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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

慈光寺の芭蕉句碑(埼玉県ときがわ町)

2021年08月21日 | 歌碑・句碑


 句 : あかあかと 日はつれなくも あきの風
     (あかかと ひはつれなくも あきのかぜ)

出 典: 『奥の細道』  元禄2年(1689)芭蕉46歳の時の句
所在地:埼玉県比企郡ときがわ町西平(旧・都幾川村) 慈光寺山門跡地青石塔婆群
建立日:不詳
建立者:東都宗明?



【碑陰】
  當山九十四世之時
    東都⊡⊡坊
       建之




芭蕉の句碑は、この慈光寺山門跡地青石塔婆群の中に建立されています
『青石塔婆』の名称で、埼玉県指定有形文化財(考古資料)となっています

散策日:令和3年(2021)6月13日(日)

多武峯の芭蕉句碑(埼玉県ときがわ町)

2021年08月07日 | 歌碑・句碑


句 : 梅が香に のっと日の出る 山路かな
    (うめがかに のっとひのでる やまじかな)

出 典:『炭俵』 元禄7年(1694)春  芭蕉51歳の時の句
所在地:埼玉県比企郡ときがわ町西平(旧・都幾川村) 武藤家
建立日:文化9年(1809) 元は小川町上古寺の梅松院にあった
建立者: 梅松院




元は小川町下古寺の梅松院に建立されていたが、梅松院が火災で焼失したため多武峯(とうのみね)
の武藤家の庭に移された
写真中央の木の根元

いつの頃移されたかは分りませんが、武藤家はかつて修験道場でありましたし、梅松院も修験寺で
あったようですのでそのつながりかも知れません

このように(武藤家に移されて現存しているが)かつて小川町にあった「梅が香に のっと・・・」
の句碑を小川町の婦人会は再建しようと平成3年に小川町内の春日公園に碑の形こそ違え「「梅が香
に のっと・・・」の句碑を建立しました。




芭蕉の句碑
高さ50㎝ほどの自然石を利用したもの




上の写真の芭蕉句碑はこの高台にあります

散策日:令和3年(2021)6月13日(日)

関根家の芭蕉句碑(埼玉県東松山市)

2021年07月29日 | 歌碑・句碑


句 : 名月の 花かと見えて 綿畠
    (めいげつの はなかとみえて わたばたけ)     

出 典: 『続猿蓑』 元禄7年(1694) 芭蕉51歳の時の句
所在地:埼玉県東松山市上野本 関根宅 
建立年:明治28年(1895)4月 芭蕉の二百回忌を記念して建立
建立者:関根家の先祖
備 考:当時の野本村では畑一面に綿花が栽培されていたようです




【碑陰】
 何とか読もうとしましたが苔がだいぶ生えていますので読めませんでしたが、
 最後の建立年月だけはどうにか判読できました。




梨畑の中に句碑は建立されていました。最初はどこにあるのかわからず諦めて離れたのですが、ど
うしても気になって再度行って探したところ、最初に探した場所と90度方向が違っていました。
(家の方には許可を頂きました)

散策日:令和3年(2021)6月3日(木)

愛宕神社の芭蕉句碑(埼玉県入間市)

2021年07月11日 | 歌碑・句碑


 句 : ひらひらと 挙ぐる扇や 雲の峰 
     (ひらひらと あぐるおおぎや くものみね)

出 典: 『笈日記』  元禄7年(1654)6月 芭蕉51歳の時の句
所在地:埼玉県入間市豊岡3-7-32 愛宕神社
建立年:不明 
建立者:惣連中 蟻友(吉原宗治)




社号標と鳥居(左側)の間に見えるのが芭蕉の句碑




「芭蕉翁句碑説明板」




【碑陰】
     惣連中 蟻友   當所 安藤義眞彫

句には「扇」という言葉が入っていますが、この愛宕神社の御神体は「五本骨の扇」です。
所在地である「豊岡」の地名については、明治22年(1889)4月1日、扇町屋村・黒須村・高倉村・
善蔵新田が合併してできた地名(豊岡町)。昭和31年(1956)、豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村、
西武町の一部が合併して武蔵町となり昭和41年(1966)市制施行で入間市となるが、現在も町名と
して扇町屋の名が残っています。
この扇町屋という地名の由来は幾つかあるようで、そのひとつに愛宕神社の御神体である「五本骨
の扇」があるとのことです。
長々と書いた割には分りづらい文章になってしまいましたが、句碑に敢えて「扇」という言葉があ
る句を選んだのは、もしかしたら「五本骨の扇」・「扇町屋」を意識してのことかと勝手に推測し
てみました。

散策日:令和3年(2021)5月30日(日)

喜多窪地蔵堂の芭蕉句碑(埼玉県長瀞町)

2021年07月01日 | 歌碑・句碑


 句 : 榎の実ちる むくの羽音の はつ嵐 
     (えのみちる むくのはおとの はつあらし)

出 典: 『泊船集』  元禄6年(1653)芭蕉50歳の時の句?
所在地:埼玉県秩父郡長瀞町矢那瀬 喜多窪地蔵堂
建立年:不明 
建立者:矢那瀬連中(碑陰に ヤナセ連中 とあり)




         芭蕉                 ヤナセ  連中




芭蕉の句碑は「矢那瀬の石幢」の横に建立されています




小さな句碑ですので見落とすおそれがあります

散策日:令和3年(2021)5月28日(金)

観音寺の芭蕉句碑(埼玉県熊谷市)

2021年06月27日 | 歌碑・句碑


 句 : 寺に寝て まこと顔なる 月見かな
     (てらにねて まことがおなる つきみかな)

出 典: 『鹿島紀行』  貞亨4年(1687)8月 芭蕉44歳の時の句
所在地:埼玉県熊谷市下増田(旧・熊谷市) 浄恩寺
建立年:不明
建立者:不明

この句は芭蕉が鹿島詣での折根本寺に於ける作句の一つで、桃青の名で詠んでいる。
碑は建立年不明なるも幾星霜風雪にさらされ泥砂にまみれたるにまかせたので、その損傷を惜み、
昭和45年(1970)築山を設けてここに移してたとのこと




【浄恩寺本堂】  真言宗智山派のお寺で大悲山慈眼院観音寺と号します




本堂前で草むしりをしていた住職の奥さんに句碑の場所をお尋ねし、写真撮影の許可をお願いした
ところ、わざわざ築山まで案内してくれたうえ、句碑の前に生えていた雑草まで取り除いていただ
きました 多謝

散策日:令和3年(2021)5月20日(木)

浄恩寺の芭蕉句碑(埼玉県寄居町)

2021年06月21日 | 歌碑・句碑


 句 : 古池や 蛙飛びこむ 水の音
     (ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)

出 典: 『蛙合』  貞亨3年(1686) 芭蕉43歳の時の句
所在地:埼玉県大里郡寄居町保田原 浄恩寺
建立年:不明
建立者:不明

この句碑は割れた状態で建物の壁に立て掛けてありました。
庭の手入れをしていた住職の奥さんにお聞きしたところ、「46年前にここに来たらあったもので、
誰がいつ建てたかは分りません」とのお話でした。




【浄恩寺】 浄土宗のお寺さんで池野山観音院浄恩寺と号します




丸印のところに句碑は立て掛けられています

散策日:令和3年(2021)5月20日(木)

金鑚神社の芭蕉句碑(埼玉県神川町)

2021年06月15日 | 歌碑・句碑


句 : 行春や 鳥啼魚の 目は泪
    (ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)     

出 典: 『奥の細道』 元禄2年(1689)芭蕉46歳の時の句
所在地:埼玉県児玉郡神川町二ノ宮(旧・児玉郡神泉村) 金鑚神社
建立年:-
建立者:-




『金鑚神社多宝塔』(国指定重要文化財)
天文3年(1534) 阿保郷丹荘の豪族阿保弾正全隆が寄進
金鑚神社を訪ねたのは平成30年(2018)2月以来のことでした




朱色の欄干の『義家橋』   
源頼義、義家親子が前九年の役に出陣する途中この地で戦勝祈願し、橋を架けたといわれる。
義家橋を渡り鳥居を抜けると社殿に




『金鑚神社拝殿』
金鑚神社は、日本武尊が東征の際に創建したと伝えられ、武蔵二ノ宮に位置づけられています。
この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。旧官・国幣社の中で本殿が
ないのはここのほか、全国でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。




拝殿を過ぎて御嶽山登山口から御嶽の鏡岩をを経由して御嶽山に至りますが、登山口の左側に芭蕉
の句碑が建立されています
句碑の右側にある石標には【鏡岩 句碑の丘→】と刻まれていて
登山道の端には数え切れないほどの句碑が建立されています

散策日:令和3年(2021)5月9日(日)

如来堂の芭蕉句碑(埼玉県行田市)

2021年06月02日 | 歌碑・句碑


句 : あの雲は 稻妻を待つ たより哉
    (あのくもは いなずまをまつ たよりかな)     

出 典: 『阿羅野』 貞亨5年(1688) 芭蕉45歳の時の句
所在地:埼玉県行田市須加 如来堂(阿弥陀堂)
建立年:文久2年(1862)
建立者:当所連




【碑陰】
  文久二年正月吉日
     當初蓮
        曲山




如来堂(阿弥陀堂)




「阿弥陀堂縁起」

散策日:令和3年(2021)5月1日(土)

天神社の芭蕉句碑(埼玉県行田市)

2021年06月01日 | 歌碑・句碑


句 : 名月や 池をめくりて 夜もすから
    (めいげつや いけをめぐりて よもすがら)     

出 典: 『あつめ句』 貞亨3年(1686) 芭蕉43歳の時の句
所在地:埼玉県行田市上池守 天神社(天満宮)
建立年:-
建立者:-




上池守の天神社
この場所は熊谷市との境にあります。元は北埼玉郡星宮村上池守
昭和30年(1955)7月20日、北埼玉郡星宮村が行田市に編入
同年10月1日熊谷市に一部(行田市に編入した旧星宮村の一部)が編入
上記のような途中経過はありますが旧星宮村は分村して行田市と熊谷市に分かれたわけです
このことから、行田市と熊谷市の双方に星宮小学校、星宮公民館が存在しています




芭蕉の句碑は社殿の左方に建立されています(写真の中央)

散策日:令和3年(2021)5月1日(土)