拝殿右側にある境内末社

拝殿前から一の鳥居方向を

さてここから本題の古墳の墳丘を見て回ります
墳丘の南辺 神社造営でかなり削平されています

上の写真と同じ場所ですが南西側

西側

同じく西側

北西側

同じく北西側

北側 北から見ると墳丘の形がよくわかります

東側から北側にかけて

東側

南西方から勝呂神社(勝呂古墳)を見ています
散策日:令和元年(2019)6月4日(火)