四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

大里郡にあっても『吉見神社』(埼玉県熊谷市)

2020年11月24日 | 神社仏閣
◇延喜式内社〔論社〕◇


社 号:吉見神社(よしみじんじゃ)
旧 称:神明社・天照太神宮
御祭神:天照大神(あまてらすおおみかみ)
創 建:不詳
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧郷社
例 祭:4月17日  例祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県熊谷市相上1639-1(旧大里郡大里町)

延喜式内社の武蔵国横見郡では、横見神社、伊波伊神社、高負比古神社の三社があります。
そのうちの「横見神社」については吉見町御所の横見神社が神名帳に載る横見神社とされていますが、
同町久保田の横見神社同様に、この熊谷市相上に鎮座する「吉見神社」を論社と捉えている方もいるよ
うです。論社とする根拠や、論社であるか否かは素人の私に全く分りませんし、横見郡の式内社をなぜ
大里郡に鎮座する神社を論社とするのかの疑問もあります。それはともかくとして、一応、論社という
ことでもありますし、単に神社めぐりでもよいかと訪ねてみました。
「吉見」は「横見」が転じたものと言われますから、「吉見神社」すなわち「横見神社」との解釈か?
今では、「吉見」と言えば比企郡吉見町を思い起こし、その𠮷見町とその付近がが横見郡であったと言
われます。
ではなぜ旧大里郡大里村(町)であったここに𠮷見と称する神社があるのかと不思議に思えるかも知れ
ません。
実は、この大里村は元は大里郡吉見村で昭和30年(1955)1月1日、同郡市田村との合併により「大里村」
となりました。一方、比企郡吉見町は、昭和29年(1954)7月1日、東吉見村、西吉見村、南吉見村、北
吉見村の4村が合併して「吉見村」となったわけですので、先にあった吉見村は大里郡にあったわけです。
旧大里村と現吉見町は地続きであることから横見郡とは密接な関係にあったことが容易に窺えます(大
里郡吉見村がそれ以前は横見郡の一部であったかどうかまでは調べられませんでしたが)
𠮷見神社は、かつては上吉見領(村岡・手島・相上・玉作・小八林・箕輪・冑山等23ヶ村)の総鎮守だった
ようです。
吉見神社の創建年代等は不詳ながら、景行天皇五十六年に御諸別王が当地を巡視した折、田野が開かれ
ず不毛の地であることを嘆いて、多くの里人を移して多里郡(大里郡)を設置、天照大神ゆかりの筬を
神体として天照大神を祀ったとも、御諸別王が関東下向の時、こんこんと泉が湧き出し、数万町の水田
が日ならずして成ったことから天照大神を斎い祀ったとも伝えられます。
御諸別王の子孫が代々神主として奉仕しているとことで、現宮司須長家はこの末であるとのことです。





県道357号沿いに建つ『社号標』【郷社 吉見神社】




『一の鳥居』
鳥居の先参道左側にあるのが代々吉見神社の神主を務める須長家の墓所




神職の墓所だけに鳥居のある大きな墓所です
入口を入ってすぐの両脇に『狛犬』




『二の鳥居』




二の鳥居を潜ってすぐの右手にある 『奉納 永代御供米田地』碑  慶應2年建立




境内の参道  左手に並んでいる石碑は『伊勢参宮記念碑』




参道右手の石灯籠と手水舎の間に石祠が2基
門番の役目をしているとのことです




『手水舎』  井戸とは珍しい




社殿に近くなってきたところで一段高くなっています




『神楽殿』




参道左側の末社(石祠)群
左から 天神宮・金毘羅大神社・頭大宮・辯才天女宮など8社




上記末社(石祠)群の右側に設置してある『相上神楽』説明板

 村指定無形民俗文化財
   相 上 神 楽
                         指 定 昭和五十四年五月十四日
                         所在地 大里村大字相上
                         期 日 七月十五日 吉見神社境内
 相上神楽の起原は、江戸時代中期、天保六年(1835年)八月に関東地方を襲った嵐により、荒川や
吉見神社の背後を流れる和田吉野川の堤防がまさに決壊しようとしていた。その時、村人が吉見神社
に祈願したところ災害を免れることができた。こののち村人が神楽殿を建設し報賽したのが始めと言
われている。
 相上神楽は、坂戸市の大宮住吉神楽の系統に属し、曲目は、国取、三人和合、氷の川、岩戸開等で
あったが、昭和四十年代後半に奉楽されたのを最後に途絶えてしまった。
 そして、平成七年、相上地区の住民により神楽を復活させようと相上神楽保存会が設立され、子供
たちを中心に伝承者より神楽舞や囃子を受け継ぎ、大祭のおりに奉楽している。
                           大里村教育委員会




社殿のある場所は一段と高くなっており玉垣に囲まれています




拝殿手前の『遥拝所』


      

      『御神木』




『拝殿』




拝殿を左斜めから
拝殿前に至るには左側の玉垣の切れた所から入ります。石が拝殿前まで敷かれています。




『本殿(覆殿)』(奥)と『拝殿』(手前)




拝殿屋根の「千木」と「鰹木」
鰹木の先端丸い部分は【左三つ巴】紋が入っています




『本殿(覆殿)』




『本殿(覆殿)』 角度を変えて




社殿全体を玉垣の外から




社殿全体を社叢林の木々の間から




拝殿左手の摂社群  覆屋の中央の柱を境に左右に7社づつ
左半分:左から 三嶋神・興玉神・秩父神・荒祭神・玉造神・斎王神・浅間神
右半分:左から 日枝神・雨降神・賀々美神・二荒神・水分神・養蚕神・豊受荒魂神
神名を書いた紙が貼ってあったからこうして神名を書けますが、なかったら分りません




玉垣で囲まれた社殿エリアには右側にあるこの石段から入ります




拝殿の右側の石碑と摂社




『石碑』 【鈴水神楽記】とありますが碑文は読めません




『天神社』




『東宮』




『伊奈利社』



拝殿の右側にある摂社{10社) 左から 
月読神・風祈神・鹿島神・春日神・香取神・氷川神・杵築神・伊邪那岐神・住吉神・御年神
これも神名を書いた紙が貼ってあるので分るわけですが、なければ全く分りません




沼でしょうか 本殿の背後の方まで続いています

参拝日:令和2年(2020)10月14日(水)

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