AKB48の旅

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「この涙を君に捧ぐ」再び

2014年01月16日 | AKB
2013年にリリースされたAKB関連曲で、最も繰り返し聞いた回数が多いのは、「恋するフォーチュンクッキー」かもしれない。けれども、時々思い出しては聞き返す、そんな言わばマイ・スタンダードな曲となると、「After rain」「この涙を君に捧ぐ」そして「君の名は希望」の3曲になるだろうか。3曲とも楽曲としてだけでなく、その纏う物語が素晴らしい。

「After rain」が、高橋さんへの当て書きであるというのは、私的には確信を越えて「事実」認定なんだけど、今ググって見ても、そんなことを言ってる人はいないっぽい。それでも、とりわけ間奏部分のフォーメーションを見れば、それは間違いないことと言い張ろう。この件は、17日のミュージック・ステーションでの披露の後、またしつこく取り上げるかも知れない。

「君の名は希望」についても、思うところはあらかた書き尽くしたと思う。この歌は、後付けになるのかも知れないけど、佐久間氏と生田さんの物語へと昇華した。

「この涙を君に捧ぐ」については、いちおう以前にエントリは書いたけど、そこで扱ったのはMVとライブのことのみだったはず。楽曲そのものについては、先日の小林よしのり先生の「大東亜論」関連で、たぶん唐突な感じで、ちょこっと触れた。

歌詞の内容については、かなり抽象度が高いということもあって、これを「当て書き」と見なすと、どうしても妄想度が高くならざるを得ない。アニメ「AKB0048」を見てないというハンディもある。それでも無謀にも、これが「当て書き」であるとして考えて見ると、その「当て」が誰であるかによって、あるいは背景とする物語によって、歌詞の解釈が大きく変わることが分かるように思う。

まず一番無難そうなところで、これがNO NAMEへの当て書きであるとすれば、これは声優になるという夢と、それに光を当て、チャンスの順番を用意する秋元氏という枠組みということになる。もちろん、それで良いのかも知れない。けれども、実際の歌詞は格調高く壮大なわけで、ちょっとミスマッチ感があるんじゃないか。

では、というわけで、歌詞の抽象性にかこつけて、話を拡張してみよう。手がかりになるのは「種」という比喩。「種」という言葉が印象的な楽曲と言えば、それは「PIONEER」じゃないか。つまりは、これは「PIONEER」の姉妹曲みたいなものと見なすことが可能であり、とすれば、この場合の「当て」は、AKBそのものということになる。こっちの方が、しっくり来ないだろうか。

さらには、既に「大東亜論」関連で触れたように、「漂流教室」繋がりの「未来に蒔かれた種」という捉え方を、そっと提起したい。AKBムーブメントを、日本文化のアジアへの浸透という視点で見た場合、それは、かつて撒かれた先人達という「種」、忘れ去られたかに思われた無数の屍に降り注ぐ慈雨となって、今その思いに応えよう、その無念に報いようという鎮魂のメッセージと見なすことができる・・・。

もちろんのこと、秋元氏にそんな視座があるとは思えない。けれども、そんな思いを勝手に馳せることができる、そんな、それこそ神曲になってる、そう勝手に思い込むというのは悪くない。