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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

照岩寺の芭蕉句碑(埼玉県行田市)

2021年05月26日 | 歌碑・句碑


 句 : 父母の しきりに恋し 雉子の声
     (ちちははの しきりにこいし きじのこえ)     

出 典: 『笈の小文』 貞亨5年(1688) 芭蕉45歳の時の句
所在地:埼玉県行田市北河原(旧・北埼玉郡南河原村) 照岩寺
建立年:明治元年(1868)
建立者:-




照岩寺は泉福山瑠璃光院と号する臨済宗円覚寺派の寺です




芭蕉の句碑は本堂と無縁塔の間に建立されています




芭蕉の句碑とは関係はありませんが、河原太郎高直・同次郎忠家兄弟及び森和泉入道道本の供養塔

平安時代、この地域を支配していた豪族の河原兄弟は、安元2年(1176)蒲の冠者範頼(源範頼)
の陣に加わり、源平一の谷の合戦生田の森(現:神戸市)の戦いでは、源氏方の先陣の功をたて、
壮絶な戦死を遂げた活躍が伝えられています。
両人の後見人でもあった森道本入道が兄弟の討死後、その遺体を摂津の国に葬り、郷里である当
地に寺を建立したのが、照岩時の創立と伝えられるとのこと。
この河原氏兄弟塔と家臣森和泉入道道本の供養塔は昭和62年(1987)に建立。
なお、河原兄弟の館があった場所は、同市南河原地内の観福寺付近と言われます。
   【河原氏館と国指定史跡「南河原石塔婆」】

散策日:令和3年(2021)5月1日(土)

藤原町の芭蕉句碑(埼玉県行田市)

2021年05月25日 | 歌碑・句碑


 句 :  春もやや けしき調ふ 月と梅
     (はるもやや けしきととのう つきとうめ)

出 典:『続猿蓑』 元禄6年(1693)春 芭蕉50歳の時の句
所在地:埼玉県行田市藤原町2丁目 竹内家墓所内
建立日:寛政5年(1793)10月12日、芭蕉の百回忌に建立
建立者:不明




句碑は覆い屋で保護されています
円の中に句が刻まれていますが、摩耗しており肉眼でも判読が難しい




見つけ辛い場所にあります
句碑は墓所を入ってすぐの右側にあります




このお堂を「赤いお堂」と呼ぶようですが、近年、塗り替えをしたようで現在は茶色に見えます

散策日:令和3年(2021)5月1日(土)

大長寺の芭蕉句碑(埼玉県行田市)

2021年05月22日 | 歌碑・句碑


 句 : 古池や 蛙飛びこむ 水の音
     (ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)

出 典: 『蛙合』  貞亨3年(1686) 芭蕉43歳の時の句
所在地:埼玉県行田市行田23-10 大長寺
建立年:江戸期  
建立者:不明
指 定:行田市市指定記念物(名称:大長寺の芭蕉句碑 平成5年〔1993〕3月31日指定)




句碑の脇に設置されている「大長寺の芭蕉句碑」説明板




大長寺は 亀通山行田院 と号し、忍藩主阿部家の菩提所
寺紋は「丸に三つ葉葵」紋
芭蕉句碑は山門の手前右側に建立されています




大仏

散策日:令和3年(2021)5月1日(土)

野田 白髭神社の芭蕉句碑(埼玉県入間市)

2021年05月18日 | 歌碑・句碑


 句 : 都出でて 神も旅寝の 日数哉
     (みやこいでて かみもたびねの ひかずかな)

出 典:『俳諧雨の日数 』 元禄4年(1691) 芭蕉48歳の時の句
所在地:埼玉県入間市野田562‐1 白髭神社
建立年:明治42年(1909)9月
建立者:不明



野田 白髭神社参道




芭蕉の句碑は社殿の左側に他の石碑と共に建立されています

散策日:令和3年(2021)3月30日(火)

笹井 白髭神社の芭蕉句碑(埼玉県狭山市)

2021年05月17日 | 歌碑・句碑


 句 : 武蔵野や 一寸ほどの 鹿の声
     (むさしのや いっすんほどの しかのこえ)

出 典:『 俳諧当世男』 延宝3年(1675)芭蕉32歳の時の句
所在地:埼玉県狭山市笹井1962 白髭神社
建立年:不明   
建立者:不明



笹井 白髭神社参道入口
芭蕉の句碑は鳥居を潜ってすぐの左側に建立されています




満開の桜と拝殿

散策日:令和3年(2021)3月30日(火)

観音寺の芭蕉句碑(埼玉県飯能市)

2021年05月16日 | 歌碑・句碑


 句 : 枯枝に 鴉のとまりけり 秋の暮
     (かれえだに からすのとまりけり あきのくれ)

出 典:『阿羅野 』 延宝8年(1680) 芭蕉37歳の時の句
所在地:埼玉県飯能市山手町5‐17 観音寺
建立年:寛政年間
建立者:飯能の俳人轍之




観音寺参道
芭蕉の句碑は参道を入って少しした右側に建立されています




アニメ『ヤマノススメ』の物語の舞台は飯能市だそうです。天覧山や飯能河原などが登場し、第4
話ではここ【観音院】も登場したようです。
そんなことから観音寺の絵馬はこのアニメのキャラクター。しかし、放送から何年も経ってしまっ
たせいでしょうか古いものばかり・・・

散策日:令和3年(2021)3月30日(火)

石戸宿の芭蕉句碑(埼玉県北本市)

2021年05月13日 | 歌碑・句碑


 句 : 原中や 物にも付かず 鳴く雲雀
    (はらなかや ものにもつかず なくひばり)

出 典: 『あつめ句』 貞亨4年(1687)芭蕉44歳の時の句
所在地:埼玉県北本市石戸宿4丁目 路傍
建立年:嘉永4年(1851)
建立者:石戸連




桶川市川田谷との境界付近、県道57号さいたま鴻巣線の三叉路脇にある「榎堂」に並んで句碑は
あります。




   芭 蕉 句 碑
                         所在地 北本市大字石戸宿
 松尾芭蕉は、江戸時代前期の俳人であり、各地を旅して多くの名句と紀行を残した。有名な
作品として「野晒紀行」・「更科紀行」・「奥の細道」・「嵯峨日記」などがある。
 埼玉県には約百基の芭蕉句碑があるといわれているが。この石戸宿所在のものも、その一つ
である。
 この句碑は嘉永四年(一八五一年)の建立で、表面に芭蕉の
   原中や 物にもつかず 啼雲雀 
の句を四行に刻み、裏面には地元や川越等俳句同好者の句が二十句刻まれている。
 この句碑は高さ八一センチメートル・幅一五八メートルの大きさで、一部破損しているが、
ほぼ完全な形で残っており、江戸時代末期の地方文化を証明する資料として貴重である。
 昭和六十一年三月
                               埼玉県・北本市

散策日:令和3年(2021)3月26日(金)

妻沼聖天山の芭蕉句碑 3基(埼玉県熊谷市)

2021年05月12日 | 歌碑・句碑
【其の一】


 句 : 稲妻や 闇の方行く 五位の声
     (いなづまや やみのかたいく ごいのこえ)

出 典: 『続猿蓑』  元禄7年(1694)7月 芭蕉51歳の時の句とされる
建立年:文化9年(1812)7月
建立者:地元の歌人五翁・角浪・可良久・五渡・五楼




本殿と鐘楼の間に建立されています


【其の二】


 句 : 物いへば 唇寒し 秋の風
     (ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)

出 典: 『芭蕉庵小文庫』  貞亨元年1684)から元禄年間ではあるが作句年詳細が不明
建立年:大正11年(1922)
建立者:西田聖池庵




鐘楼の西側 二十三夜塔の脇に建立されています  背後の木は「夫婦(めおと)の木}


【其の三】


 句 : 古池や 蛙飛びこむ 水の音
     (ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)

出 典: 『蛙合』  貞亨3年(1686) 芭蕉43歳の時の句
建立年:大正12年(1923)
建立者:西田聖池庵




碑の上部に「古池や・・・」が刻まれ、下に地元の俳人13人の号と句 
碑の裏面に7賛助員7名の号 聖池庵 西田氏建立とある




平和橋の東側にある遊園地のブランコの後ろに句碑は建立されています
中央の大きな碑は「日露戦役凱旋記念碑」で、その左側に小さく見えるのが句碑

以上3基の所在地:埼玉県熊谷市妻沼1511(旧・大里郡妻沼町) 妻沼聖天山

散策日:令和3年(2021)3月14日(日)

妻沼公民館の芭蕉句碑(埼玉県熊谷市)

2021年05月11日 | 歌碑・句碑


 句 : むざんやな 甲の下の きりぎりす
     (むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)

出 典: 『奥の細道』  元禄2年(1689)3月27日 芭蕉46歳の時の句
所在地:埼玉県熊谷市妻沼1520‐3(旧・大里郡妻沼町) 妻沼公民館
建立年:昭和54年(1979)
建立者:斎藤別当実盛公顕彰句碑建設の会

※この句は、多太神社(石川県小松市)で所蔵する、白髪を黒く染めて挑んだ篠原合戦で討死した
斎藤別当実盛の兜を見て詠んだものとのことです




芭蕉の句碑は、妻沼公民館の庭の奥に建立されています。公民館のあるこの場所は、長井庄(熊谷
市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が建立した聖天山に接しており(聖天山の敷地内、或いは
敷地の一部であった?)、齋藤別当実盛のゆかりの場所です。
句碑は、昭和54年春、妻沼聖天山開創八百年記念に斎藤別当実盛公顕彰句碑建設の会が建立したも
のです。




聖天宮の境内にある【斎藤別当実盛公像】 妻沼公民館から約100mの場所
白髪頭で若殿のごとく先駆けを争うのも大人げないと髪を墨で黒く染めている実盛
この実盛は、木曽義仲を追討するため、北陸に出陣しましたが、加賀国の「篠原の戦い」で討ち死
しました。
実盛の傍らにある兜が、木曽義仲が実盛の供養と戦勝を祈願して、多太神社に奉納したもので、芭
蕉はこの兜をみてこの句を詠んだとされます。

散策日:令和3年(2021)3月14日(日)

大我井神社の芭蕉句碑(埼玉県熊谷市)

2021年05月10日 | 歌碑・句碑


 句 : 春の夜は 桜に明けて しまいけり
     (はるよのは さくらにあけて しまいけり)

出 典: 『翁草』  貞亨元年(1684)41歳頃から死の元禄7年(1654)51歳までの間の句
所在地:埼玉県熊谷市妻沼1480(旧・大里郡妻沼町) 大我井神社
建立年:大正7年(1918)
建立者:発願者として青蛙 西田平吉等5名の名が刻まれている




【大我井神社】
鳥居をくぐった参道左側にあるのが社務所




社務所横の一角に建立されている芭蕉の句碑

散策日:令和3年(2021)3月14日(日)