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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

県民の日 まいぶんフェスタ2023

2023年11月14日 | 講演会・講座


県民の日 まいぶんフェスタ2023
 日時:令和5年11月14日(日) 10:00~15:00
 場所:埼玉県文化財収蔵施設(埼玉県立埋蔵文化財センター) 熊谷市船木台4-4-1
 主催:公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
 共催:埼玉県教育委員会

に行ってきました。

※「埼玉県民の日」は11月14日で、例年この14日に開催されています(但し、昨年は前日である13日の開催)
 「まいぶん」 埋蔵文化財・埋蔵文化財調査事業団 の略称


催しは
 ■ 遺跡発表会(事前申込)
 ■ 収蔵庫みどころ解説(当日申込)
 ■ お仕事見学ツアー(当日申込)
 ■ 埋蔵銭見学ツアー(当日申込)
 ■ 勾玉づくり(当日申込)
 ■ プラバン・缶バッジづくり(申込不要)
 ■ 土器にさわろう(申込不要)
と多彩でしたが、事前申し込みをしてあった「遺跡発表会」(いわゆる講座)を聴講しました。
また、開場前から小学校高学年から中学校低学年らしき子供さんが何人も並んでいましたが、 プラバン
・缶バッジづくりに参加のためでしょうか・・・県民の日で学校はお休みですから


 ①「長竹遺跡の整理成果について」  10:30~11:10
    黒 坂 禎 二 氏(埼玉県埋蔵文化財調査事業団職員)
  長竹(ながたけ)遺跡は、加須市大越に所在する縄文時代後期から晩期(約3,500~3,000年前)の環状盛土
   遺構で、盛土の中から大きな住居跡(建物跡)が発見されています。


 ②「北2丁目陣屋跡の整理成果」   11:20~12:00
   -八坂神社の社殿基礎地業について-
    大 塚 邦 明 氏(埼玉県埋蔵文化財調査事業団職員)
  北2丁目陣屋跡は、久喜市栗橋北二丁目に所在する江戸時代の陣屋跡で栗橋宿跡の北側に隣接する遺跡。
  遺跡の範囲には、八坂神社が鎮座していた。


これら2件の遺跡については全く知識がありませんでしたし、初めて聞く言葉(用語)もあり、こ
れから勉強しなければ・・・?


遺跡発表会聴講の後は 「埋蔵銭見学ツアー」に申し込みして参加しました。
この埋蔵銭とは平成29年度に発掘調査を実施した「新井堀の内」(蓮田市黒浜地内)から発見され
た大甕に納められた埋蔵銭で、一つの甕に納められた銭の埋蔵量としても国内最大級と考えられる
もの。
平成30年3月14日(水)~18日(日)に特別公開されました。現在は保護のために特別な部屋で保
管されていますが、それを見学させていただきました。

聴講・見学日:令和5年(2023)11月14日(火)

郷土の偉人顕彰スペシャル 講談と講演による偉人の伝承

2023年11月12日 | 講演会・講座


郷土の偉人顕彰スペシャル 
講談と講演による偉人の伝承
日時:2023年11月12日(日)
会場:深谷市民文化会館小ホール(深谷市本住町17-1)
  第1部 独演会 
  『武士の鑑 畠山重忠公と若き日の渋沢栄一翁』
   ・武士の鑑 畠山重忠公    宝井 琴人 氏
   ・若き日の渋沢栄一翁 五代目 宝井 琴鶴 氏
  第2部 講演会
  『畠山重忠と武士社会』
   ~「将軍」子孫の面貌~
   講師 清 水 亮 氏(埼玉大学准教授)


郷土の偉人を顕彰するため、上記の通りの2部構成により深谷市出身の武将である畠山重忠公と、新1万円札の
顔となる渋沢栄一翁をテーマとした独演会と専門的な知見から重忠公にまつわる歴史を深堀する講演会です。
五代目 宝井琴鶴氏は、昨年の令和4年(2022)11月23日(水・祝)に、花園文化会館・アドニス(深谷市小前田)
で開催された「畠山重忠公プロジェクト」において、『深谷の生んだ知勇兼備の鎌倉武士畠山重忠』という創作
講談を披露し、今回の『若き日の渋沢栄一翁』もやはり創作講談です。宝井琴人氏は琴鶴氏の弟子。
また、清水 亮氏は畠山重忠についての第一人者で、個人的には令和3年12月に埼玉県立嵐山史跡の博物館主催に
よる歴史講座において、やはり畠山重忠に関しての講義を聴講しています。


深谷市民文化会館入り口前には渋沢栄一翁の幟が。隣には今回の講談・講演会のポスター
この写真からは外れてしまいましたが、無論、畠山重忠の幟も立っていました


深谷城址公園での渋沢栄一翁PRイベント会場に現れた「しげただくん」と渋沢栄一翁に変身した
「ふっかちゃん」。「しげただくん」は講演会終演後のお楽しみ抽選会にも登場しました
お楽しみ抽選会の当選者数は、畠山重忠公も登場した大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に因み13名で、
会場からは「少ない!」との声も・・・


清水亮氏の講演会資料

聴講日:令和5年(2023)11月12日(日)

鎌倉街道上道 国史跡指定1周年シンポジウム 史跡鎌倉街道上道の価値とは何か

2023年11月11日 | 講演会・講座


鎌倉街道上道 国史跡指定1周年シンポジウム 
 史跡鎌倉街道上道の価値とは何か
  ~史跡の過去・現在、ゆるぎない価値を未来へ~
日時:令和5年11月11日(土) 12:00~16:00(開場12:30)
会場:ウイズもろやま (毛呂山町岩井西5-16-1)

1 開 会
2 挨 拶 毛呂山町長
3 研究発表
      毛呂山町小中学生社会科研究展 鎌倉街道研究特別受賞作品
       『鎌倉街道について』 毛呂山中学校1年生
       『毛呂山町の宝』   毛呂山小学校6年生
4 シンポジウム
   ・開催趣旨   宮 瀧 交 二 氏(大東文化大学教授) ※諸事情により代理
   ・史跡の概要 『鎌倉街道上道の調査と国指定に至るまで』
            植 田 雄 巳 氏(毛呂山町歴史民俗資料館主任学芸員)
   ・講 演   『中世の街道と宿』
            榎 原 雅 治 氏(東京大学名誉教授)
   ・報告①   『崇徳寺跡の板碑』
            磯 野 治 司 氏(元崇徳寺跡遺跡評価委員)
   ・報告②   『鎌倉街道上道と塚』
            佐 藤 春 生 氏(毛呂山町歴史民俗資料館副館長)
   ・討 論   コーディネーター 宮 瀧 交 二 氏  参加者 上記4名
5 閉 会     毛呂山町教育委員会教育長

を聴講してきました。


毛呂山町の鎌倉街道が、「鎌倉街道上道」の名称で国の史跡に指定されたのが令和4年11月10日ですので、
11日は指定から2年目の最初の日となります。また、鎌倉街道上道の名称で指定されていますが、道だけ
が国指定史跡の範囲・対象ではありません。史跡鎌倉街道上道を構成する総延長約1.3kmの道・宿・寺・
塚の遺跡がまとまった中世の一つの空間からなります。


ホール入り口 ここを入ったところで受付です


沢山の資料をいただきました。無論、講演してくだされた4人の方の講演資料もあります。


「毛呂山町歴史民俗資料館 国指定記念第21回特別展解説図録」(令和5年3月31日発行 ¥470)
シンポジウムの受付で販売していましたので購入してきました


早めに家を出てシンポジウム参加の前に立ち寄って撮ってきた「大類と川角境界の鎌倉街道上道」
これ以降の写真は、昨年である令和4年11月・12月の2回の散策時のものです


川角古墳群の一部を塚群として捉えています


崇徳寺跡


大型の板碑「延慶の板碑」


遺構が良好に残る鎌倉街道掘割遺構(A遺構)


高麗川の崖線を下る「仏坂遺跡」の鎌倉街道

聴講日:令和5年(2023)11月11日(土)

歴史講座2「享徳の乱前後の関東」(1)享徳の乱と武蔵国

2023年11月10日 | 講演会・講座


埼玉県立嵐山史跡の博物館
令和5年度  歴史講座2「享徳の乱前後の関東」     
 日 時:令和5年11月10日(金)13:50~15:30
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
 演 題:享徳の乱と武蔵国 
 講 師: 木 下 聡 氏(東洋大学教授)
『 享徳の乱とは』
 享徳三年(1454)十二月に鎌倉公方足利成氏が、関東管領上杉憲忠を御所で殺害したことに端を発す
る合戦
 文明十四年(1482)に幕府と成氏が和睦する(都鄙和睦)まで、成氏方が京都の改元した年号(康正・
長禄・寛正・文正・応仁・文明)を無視して享徳年号を使用し続けたことから、現在享徳の乱と呼ばれて
いる
                                 《講座資料から引用》

を聴講してきました。※予定は~15:30でしたが30分ほど長くなり16:00頃の終了となりました。


会場の国立女性教育会館 講堂と講座資料


古河公方館跡  享徳4年3月 成氏は上杉勢を攻めるため下総古河へ


一方、上杉方は武蔵五十子(いかっこ・現本庄市)を本陣にして成氏方と対峙
この写真は本陣があったとされる場所ですが、だいぶ古いものですから現況は変わっているかもし
れません。

これ以外にも聞いたことのある名前や、訪ねたことのある場所もありますが、どう説明してよいの
か難しいので・・・

聴講日:令和5年(2023)11月10日(金)

菅谷館跡国指定史跡50周年記念シンポジウム

2023年10月23日 | 講演会・講座


    菅谷館跡国指定史跡50周年記念シンポジウム
「いま振り返る 菅谷館跡の50年 ーそして次の50年へー」

日時:令和5年10月22日(日) 12:30~16:50 (開場11:30)
会場:国立女性教育会館 講堂(比企郡嵐山町菅谷)
主催:埼玉県立嵐山史跡の博物館

挨拶   栗 岡 眞 理 子 氏(埼玉県立嵐山史跡の博物館長)
基調講演 本 郷 和 人 氏 (東京大学史料編纂所教授)
      「御家人銀座・嵐山」
報告①  梅 沢 太 久 夫 氏(元 埼玉県立歴史資料館長)
      「菅谷館跡の保存と埼玉県立歴史資料館設立の頃」
報告②  浅 野 晴 樹 氏 (東国中世考古学研究会会員・菅谷館跡保存活用計画策定委員)
      「菅谷館跡と周辺遺跡のあるべき姿
              ―現状・課題、活用方法について―」
討論    「いま振り返る 菅谷館跡の50年 ーそして次の50年へー」

を受講してきました。



シンポジウム会場の国立女性教育会館 講堂


シンポジウム資料
※シンポジウムの写真撮影・録画・録音は禁止のため写真はありません
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基調講演や報告の内容については触れずにおきますが、
菅谷館跡が埼玉県指定史跡に指定されたのが、大正12年(1923)3月21日で今年が100年になります。
国指定史跡に指定されたのが、昭和48年(1973)5月26日で、今年が50周年となります。
更に、平成20年(2008)3月28日 既に国指定史跡であった菅谷館跡に、松山城跡(吉見町)・杉山城跡
(嵐山町)・小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)を追加指定し、「国指定史跡比企城館跡群」とな
りましたので、現在は国指定史跡比企城館跡群菅谷館跡と呼ばれます。
一方、菅谷館跡内に昭和51年(1976)4月に「埼玉県立歴史資料館」が開館しました。この歴史資料館は、
平成18年(2006)4月1日に「埼玉県立嵐山史跡の博物館」と改称され現在に至っています。
本シンポジウムに関係する写真を何枚か載せてみたいと思います(参考にはなりませんが)



二ノ郭の本郭小口近くに設置されている菅谷館跡の説明板ですが、菅谷館跡単体で国指定史跡に指
定されていた当時のもので「国指定史跡 菅谷館跡」と標記されています。


国指定史跡比企城館跡群となってからのもので、「国指定史跡比企城館跡群 菅谷館跡」と標記が
変わり、このころは公文書も縦書きから横書きに変わっていましたから、説明文も横書きになって
います。


標柱  埼玉県指定史跡時代に建立されたもので
 表面に  埼玉県指定史跡  菅谷館跡
 裏面に  大正十二年三月三十一日指定  埼玉県教育委員会
      昭和四十六年三月三十一日建  嵐山町教育委員会
と刻まれています


国道254号嵐山バイパス沿いにある嵐山史跡の博物館入口(搦手跡)に建立されている標柱
 表面に  国指定史跡  菅谷館跡
 裏面に  昭和四十八年五月二十六日指定  文  化  庁
                      埼玉県教育委員会
と刻まれています


まだ埼玉県立歴史資料館と称していたのころの昭和57年(1982)5月21日に訪館した際の写真で、
銘板石には一部隠れていますが「埼玉県立歴史資料館」と刻まれています


その際にいただいたパンフレットで、簡単な訪館記とともに保管していますが41年も前のものにな
ります


展示は 考古・歴史展示室〈考古〉、考古・歴史展示室〈歴史〉、民族展示室に分かれてましたが、
今のように畠山重忠や中世に特化してはいませんでした。

受講日:令和5年(2023)10月22日(日)

歴史講座Ⅰ「中世城郭から近世城郭へー忍城・川越城ー」(2)近世の川越城と川越藩

2023年09月24日 | 講演会・講座


埼玉県立嵐山史跡の博物館
令和5年度  歴史講座Ⅰ「中世城郭から近世城郭へー忍城・川越城ー」(2)         
 日 時:令和5年9月22日(金)13:50~15:30
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
 演 題:近世の川越城と川越藩
 講 師:宮 原 一 郎 氏(川越市教育委員会 文化財保護課)
 内 容:はじめに
       1  近世初期における武蔵国の状況
      2 元和~寛永期における家光と川越
      3 寛永期の川越城と城下町の寺社

を聴講してきました。
前回の忍城に続き今回は川越城に関しての講義でした。武蔵国における3城体制(岩槻・忍・川越)についてや、
家光と川越との関係などについてお話をいただきました。
本講座の演題である川越城に関連する場所の中から少しだけ紹介したいと思います。諸般の事情からここ数年は
川越城に行っておりませんので古い写真ばかりですが・・・


川越城本丸御殿   所在地:川越市郭町2-13-1
現存する御殿は、二条城二の丸御殿(京都市)・掛川城二の丸御殿(掛川市)・高知城本丸御殿(高知市)と、
ここ川越城本丸御殿の4御殿しかありませんので貴重な建物です。
川越藩(城)の歴代藩(城)主は、次の8家21人です。
  酒井(雅楽頭)宗家 1代 ・酒井(雅楽頭)別家 2代 ・堀田家 1代 ・大河内松平家 3代 ・柳沢家 1代 ・
  秋元家 4代 ・前橋松平家 7代 ・松井松平家 2代
となっていますが、酒井(雅楽頭)宗家のあと一旦幕府領となり、その後、酒井(雅楽頭)別家 となりました。
さらにこの酒井(雅楽頭)別家の後は城番時代を経て堀田家となります。
写真の下部に各家の家紋を調べて並べておきましたが、複数の家紋が存在したり、同じ家系でも別の家紋を使用
していた城主がいたりしますので必ずしも正確ではありませんので参考程度に留めてください。


歴代川越藩(城)主の幟
道路右側の幟が立っているあたりに現在は土塁が復元されています(昨年末ころ完成)ので現況とは異なります。


松平大和守家廟所   所在地:川越市小仙波町1-20-1  喜多院・慈恵堂の裏手にあります
左奥 建中院(越前松平家10代 松平直侯)      右側手前から 霊鷲院(越前松平家5代 松平朝矩)・
俊徳院(越前松平家6代 松平直恒)・馨徳院(越前松平家7代 松平直温)・興国院(越前松平家8代 松平斉典)


川越城富士見櫓跡   所在地:川越市郭町2-15


川越城中ノ門跡(外観)   所在地:川越市郭町1-8-6
平成22年(2010)4月1日に開園(公園扱い)して間もない時の写真ですからまだなじんでいませんでした。


川越城中ノ門堀跡(復元)  所在地:川越市郭町1-8-6


仙波東照宮   所在地:川越市小仙波町1-21-1  

聴講日:令和5年(2023)9月22日(金)

エジプト文化展講演会「古代エジプトの食文化」

2023年09月02日 | 講演会・講座


エジプト文化展講演会「古代エジプトの食文化」
日 時::令和5年9月2日(土曜日)午後2時~3時30分(実終了は4時ころになりました)
会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1 (本庄市西富田1011)
講 師: 馬場 匡浩 氏(早稲田大学考古資料館学芸員)

を聴講してきました。

「パンを食べ、ビールを飲む人々」
   と呼ばれていた古代エジプト人。
企画展「エジプト文化展」の展示コンテンツは、
  ■早大隊の軌跡 ■調査 ■生活 ■経済 ■文字 ■技術 ■宗教 ■埋葬
であり、本企画展の担当者である馬場匡浩氏が、世界最古の一つであるエジプト文明の食生活に焦点をあて、パン
とビールそしてワインを中心にお話ししてくださいました。
当時のビールやパン、ブドウが自生していなかったエジプトでワインはどのようにして作られたかなど大変興味深
い内容でした。



早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター1Fエントランスホールのサイネージに講演会の画像が流れ
ていました。


講演会の会場である3階レクチャールーム1 の入口
講演中の模様やレクチャールームの写真はありません
講演会の終了予定を大幅に超えてまでの色々とお話しいただきました。ちょっと裏話的なものもありました。


講演会終了後、講師の馬場匡浩氏による展示品の解説「ガイドツアー」にも参加させていただきました。
講演雄テーマであるパンとビールのパネル



アンフォラ 陶器の器の一種で、ワインをはじめとした様々な液体や物品を運ぶために用いられた素焼きの容器

色々な講座や講演会を聴講させていただいておりますが、古代のエジプトを扱ったものは初めてでした。エジプ
トに限らず外国関係そのものが初めてであったわけですが。この講演会は女性の聴講者が圧倒的に多かったよう
です。


聴講日:令和5年(2023)9月2日(土)

歴史講座Ⅰ「中世城郭から近世城郭へー忍城・川越城ー」(1)忍城の400年

2023年08月19日 | 講演会・講座


埼玉県立嵐山史跡の博物館
令和5年度  歴史講座Ⅰ「中世城郭から近世城郭へー忍城・川越城ー」(1)          
 日 時:令和5年8月18日(金)13:50~15:30(実終了は15:50ころでした)
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
 演 題:忍城400年の歴史~築城から廃城まで~
 講 師:鈴 木 紀 三 雄 氏(行田市郷土博物館館長)
 内 容:はじめに
       1 戦国期
      2 徳川の城 
      3 老中の城(天正18年~寛永10年)
      4 老中の城(寛永10年~元禄期)
      5 松平下総守家時代の忍城
      6 忍城の廃城
      おわりに

を聴講してきました。
博物館等の講座やセミナーなどの聴講をその都度応募しているのですが、このところどれもこれも落選続きで、
埼玉県立嵐山史跡の博物館主催の講座参加は実に1年ぶりとなりました。そんなことから会場の女性教育会館の
講堂の場所を忘れかけていた・・・と言ってもよいくらい自身にとっては久しぶりの講座でした。


会場の国立女性教育会館 講堂
講座中の撮影、録画、録音は禁止されていますので写真はありません。


忍城 御三階櫓(模擬)
左側の家紋は歴代忍城主の家紋(就任順ではありません)
忍城は松平信綱以降6代続けて幕府の老中になっていることから「老中の城」の性格を持つと言います。
次回の講座は「川越城」ですが、忍城6人の老中に対し川越城主は8人が大老・大老格・老中に就いています。こ
れについて言及されるかどうか今から興味があります。


本年7月15日(土)放送NHKテレビ・ブラタモリ「埼玉・行田~埼玉はじまりの地 行田ってどんなところ?~」
の解説者として出演した今回の講師である行田市郷土博物館館長鈴木紀三雄氏(左側)
このブラタモリの話も一言でしたが出ましたね。


講座とは関係ないのですが女性教育会館本館前の庭に百日紅が咲いていましたので撮ってきました。

聴講日:令和5年(2023)8月18日(金)

講座「はにわの造形と技術 ー古墳時代の表現技法をさぐるー」

2023年05月15日 | 講演会・講座


埼玉県立さきたま史跡の博物館「令和5年度 世界遺産関連講座」
  はにわの造形と技術 ー古墳時代の表現技法をさぐるー
講 師:塚田 良道 氏 (大正大学文学部教授)
日 時:令和5年(2023)5月13日(土) 13:15~15:00  
会 場:埼玉県立さきたま史跡の博物館 2階講堂 (埼玉県行田市埼玉)

を聴講してきました。

内 容

 1 埴輪の歴史
 2 埴輪作りの基本
 3 人物埴輪の表現

これまでに博物館や企画展等でいろいろな埴輪を見て来ました。しかし、出来上がった(出土した)ものを漠然
と見ていただけでどのようにして作った(造形)かまで考えたことはありませんでした。
今回の講座で初めて造形方法というものを知り大変勉強になりましたし、無論、他のお話もやはり新たな知識と
なりました。





墳丘を囲む埴輪の例として2年前に訪ねた太田市の「塚廻り古墳群第4号古墳」(群馬県指定史跡)の写真を載
せておきます。講座の中でこの古墳も写真で紹介されました。※埴輪群は復元 原品は国の重要文化財に指定





講座開始前の時間を利用して雨の稲荷塚古墳(国指定特別史跡埼玉古墳群)の写真を撮ってきました。
講座資料の中にこの稲荷塚古墳の文字もありました。


聴講日:令和5年(2023)5月13日(土)

講座「板碑の出現と展開」

2023年03月20日 | 講演会・講座


「下里・青山板碑製作遺跡」普及・啓発講座
演 題「板碑の出現と展開」
講 師:磯野 治司 氏 (下里・青山板碑製作遺跡調査指導委員会委員) 
日 時:令和5年(2023)3月19日(日) 13:30~15:30 
場 所:小川町立図書館 視聴覚ホール
主 催:小川町教育委員会

を聴講してきました。

国指定史跡「下里・青山板碑製作遺跡」の普及・啓発事業の一環として、板碑製作遺跡や板碑に関
連した講座で、今回は、
 1 はじめに 
 2 板碑は何から生まれたか
 3 日本最古の板碑を探る
 4 初期の板碑はどのようにつくられたか
 5 板碑はどのように立っていたか
 6 板碑はどのように造られ、流通したのか
について、多数の写真を交えて説明をしていただきました。




国指定史跡「下里・青山板碑製作遺跡」(埼玉県小川町)と講座資料

聴講日:令和5年(2023)3月19日(日)