四季・めぐりめぐりて

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河原氏館と国指定史跡「南河原石塔婆」(埼玉県行田市)

2019年11月05日 | 100名城以外の城館跡


城 名:河原氏館(かわらしやかた)
別 名:-
形 態:館
時 期:平安時代末期
築城主:(私市)河原成方?
城 主:河原太郎高直・次郎盛直
遺 構:-
指 定:-
現 況:観福寺
所在地:埼玉県行田市南河原1503(旧北埼玉郡南河原村)

平安時代末期の寿永3年(1184)に行われた源平合戦のひとつ、摂津国生田の森(兵庫県神戸市中央区)
の合戦で、平氏方に兄弟二人にて先駆けを行ったが、多勢に無勢で弓の名手として西国で勇名であった備
中の国の住人真名辺四郎、五郎兄弟の矢で討死した河原太郎高直・次郎忠家(盛直)の館が、この観福寺
付近にあったと伝えられます。
河原氏は武蔵七党私市党の出身とされ、私市則房の子成方は北埼玉郡や大里郡を転々としたのち、北埼玉
郡河原村に住むことになり河原権守を称したのが河原氏の始まりとされるようです。




観福寺山門




本堂と護摩堂(右)




鐘楼




境内
駐車場を含む観福寺境内に館跡を偲ばせる遺構はありません。
また、観福寺を囲むように水路がありましたが、館があった時代の堀跡とは考えられず、現代の用水路と
思料します。




観福寺境内にある国指定史跡「南河原石塔婆」の覆屋




名 称:南河原石塔婆(みなみがわらいしとうば)
区 分:国指定記念物
種 別:史跡
員 数:2基
指 定:昭和3年(1928)2月7日
時 代:鎌倉
形 状:文応二年銘の板碑:台上高263cm、幅65cm、厚さ9cm
    文永二年銘の板碑:台上高187cm、幅58cm、厚さ6.5cm




「南河原石塔婆」の覆屋




覆い屋の中に掲げられている 国指定史跡「南河原石塔婆」説明板




2基の石塔婆




左:文応二年銘の板碑  右:文永二年銘の板碑




【武蔵あばれ太鼓】
平成20年(2008)10月に行われた「ときがわもみじ太鼓まつり」での打奏の一場面
武蔵あばれ太鼓は埼玉県行田市に編入合併する前の平成元年(1989)4月、北埼玉郡南河原村で村制施行
100周年を機に発足した和太鼓チーム。メイン曲は、河原太郎・次郎兄弟の一ノ谷合戦における大手生田
の森の先陣物語(平家物語に記述)を和太鼓に表現した『河原兄弟 一の谷先陣太鼓』です。この打奏で
は、生田の森の先陣物語のナレーションが入りますので、さながら合戦の場にいるかのような気になりま
す。機会あったら是非『河原兄弟 一の谷先陣太鼓』の打奏を見聞してみたらいかがでしょうか。
ここでの写真は古いものを使いましたが、つい半月ほど前にも、この『河原兄弟 一の谷先陣太鼓』を楽
しんできました。

訪館日:令和元年(2019)11月2日(土)

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