先日の「規模と革新」を書いていて、ああこれだ、と腑に落ちるものがあった。本ブログの積み残し懸案事項であるところの、なぜ前田敦子なのか、なぜ高橋みなみなのか問題。この二人が特別な存在であることは、秋元康自らそう言ってるし、私自身も何度も自答し、確認を繰り返した。その理由にようやく辿り着けたのかもしれない。やはり答えはシンプルだったか。
「普通の子がアイドルになるということ」これに尽きてるんじゃないか。2005年当時のスカひら5。大島麻衣さんはもちろん、小嶋さんにしても当時は「芸能人」的に振る舞っていたように思う。以前は不用意に「我欲」と表現してみたけど、単なる欲望の範囲を超えた、きつめに表現するなら、自身の容姿に対する絶対的自信、他とは違うという選民意識と、であるが故に「芸能人」を志す、そんな強い意思を発散していたように思う。
いやになるほど褒めまくられ、うんざりするほどモテまくる、そんな経験でもない限り、いやそれに加えて、前に出たがる積極的な性格や強い思い込みでもない限り、自身の容姿への確信や「選民意識」は持ちようがないんじゃないか。単なる勘違いならともかくね。
「普通の子」は自信なんかそうそうもてるものではないし、特に小中学生くらいの女子の場合、目立つことを避けがちなもの。正に前田敦子がそうであったように。そして、秋元康の意図とは、正にそんな「普通の子」をアイドルにすることにあったんじゃないか。
高橋みなみはというと、「普通」とは少し違ってはいたようにも思うけど、やはり「芸能人」的ではなかったことは間違いないだろう。前田敦子ほど分かりやすくはないけど、その後の経歴が、歴史が、すべてを物語っているように思う。
つまりは、ルールを変えること。芸能人とは**である。オーディションの選考基準は斯く斯くである。実際にそんなものがあるかどうかは知らないけど、選び出すからにはそれなりの根拠があったはず。秋元康は、これまでに無数のオーディションなりセレクションなりを経験してきてる。そんな中での確信があったのか、一番の根幹のところを揺るがした、ブレークスルーしてしまったんじゃないか。
現在進行形の48Gから逆算して、原点である前田敦子に遡るという思考実験から、そんな結論が導き出せるように思うんだけどね。
「普通の子がアイドルになるということ」これに尽きてるんじゃないか。2005年当時のスカひら5。大島麻衣さんはもちろん、小嶋さんにしても当時は「芸能人」的に振る舞っていたように思う。以前は不用意に「我欲」と表現してみたけど、単なる欲望の範囲を超えた、きつめに表現するなら、自身の容姿に対する絶対的自信、他とは違うという選民意識と、であるが故に「芸能人」を志す、そんな強い意思を発散していたように思う。
いやになるほど褒めまくられ、うんざりするほどモテまくる、そんな経験でもない限り、いやそれに加えて、前に出たがる積極的な性格や強い思い込みでもない限り、自身の容姿への確信や「選民意識」は持ちようがないんじゃないか。単なる勘違いならともかくね。
「普通の子」は自信なんかそうそうもてるものではないし、特に小中学生くらいの女子の場合、目立つことを避けがちなもの。正に前田敦子がそうであったように。そして、秋元康の意図とは、正にそんな「普通の子」をアイドルにすることにあったんじゃないか。
高橋みなみはというと、「普通」とは少し違ってはいたようにも思うけど、やはり「芸能人」的ではなかったことは間違いないだろう。前田敦子ほど分かりやすくはないけど、その後の経歴が、歴史が、すべてを物語っているように思う。
つまりは、ルールを変えること。芸能人とは**である。オーディションの選考基準は斯く斯くである。実際にそんなものがあるかどうかは知らないけど、選び出すからにはそれなりの根拠があったはず。秋元康は、これまでに無数のオーディションなりセレクションなりを経験してきてる。そんな中での確信があったのか、一番の根幹のところを揺るがした、ブレークスルーしてしまったんじゃないか。
現在進行形の48Gから逆算して、原点である前田敦子に遡るという思考実験から、そんな結論が導き出せるように思うんだけどね。