本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「ボールが止まって見える!」

2013-11-01 17:38:20 | 住職の活動日記

 『 ボールが止まって見える 』

先日亡くなられた 「 川上哲治さん 」 の

名言です。

 

 「 ボールが止まって見える 」

       …   

 「 止まって見える 」

これは、こういう風にも書けるのでは ?

  「 まって える 」 

 

 今読んでいる 『 十地経 』 というお経の

第七地 の中心課題は

『 双行 』 ( そうぎょう ) 二つの行です。

その二つが 『 止観 』 ( しかん ) ということです。

「 摩訶止観 」 という言葉もあり、

仏教の根本の概念です。

「 止 」 と 「 観 」、

止 - という字は 「 静 」 

観 - という字は 「 動 」

だから、 「 止観 」 ということは動と静が一緒になった、

「 動静一如 」 ということになります。

動と静ということは反対の性格のものです。

それが一つになってくる。

性格の反対のものが一致してくる。

 

 仏教では正反対のものが一致してくる

という表現をとります。

「 止 」 と 「 観 」 、 「 静 」 と 「 動 」

これは反対概念で矛盾していることは違います。 

西洋では弁証法ということでいっているようです。

 しかし、仏教では論理的に一致してくる、

ということではなくて、

実践的に一致してくる、と説いています。

 

 好きな言葉に 「 熟練 」 ということがあります。

職人さんの技を見ていますと、

無駄な動きもないし、まさに

動 と 静 が一つになっているようです。

 

「 止まる 」 静かに三昧に入る、ということと

「 観る 」 実験観察する、という動き

または、 「 知 」 と 「 行 」

知るということと、実践するということは

矛盾はしてないけど、

なかなか容易に一致しがたいものです。

論理的に矛盾しているわけではない、けれど

実際的に一致するのは難しい、

という問題があります。

 それを克服するのは 「 熟練 」 ということしかないのです。

熟練という反復です。

反対しているものが一致してくるのは

論理で解決するのではなく、

反復して実践していくしか解決はないように思います。

ここに繰り返し繰り返し、という

一歩一歩の努力が大切なのです。

 

 仏道修行といっても、一歩一歩

努力というところに本当人間の姿がるように思います。

お経を読んでいると、

人間が自然に人間としての在り方は

努力する、ということが人間の構造のようです。

 ここでもう一つ深く考えると、

努力をできる場所を見つける、

努力ということが可能な場所を見出す。

それが大切だと思います。

 人生においても努力できる場所を持つ

ということが一番幸せなことなのです。

 

 川上哲治さんも

 

 『 無駄になる努力はない 』

 

とも言っておられます。

 

 無駄とか、ためになるとか、ではなく

努力自体が真の人間の在り方なのでしょう。

 

 川上哲治さん、同郷ということで

何かしら親しみを感じ、野球もわからない

門外漢の私が、

川上さんの残された言葉から

考えてみました。

 

 

 

 

    

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 起きて半畳寝て一畳 | トップ | かわいいお尻 !! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

住職の活動日記」カテゴリの最新記事