終わって、館内が明るくなると
周りは、
私たちと同じくらいか
ちょっと年上の
ご夫妻が多かったようです。
もしや、
「おとうさん、あんな女にひっかっちゃ
だめですよ!!」
という会話があったのでは??
大竹しのぶさんなかなかの
名演技です。
ご自身でもはまりました、と
おっしゃておられたので
見事になりきっておられました。
錚錚たる役者人が
周りを固め、ピリッと味のある
映画になっています。
貪瞋痴(とん・じん・ち)の煩悩
が見事に描かれています。
まず、私たちは
本当の自分がわからない(痴)
ということが始まりです。
人間は困ったもので、
本当のことがわからないと
本当でないものを
本当にしてしまいます。
だから二つの過ちを起します。
まず、本当の自分がわからない
それだけならいいのですが、
本当の自分がわからないと
本当でない自分を本当の自分と
勘違いを起こすのです。
本当でない自分を我として執着し
それによって我愛という心が起こる。
そして、
自分が可愛いものだから
その偽物の自分に固執して
自分にとって都合のいいものには
愛して固執し貪る(貪)
その貪りがうまくいかないと
それが憎くなってきて
怒りの心が生まれてきます。(瞋)
いかりも
段々発展していくのです。
最初はチョッとムカッときた
これを「忿」(ふん)といいます。
わりと軽いいかりです。
それがそのままだといいのですが、
ついつい忘れずに残ってしまった心
それを「恨」(こん)といいます。
ムカッとした心が捨てられずに
心に残り恨みをいだく、
忿が成長して恨になる。
それが、
追体験というか思い出しては
いよいよ、
怒りの心が燃え上がってくる
その心を「悩」(のう)といいます。
胸をかきむしられるようになり
いても立っても居られなくなる。
「忿」「恨」「悩」は
「瞋」といういかりの発展段階です。
そうなると、
いよいよ相手を叩き潰そうとする
それが「害」(がい)という煩悩です。
映画では、
ケンカになったり、殺そう
ということになります。
忿→恨→悩、と煩悩は発展し
その完成形が害ということです。
いかりの煩悩でも
ちょっと変わったいかりが
生まれてきます。
それは「嫉」(しつ)という
一つの腹立ち、
本当は自分と関係がないのですが
人が金儲けたことが腹が立つ、
人が出世したことが腹が立つ
という煩悩です。
他人が栄え、金儲けていい目を見た
これが許せないという煩悩です。
人間とはおかしなもので
こういう自分とは関係ない
そんなことにまで腹を立て
許せないという心を起してくる。
まあ、
そんなこと考えながら見ていると、
人それぞれの煩悩の起こっていく姿
手に取るようにわかるものです。
貪・瞋・痴の
生々しい煩悩の姿を見る
そういう目から見ても
面白い映画です。
欲を言えば、
もう少し落としどころがいいと
もっと気持のいい映画になったかも
… ???
(ただのど素人の見方ですが)
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