
丸亀城は、丸亀平野の海抜66mの亀山に生駒親正が隠居城として慶長2年(1597)から慶長7年(1602)にかけて築城した。
しかし、元和の一国一城令で丸亀城はいったんは廃城となった。その後入封した山崎家治が寛永19年(1612)から再建に取り掛かったものの、
跡継ぎがなく改易。その後に入った京極氏が城を完成させた。現在見られる天守はこの京極氏がつくったもので、三重の小規模なものながら、
3段に積み上げられた石垣の上に築かれた姿は風格がある。丸亀城は城山全体の石垣がよく残っており、地元では隅櫓や多聞櫓などを加えて、
かつての本丸や二の丸などの主郭部をよみがえらせようとしている。 (「日本100名城公式ガイドブック 78丸亀城」から引用)
丸亀城は、昨夏、高知へ向かう列車が丸亀駅に差し掛かった時、車窓の外に巨大な石垣の上に立つ天守を目にしました。
そう、これが石垣の名城といわれる「丸亀城」でした。車窓からではなく、実際にこの足で丸亀城を攻城したいと思いました。
しかし、急な予定は起てられません。そして1年を経た今夏の高知入りに合わせて攻城計画を起て、念願の丸亀城攻城を果たしました。

大手一の門(右側の櫓門)・二の門(正面の門)


「大手一の門」

「見返り坂」と「観光案内所」(左)

「三の丸石垣」

「三の丸跡」

「戌亥櫓跡」

「石垣」

「二の丸」

「二の丸井戸」

本丸へ

丸亀城「天守」

「天守」と「本丸跡」

「天守屋根」

天守内部(一部)

天守から城下を

天守と石垣

「玄関先御門・番所・御駕籠部屋・長屋」(京極氏の屋敷の表門)

石垣の上に聳える天守
天守自体は確かに小さなものでしたが、この石垣には圧倒されました。
この丸亀城を攻城したことにより四国にある現存天守4城すべてを攻城できました。
攻城日:2012年(平成24年8月13日(月)