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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

講演会「縄文土器を製作する人々の心性」

2024年05月18日 | 講演会・講座

本庄早稲田の杜ミュージアム ミュージアムデー
講演会「縄文土器を製作する人々の心性」
日 時:令和6年5月18日(土) 13:00~14:30
会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)
講 師:高 橋 龍 三 郎 氏(早稲田大学名誉教授)
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縄文時代の土器製作者は、一体どのような心性に基づいて土器を製作したのでしょうか。土器型式研究
では余り問われない課題ですが、民族誌を繙くと意外な側面が見えてきます。実際に土器を製作する際
に交錯する心性とはどのようなものなのか、お伝えします。
                    《本庄早稲田の杜ミュージアム ミュージアムデー》のチラシから
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を聴講してきました。

毎年5月18日は「国際博物館の日」とのことで、世界中博物館で、5月18日を中心に様々な行事が行われ
ており、本庄早稲田の杜ミュージアム においてもこの 5月18日をミュージアムデーとして、本庄市民俗
芸能上演、ミュージアムコンサートと共にこの講演会が実施されたものです。

     



講演会資料

聴講日:令和6年(2024)5月18日(土)

講座「緑泥片岩製石造物の多様性 ~大聖寺六面幢を中心に~」

2024年03月09日 | 講演会・講座


国指定史跡「下里・青山板碑製作遺跡」普及・啓発講座
演 題「緑泥片岩製石造物の多様性 ~大聖寺六面幢を中心に~」
講 師:村 山 卓 氏 (埼玉県埋蔵文化財調査事業団) 
日 時:令和6年(2024)3月9日(土)13:30~15:40 
場 所:小川町立図書館 2階視聴覚ホール
主 催:小川町教育委員会

を聴講してきました。

埼玉県小川町にある国指定史跡「下里・青山板碑製作遺跡」の普及・啓発事業の一環として、板碑製作遺
跡や板碑に関連した講座。今回は上記演題で、
 1 緑泥片岩製の中世石造物は板碑だけではない!
 2 緑泥片岩の石幢とは?
 3 石幢とは何だろうか?
 4 おわりに ~その後の石幢~
についてお話を頂きました。

講座の主題であるところの「大聖寺六面幢」は、緑泥片岩板石6枚を台石にさして立て六角形にし、笠石
と宝珠(欠失)を乗せた供養塔です。
この大聖寺六面幢は、『石造法華経供養塔』の名称で国重要文化財に指定されています(指定:昭和54年
(1979)6月6日)が、旧法では国宝(指定:大正2年8月20日)でした。
こうした緑泥片岩板石6枚を台石にさして立て六角形にした石幢で形をとどめているのは、この大聖寺の
ものと、普済寺(東京都立川市)・宿谷(埼玉県毛呂山町)・正法寺(埼玉県東松山市)の4例しかなく、
笠石や台石の部材しか残っていないものを含めるとその分布は石材採掘地の近くに集中している傾向があ
るとのことです。



会場はいつもの2階の視聴覚ホールです。
大聖寺六面幢を初めとして、各地の石造物が紹介されました。講座の写真撮影、録画等は禁止されてい
ましたので、紹介された中で自身が過去に実際に訪ねた際に撮ってきた写真を何枚か載せておきます。
さすがに四国や九州地方といった遠方の石造物は訪ねておりませんが・・・



大聖寺の国指定重要文化財石造法華経供養塔、板碑の保存庫「法華院」(埼玉県小川町下里)


左:国宝時代の標柱 「國寶 大正二年八月・・・」と刻まれています
右:石造法華経供養塔(写真)
《小川町合併50周年記念 小川町のあゆみ 小川町の歴史 普及版》から引用
予約すれば実物を拝観可能(志納金200円)  但し写真撮影は不可です


説明板  写真では読める状態ではありませんので内容を転記します
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国指定重要文化財
   石造法華経供養塔・板碑
                             埼玉県比企郡小川町大字下里字観音山1857
この供養塔は、もと本堂裏の斜面中腹のわずかな平坦地にありましたが、風化が進んできたので、昭和五十四年に
保存庫(法華院)を建設して移設しました。
供養塔は、台座上に長方形の六枚の緑泥片岩(下里石)を六角筒形に組み立て、その上に六角と八角形の大小二枚
の笠石を乗せています。本来は笠石の上に宝珠が乗せられていたと考えられますが、現在は欠損しています。
六角の各面には、蓮台上にキリーク(阿弥陀)の種子と、「開山希融」をはじめ五十一名の名前が刻まれています。
正面には「開山希融平貞義 祐仙 奉読誦法華経一千部供養・・・」とあり、その他の面には、「・・・康永三年
甲申(一三四四)三月十七日 一結之諸衆 敬白」の銘文が読みとれます。
昭和五十四年に追加指定された板碑によると、この六角塔婆の供養塔は、鎌倉幕府滅亡に際し亡くなった主君・北
陸使君禅儀の十三回忌に当り、大聖寺の開山希融や開基の平(源)貞義らが法華経一千部を読誦し、供養した歳に
建てたと考えられます。銘文中の「平貞義」の平については源を改刻した可能性が高いようです。
平成三年三月
                            埼玉県教育委員会  小川町教育委員会 大聖寺

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東京都立川市柴崎町 「普済寺」の  国宝 六面石幢  指定:昭和28年(1953)11月14日
延文六年(1361)銘  
阿金剛・吽金剛の仁王像と、持国天・増長天・多聞天・広目天の四天王像を、それぞれ緑泥片岩の板石に
刻んである。
複雑な場所にあったため探すのに苦労しましたし、写真も非常に撮りにくい覆屋でした。
現在は、保存修理と新保存庫への移設を行うため、令和6年度(予定)まで拝観を停止しています。



『国宝 六面石幢』碑
あいにくの雨で文字が読めません
右側にちょっとだけ写っているのが覆屋です



埼玉県毛呂山町宿谷の 埼玉県指定史跡 山根六角塔  指定:昭和6年(1931)3月27日


山根六角塔 説明版


埼玉県東松山市岩殿 「正法寺」の 埼玉県指定史跡 正法寺六面幢 指定:昭和5年(1930)3月31日


正法寺六面幢 説明版


埼玉県秩父郡長瀞町矢那瀬 埼玉県指定有形文化財 矢那瀬の石幢  指定:昭和30年(1955)11月1日
※指定名称は "矢那瀬の石どう" となっています


矢那瀬の石幢 説明版


群馬県太田市別所町 別所茶臼山古墳の墳頂の 別所円福寺・石幢
これは緑泥石片岩ではなく安山岩の石幢ですが、石幢つながりで講義の中で紹介されたものです。



別所円福寺・石幢 説明版

聴講日:令和6年(2024)3月9日(土)

講演会「中世の食、その前と後」

2024年02月25日 | 講演会・講座

埼玉県立嵐山史跡の博物館 企画展「武蔵武士の食と信仰ー食べて 祈って 戦ってー」記念講演会
講演名:中世の食、その前と後
 【内容】1 はじめに
     2 中世の獣肉食事情
     3 中世の農耕
     4 調理の発達
講 師:竹 内 由 紀 子 氏(女子栄養大学准教授)
日 時:令和6年2月25日(日)14:00~15:30 (開場時間:13:30・開会時間13:50)
会 場:国立女性教育会館講堂 (比企郡嵐山町菅谷728)


を聴講してきました。


いつもは講堂正面入口の脇に建てられている看板ですが、雨天のため研修棟内の講堂への横入口に。
以前は正面入り口から講堂に入っていましたが、ここ2,3年前からここからの入館に変わりました。
とは言え、国は今年度いっぱいで、この国立女性教育会館の老朽化と利用者減少傾向により、機能を交通
アクセスのよいところに移す計画を発表しました。これに対し、県や嵐山町では存続を訴えていますが果
たしてどうなることでしょう。
もしかしたら、今回の講演会が国立女性教育会館講堂を使って行う埼玉県立嵐山史跡の博物館主催の最後
の講演会(講座・シンポジウム等を含む)になるかもしれません。


聴講日:令和6年(2024)2月25日(日)

講演会「下野谷遺跡と縄文ムラの姿」

2024年02月24日 | 講演会・講座

記念講演会
演 題:下野谷遺跡と縄文ムラの姿
講 師: 細田 勝 氏(元早稲田大学考古資料館学芸員)
日 時:令和6年2月24日(土曜日)午後2時~3時30分
会 場: 早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター4階レクチャールーム2(本庄市西富田)

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下野谷遺跡は関東地方でも最大規模の縄文ムラ
住居の分析から、ムラの変遷と特色に迫ります

講演会では、遺跡から見つかった他地域の影響を受けた土器から下野谷遺跡と他のムラとの関係や大規模集落
の役割についても考えていきます。

                         《本庄早稲田の杜ミュージアムNEWS2月号より》
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を聴講してきました。

本講演会は、現在、本庄早稲田の杜ミュージアム早稲田大学展示室で開催中の早稲田大学展示室企画展
「下野谷遺跡から見る風景」
の記念講演会として開催されました。
下野谷遺跡(したのやいせき)は、東京都西東京市東伏見(旧保谷市)に所在し、平成27年(2005)3月10日に
国史跡に指定されました。
田無市と保谷市が平成13年(2001)に新設合併して西東京市が新設されたわけですが、50年前の保谷市時代から
発掘調査をしているようです。
講師:細田 勝 氏は下野谷遺跡の調査にも携わり、報告書もまとめているとのことです。
本講演会では、下野谷遺跡の双環状集落について、同遺跡からの出土品である土器と他の遺跡からの出土品であ
る土器との比較等について詳しくお話をして下され、予定時間を30分も超過するほどの熱の入った講習会でした
そんな下野谷遺跡を訪ねてみたいところですが、現在のところは諸事情から叶いそうにありません。



頂いた資料の最初のページの一部分を挿入してみました


企画展「下野谷遺跡から見る風景」を開催中の早稲田大学展示室の模様

聴講日:令和6年(2024)2月24日(土)

講演会「深谷の弥生時代」

2024年02月17日 | 講演会・講座


本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
本庄早稲田の杜地域連携展覧会「弥生時代の児玉・深谷地域」講演会
第2回 深谷の弥生時代

 日 時:令和6年2月17日(土) 午後2時~午後3時30分
 会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)
 講 師:審 島 審 氏(深谷市教育委員会文化振興課)
 内 容:・深谷市内の再葬墓
     ・深谷市内の集落遺跡
     ・低地の遺跡 

を聴講してきました。



本庄早稲田の杜地域連携展覧会「弥生時代の児玉・深谷地域」は2階情報資料室で開催中


講演会の後半約30分は2階情報資料室で開催中の展覧会「弥生時代の児玉・深谷地域」の出土品の中から、
講演会講師が関係した遺跡の出土品を中心にした解説がありました。


聴講日:令和6年(2024)2月17日(土)

講演会「再葬墓の時代 ー弥生文化黎明の不思議な世界ー」

2024年01月28日 | 講演会・講座


本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
本庄早稲田の杜地域連携展覧会「弥生時代の児玉・深谷地域」関連講演会
第1回 再葬墓の時代 ー弥生文化黎明の不思議な世界ー
 日 時:令和6年1月28日(日) 午後2時~午後3時30分
 会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)
 講 師:石 川 日 出 志 氏(明治大学文学部教授)
 内 容:1. 弥生時代とはどんな時代か?
     2. 関東の弥生時代と再葬墓
     3. (壺)再葬墓の世界   
を聴講してきました。

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再葬墓(さいそうぼ)とは、一度埋葬した遺体を、白骨化してから骨壺や甕などの骨蔵器に入れて再び土
壙(穴)に埋めた墓のことである。縄文時代や弥生時代に行われていた葬法であり、特に弥生時代中期に
東日本で発達した。
               出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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本庄早稲田の杜地域連携展覧会「弥生時代の児玉・深谷地域」は2階情報資料室で開催中


平遺跡 再葬墓出土土器 神川町下阿久原   弥生時代前期後半

聴講日:令和6年(2024)1月28日(日)

忍藩・桑名藩・白河藩 三方領知替200年記念 講演会・トークショー

2023年12月24日 | 講演会・講座


忍藩・桑名藩・白河藩
三方領知替200年記念 講演会・トークショー

開催日時:令和5年12月24日(日) 13:30~15:30 (開場12:30)
会  場:行田市産業文化会館 ホール (行田市本丸2-10)
基調講演:「文政6年の三方領知替について」
       講師 鈴 木 紀 三 雄 氏(行田市立郷土博物館長)
トークショー:「忍城・桑名城・白河城―三方領知替の城―」
       春 風 亭 昇 太 氏(落語家)
       千 田 嘉 博 氏(城郭考古学者・博士)
主  催:行田市 行田市教育委員会


を聴講してきました。


開場は12:30でしたが、11:00に着きました。この時は一人も並んでいませんでしたので、忍城と(忍)東照宮
の写真を撮りに行って戻ってきましたところ10人程が並んでいました。その後、列は長くなっていきましたが、
開場までにはまだまだです。



そうして待っているとき、会館内から千田嘉博先生が出てきて列の方にやってきました。列の中の誰だかが写真
を撮らせてもらってもよいですかとお願いしますと快く承知してくれ、カメラ・スマホに顔を向けてくれ、一緒
にという方には顔を並べてくれていました。後ろの看板も一緒に写るようにと気にしていただき「大丈夫ですね。
入っていますね」と。更に先生の著書を持ってきた方がサインをお願いしますと、これにも快く応じておられま
したが10分程で会館内に戻られました。
会場内の写真・録音等は禁止されていましたので写真はありません。



三方領知替とは?  《チラシの裏面から》
三方領知替はこの200年を迎えた忍藩・桑名藩・白河藩の三方領知替だけでなく、12件が発令され、うち11件が
実施されています。
これもどこの藩でもよいというわけではなく、譜代大名の藩で格が同じ程度のもの(石高 10万石・10万石・11
万石といったように)
春風亭昇太師匠と千田嘉博先生のトークショーにおいては、トークショー開始時間前に昇太師匠が舞台に現れて、
自らが司会を務める『笑点』の話をして下さいました。
この時、昇太師匠は客席から見て舞台の左側でお話されました。昇太師匠曰く、トークショーではずっと舞台の
右側に座って話すから、今は左側のお客さんに見えるようにとのこと。
トークショーでは主に昇太師匠が話を進めていました。また、城郭の権威でありながら決して上から目線ではな
く穏やかにお話をされる千田先生でした。
お二方はお城関係の番組やイベントでもよくご一緒されており、息の合った会話を見せておりました。
「忍城・桑名城・白河城―三方領知替の城―」というテーマでしたから、この3城の解説は当然のことでしたが、
昇太師匠は土の城をこよなく愛していますのでいくつかの土の城の紹介もあり、三島市の『山中城』や嵐山町の
『杉山城』などの解説もありました。


東照宮(忍東照宮)
桑名藩から忍藩に国替えになった(奥平)松平忠堯(ただたか)が桑名から遷座したもの



埼玉古墳群の中にある(奥平)松平氏ゆかりの天祥寺にある(奥平)松平氏の墓
右から 9代忠堯 11代忠国 12代忠誠 の墓


資料と入場券

聴講日:令和5年(2023)12月24日(日)

歴史講座2「享徳の乱前後の関東」(2)足利成氏と武蔵国

2023年12月15日 | 講演会・講座


埼玉県立嵐山史跡の博物館
令和5年度  歴史講座2「享徳の乱前後の関東」     
 日 時:令和5年12月15日(金)13:50~15:30
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
 演 題:足利成氏と武蔵国 
 講 師: 長 塚 孝 氏(馬の博物館)

を聴講してきました。

『享徳の乱』とは、第5代鎌倉公方・足利成氏が関東管領・上杉憲忠を暗殺した事に端を発し、室町幕府・
足利将軍家と結んだ山内上杉家・扇谷上杉家が、鎌倉公方の足利成氏と争い、関東地方一円に拡大した14
54年(享徳3年)から1482年(文明14年)まで続いた関東の大乱。約30年間続いたこの大乱は関東におけ
る戦国時代の始まりとされ、この大乱を『享徳の乱』と名付けたのは峰岸純夫先生(東京都立大学名誉教
授)です。
享徳の乱という言葉は知っていても内容となると中々複雑で理解しきれません。



講座会場である研修棟の講堂前の街路樹の葉はすっかり落ちてしまっています


講座を終えて帰路に就く聴講生たち


国立女性教育会館本館
国は嵐山町にあるこの国立女性教育会館を今年度中に閉鎖し、機能を移転する方針を町に伝えていたそう
です。
かつてはM党政権の時に行われた事業仕分けにおいて仕分けの対象となった施設でありますが、コロナ禍
で使えなかった一時期を除き、埼玉県立嵐山史跡の博物館主催の講座・シンポジウム等においてはここの
講堂を借りて開催されてきました。しかし、閉鎖せれてしまうと仮に講堂が残ったとしても講座会場とし
て使うことは不可能になりそうです。博物館内にある講座室は数十名程度しか収容できません。
今まで通りの500人の聴講者を収容できる施設が付近にないわけではありませんが果たして利用可能かどう
かは疑問です。



本館横に咲いていたサザンカ

聴講日:令和5年(2023)12月15日(金)

講演会「群馬県地域における埴輪の受容と展開」

2023年11月25日 | 講演会・講座


「群馬県地域における埴輪の受容と展開」
 日 時:令和5年11月25日(土) 午後1時30分~午後4時
 会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)
 講 師:加 部 二 生 氏(桐生市史編集委員会原始古代部会長)
 内 容:1. はじめに
     2. 特殊器台(型土製品・埴輪)研究の現状
     3. 芝根7号墳の史的位置づけ
     4. 中期首長墳埴輪におけるパラダイムの成立
     5. 人物埴輪の出現と形象埴輪の多様化
     6. 6世紀における埴輪生産流通体制の再編
     7. 群馬県地域における埴輪の終焉

を聴講してきました。



初めて聞く用語(言葉)も多数あり、知識に乏しい自身にとっては難しい内容でした。
2週間前の5月11日(土)には、この講演会の①に当たる「埼玉県における埴輪の受容と展開」が別の講師
によって開催されましたが都合で参加できませんでした。
なお、講演会前に「ミニ企画展本庄市の古墳2 旭・小島古墳群」を見学しましたので追って投稿したい
と思います。


聴講日:令和5年(2023)11月25日(土)

シンポジウム「6世紀の東国史と埼玉二子山古墳 ー最新成果から描く継体朝前後の東日本ー」

2023年11月18日 | 講演会・講座


特別史跡埼玉古墳群シンポジウム
6世紀の東国史と埼玉二子山古墳
 ー最新成果から描く継体朝前後の東日本ー

日時:令和5年11月18日(土) 10:00~17:00(開場9:00)
場所:行田市文化センター「みらい」 文化ホール (埼玉県行田市佐間3丁目24-7)
主催:埼玉県立さきたま史跡の博物館・行田市教育委員会・埼玉考古学会
開催趣旨:
 埼玉古墳群二子山古墳の発掘調査成果を広く公開するとともに、埼玉二子山古墳と同時期に造られた
今城塚古墳(大阪府高槻市)や断夫山古墳(愛知県名古屋市)の最新の発掘調査結果を紹介します。ま
た、文献史料の研究成果も取り入れ、広い視野から埼玉二子山古墳が築かれた時代について考えます。
                      
                              《チラシ裏面の開催趣旨を転載》
内容:
  開会挨拶 栗岡 眞理子 氏(埼玉県立さきたま史跡の博物館長)
  開催趣旨 若狭 徹 氏(明治大学文学部教授)
  講演①  「埼玉古墳群の中の二子山古墳-最新の調査成果から-」
         ナワビ 矢麻 氏(埼玉県教育局文化資源課主任)
  講演② 「大王墓 今城塚古墳の実像-最新の整理成果をもとに-」
         今西 康宏 氏(高槻市立埋蔵文化財センター学芸員)
  講演③ 「断夫山古墳、尾張連氏とその周辺」
        早野 浩二氏(愛知県埋蔵文化財センター調査研究専門員)
  講演④ 「埼玉二子山古墳の墳丘とその意義」
         城倉 正祥 氏(早稲田大学文学学術院教授)
  講演⑤ 「6世紀前半の倭王権と東国豪族」
        河内 春人 氏(関東学院大学経済学部准教授)
  講演⑥ 「古墳からみた継体朝期の東国像」
        若狭 徹 氏(明治大学文学部教授)
  総合討議「6世紀の東国史と埼玉二子山古墳」
        コーディネータ:若狭 徹 氏
        パネリスト:講演者全員、藤野 一之 氏(埼玉考古学会・駒澤大学文学部講師)
  閉会挨拶 (行田市教育委員会)
に参加してきました。
途中2回の休憩を挟んでではありましたが、40分の講演が6本、総合討議は90分という長丁場でした。
古墳はよく訪ね歩いていますが、ただ単に「これは大きな前方後円墳だ!」、「石室が開口しているぞ」
といった程度の知識しか持ち合わせていませんので、正直、難しい内容のお話ばかりでした。さらに継体
朝との関係もあり、いかに知識不足かを痛感した次第です。



シンポジウム会場の看板


今回のテーマでもある二子山古墳 墳丘長132.2mとされる埼玉二子山古墳は、古墳時代後期の東国では
七輿山古墳(群馬県藤岡市)に次ぐ前方後円墳で、埼玉県では最大の規模を誇ります。
既に何度か訪ねており写真もあるのですが、シンポジウム開始前にあらためて訪ねて撮ってきた写真です。


今回のシンポジウムに登場する東国最大の七輿山古墳(国指定史跡・墳丘長145m) 近くではで全体の
写真が撮れませんので少し離れたところから撮ってみましたがやはり全体は入りませんでした。



シンポジウム資料(¥500) 購入は任意ですがほとんどの方が購入していました。
壇上での講演はありませんでしたが、藤野一之氏(埼玉考古学会・駒澤大学文学部講師)の「二子山古墳
出土土器からみる6世紀の葬送儀礼」が紙上報告されています。


聴講日:令和5年(2023)11月18日(土)