御所の東にある「建春門」の前
大宮御所の北側に
学習院の発祥の地があります
立札の横に珍しい木が目印です
パッと見はよく分かりませんが
松の木が倒れてその幹に
桜の木が生え出てきたのです
根元からボッキリ折れて
松の幹が栄養分となって
さくらを育てたのでしょう
その跡地をちょっと歩いてみると
奥に、
バッタが原と立札があります
京都御苑では自然の生き物を
大事にされていて
ここはバッタの遊び場なのかも
しれませんね!
コオロギの里というところも
ありますので。
公卿の師弟育成のための学問所
として仁孝天皇が発願し
1845年建春門外の500坪の土地に
建立されました
しかし、仁孝天皇は
講堂の建築に着手したところで
崩御、翌年の
1847年に開校されました。
この時、仁孝天皇の命を受けて
指揮に当たったのが
三条実万(さねむつ)です
尊王攘夷で活躍した方で
安政の大獄では幽棲され
安政6年には落飾して僧籍を持たれ
明治天皇からは「忠成公」の贈名を
頂かれています。
その方をお祀りしたのが
「梨木神社」です。
御所の東側にあります。
拝殿を迂回して本殿へ
色々のご苦労を思いつつ
お参りして
振り返ってみると
もう枯れてはいますが
萩の花が枯れながらも
美しかったであろう
その姿をとどめています。
その学習院も開校したときは
幕末で
気鋭の公家や志士たちの
尊王攘夷の温床となった
ということです。
1849年孝明天皇より
「学習院」の額が下賜されています
ちょうど今はよくテレビでも
幕末の歴史が取り上げられています
梨木神社の三条実万という方も
調べていくと
なかなかおもしろいことが
わかってきます。
最近、なんとなく点として
見ていたものが
つながりを見せてくるのは
興味が一層湧いてきます。
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