AKB48の旅

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AERA No.2 秋元康 特別編集長

2014年01月07日 | AKB
例によっての能書きだけど、AKBファンになってなければ、AERAなんて雑誌を購入するなんて事はなかったろうなあ。表紙が有吉先生だけど、これも秋元編集長の要請なんだろうか。「表紙の人」の編集者の記述は微妙だけど、秋元氏の「巻頭言」の内容にはしっくりくる人選。

その「巻頭言」がなかなか読ませる。「秋元哲学」なるものがあるとすれば、正にそのど真ん中な事が書かれてる。キャッチフレーズとしては「ムリと言わない日本」を持ってきてるけど、これは要するにリミッターを外そうと言うことと同義だろう。

日本が素晴らしいのは、良く言われるように、水と安全がタダなところ、そして人が繊細で思いやりがあって社会構造が精緻なところだろう。とにかくかゆいところよく手が届く。転ばぬ先の杖という名の保険が行き届いてる。あらゆるところに注意書きがあって、事前に危険を回避できるようになってる。そういう社会の在り方は、高度成長期など、それなりにリスクを取ってる時には、いろいろと良循環を生むこともあったろう。

けれども、秋元氏が言うように、これが現況のような「個が閉鎖してる」「引きこもり社会」になってしまうと、正にデフレスパイラルのごとく、悪循環へと陥ってしまう。あらゆるところに張り巡らされた安全装置の内側で、ぬるま湯に浸かった状態、それが時代の閉塞感とイコールになる。自身にとっての安寧な状況が、未来のない、希望を持てない閉塞感と表裏関係なんだから、そっから脱出する、状況を打破するなんて事は微塵も考えられない。

そんな安全装置なんか、全部解除してしまえ。秋元氏はストレートに「自分のブレーキ装置を外せ」と語ってる。正にAKBがそうであったように、「無理=誰もやってない」から始まって、予定調和を崩し続け、失敗を恐れずに、失敗しても諦めずに修正して、「人の行く裏に道あり花の山」を実践し続ける。

以前に「思い出せる君たちへ」の論評の中で、松井Rさんについて、自らを守るためのリミッターを外してる、松井Jさんについて、最初から守ろうとしない、リミッターが存在しない、須田さんについて、リミッターの設定が常人離れして高い、そんなことを書いた。一つの例としては、正にあれのことでもあるだろう。いろんな意味での「外部性」との戦いと表現しても良い。

ついでになるけど、秋元氏と大島さんの「密談」も面白かった。